空っぽの知識
 かたよりまくった読書くんの日記
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『君の名は。』 感想
kiminonaha_large.jpg





「確かなことが、ひとつだけある」
「私たちは、合えばぜったい、すぐに分かる。私に入っていたのは、君なんだって。君に入っていたのは、私なんだって」






 新海誠最新作『君の名は。』を見てきました。

 予告の段階で大々的に宣伝がなされていて、賛否両論あった作品ですが、公開からの盛り上がりが凄まじく、今では連日満員御礼という話を聞く超ヒットとなっています。自分としても、予告を見た時に「これは絶対に自分の好きな話だ!」と思っていたので、どこかで見に行かなければと思っていて、昨日仕事帰りにバタバタしながら行ってきました。


 端的に言って最高でした。
 どれくらいかというと、見終わった後に、スキップしながら本屋に直行して小説版を買い求めたくらいです(なお、売り切れで三件ほどハシゴしても見つからなかった模様)



 新海誠について、自分は『秒速5センチメートル』を勧められて、これはすごいと瞠目しました。そのあと『ほしのこえ』と『雲の向こう、約束の場所』の二つをDVDで見て、荒削りながらも、そこで描かれていた人と人の距離感に魅了されました。
 『星を追う子ども』はまだ未視聴ですが、『君の名は。』を見た直後に、『言の葉の庭』も見ました。当時劇場上映中に話題になってた時に見ればよかったのですが、改めて、この監督の作品は、主人公とヒロインの心の距離と言うのを丁寧に掘り下げて描いてくれるクリエイターだな、と納得しました。物語をキャラクターが動かす以上、その心情を掘り下げて描いていくのは当然のことなのですが、それが不足したり過剰だったりするだけでも、物語は破綻してしまいます。それを丁寧にできるという、王道をやり切ることがどれだけすごいことか。


 『君の名は。』で一番すごいのは、その王道を、王道のままやりきった所だと思います。

 シナリオ的なギミックで、謎や困難、カタルシスを得るためのシステムはいくつか散りばめてありますが、それらは後から考えると、大して目新しいものではありません。例えば前提である男女の入れ替わりにしてもそうですし、二人の間に時間的距離があったことも、感の良い視聴者なら途中で気づくでしょう。会えるはずのない二人が会うために奔走するなんていうストーリーラインは、いかにも感動させる恋愛物といった感じで、やり方によってはひどく陳腐になってさめてしまうと思います。
 それなのに、少なくとも自分は、最初から最後まで、夢中で時間を忘れてみていました。
 次はこうなるだろう、それともああかな? そんな先読みばかりしていながら、実際予想通りのシーンが来たとしても、そのシーンに胸を掴まされて涙をうるませる。『わかりきった展開で感動させる』。これほどクリエイターとしての力が試されるシーンはないと思います。

 一番顕著なのは、ご神体のある山頂のところで、カタワレ時に再会する瀧と三葉のシーン。
 入れ替わった互いが、相手の名前を呼ぶのですが、声だけが聞こえても姿が見えない。それが、日が落ちる瞬間に、時間という距離を超えてようやく再会を果たす。一応再会のための要素は作中で幾つか提示されては居ますが、そのご都合主義とも言える展開に対して、「なぜ?」よりも先に、「やっと」という感情がすぐに出てくるような見せ方。描き方次第では三文芝居を見せられて白けた空気が出かねないシーンなだけに、ここを盛り上げどころとしてしっかりと盛り上げてきたことに、ただひたすら賞賛を送りたい。ここを純粋に見れたのなら、物語全体が輝いて見えることでしょう。


 男女の入れ替わりものなんてありふれているし、君と僕で世界(村)を救うなんてことも物語ではよくあること。けれど、そんなよくある物語でも、作り手によってはこれほどに心つかませるものを創りだしてくれる。それが伝わってきたのが、この映画の本当に素晴らしい所だと思います。






 とまあ、堅苦しいことを書いてきて、ちょっと軽い考察。


 作中において最も謎なのが、なぜ瀧である必要があったのか、というところなんですよね。
 三葉は物語の中心にいますし、何より入れ替わりの能力は宮永の家の能力であるということが提示されているので、彼女の存在は必要不可欠です。しかし、その三葉と入れ替わる相手である瀧の方には、どんな理由があったのか。
 まだ小説版を読んでいないので、もしかしたらそっちに回答が提示されている可能性はありますが、ここはあくまで映画だけでの考察です。
 自分としては、そもそも瀧の側には理由がなかったのではないかと思います。
 ことの原因はすべて三葉の側に原因があり、瀧はそれに巻き込まれただけ。三葉が序盤で言っていた『来世では東京のイケメン男子にしてください』という願いが叶えられた形で、彼女のいうイケメン男子が瀧だったのでは……というのが答えかな、と。
 これの重要な点は、瀧が結果として、三葉を救う手助けをしたところなんですよね。

 自分ははじめ、この物語は、男の理想で描かれた物語だなぁという印象がありました。男女の入れ替わり、入れ替わり先は美少女。そしてその美少女は、とある事件で死んでしまっていて、それを主人公の手で救ってあげて、ハッピーエンド――最後には五年後に再会するところまで含めて、そのロマンチックさは、女性向けというよりも、むしろ男性の都合のいい理想のように思えていました(だからこそ男である自分が魅了されたのかも、と)

 でも、視点を変えて、三葉の方で物語を見てみると、少し変わってきます。

 彼女からすると、見も知らなかった男子と入れ替わり、その結果、彼女の見る世界は一変するのです。田舎しか知らなかった彼女の視界は、入れ替わることで都会の世界を知ることができ、今まで知らなかった様々なことを経験させてくれます。放課後におしゃれなカフェで男友達とだべったり、バイト先で美人の年上のお姉さんと遊んたり、そこにあるのは、田舎では決して経験できない輝くような日々。そして、東京での生活だけでなく、戻った時の田舎での人間関係にしても、男子に告白されたり後輩に好かれたりと、彼女の環境をどんどん変えてくれる。そんな、夢の様な男の子。それが瀧であり、そして彼は、三葉の命の危機すらも、救おうとしてくれる。こうしてみると、まるで瀧が白馬の王子様のような、理想の男の子に見えてくるなぁと思いました。

 だからこそ、そうした三葉の願いや夢を叶えてくれる存在というのが、瀧だったのではないか、というのが自分の考えです。



 
 それはそうと、物語的には中心ではないですけれども、奥寺先輩の存在も、かなり見ていて気になるものでした。

 彼女の視点で物語見ると、三葉を尋ねる瀧の旅行に彼女がついていったのは、なんだか瀧への感情を吹っ切るためのものだったんじゃないかなぁと思えるんですよね。

 瀧に三葉が入ることで、奥寺さんとの関係がかなり進展するわけですが、奥寺さんから見ると、「ちょっと気になっていた男の子が、最近かなり付き合いやすくなった」という感じで、どんどん惹かれていったんだと思います。しかし、いざ素の彼とデートした時、その付き合いやすい男の子はいなくて、目の前にはイメージと違う年下の男の子が。
 この時の違和感を、彼女は『もしかして好きな子がいるんじゃないか』という風に解釈したからこその、デートの終わりの時のセリフなんじゃないかなと思いました。あの少し責めるような言い回しは、言外に期待していたのが滲んでいたように思います。
 だからこそ、その感情を吹っ切るために、瀧の旅行について行ったんだとすると、なんだかすごくいじらしくって可愛いなこの人は、となってくるという。瀧たちからすると大人な彼女ですが、彼女も歳相応の若さがあって、いろんな思いをかかえているんじゃないかなぁ

 物語のラスト、五年後の段階で、結婚していることが判明する彼女ですが、この関係は、秒速5センチメートルで描かれた『過去の恋愛』への懐古が滲んでいて非情に良かったなぁと思います。
 あと余談ですが、旅館でタバコ吸ってる所がすごく好き。あそこがあるからこそ、やっぱり奥寺さんの瀧への想いは失恋に近いんだろうなぁと思う。



 あとまあ、好きなシーンを挙げるとすると、アバンで描かれ、そして中盤で判明する三葉と瀧のはじめての出会いのシーン。
 瀧が三葉を訪ねる三年も前、まだ出会う前の時に、三葉はすでに瀧を訪ねていたっていうのがまず胸熱ポイントなんですが、この電車で向かい合った時の三葉のしぐさがもうくっそ可愛くってだなぁ!! ああもうこの辺は変に理屈なんかこねないで直球で言うけど、もう三葉が可愛すぎて悶え死ぬ。あそこのいじらしさと、不安や期待が混じった表情や仕草に、どんどん胸が締め付けられていく。この甘酸っぱさこそが少女漫画特有の味付けだよなと思う(少女漫画じゃないけど)


 それと、やっぱりラスト。五年後に社会人になった二人が、出会う所。

 まだ会ったことのない人。接点も何もない、他人でしか無い彼(彼女)。でも、会えばきっと、自分たちならば必ず分かる。
 まだ子供だった頃の二人は、山頂で互いを求めて走った。
 そして今、大人になった二人は、かつて子供だった時のように、相手を求めて街を走る。

 そして、階段のところで出会った二人は――




 このラストは、新海誠を知っている人なら、誰もが『秒速5センチメートル』を思い出すことだと思います。
 秒速の物語は、よく勘違いされますが、あれは未練ではなく、『懐古』の物語です。彼らにとっての恋愛は終わったものであり、互いに別の人生を歩みながら、かつてあった燃えるような愛を懐かしく振り返る。
 それに対して、『君の名は。』で描かれたのは、まだ始まっても居ない関係。
 だからこそ、秒速では再会しなかった二人が、君の名は。では、出会うことができた。


 これまで別れの物語を描いてきた新海さんが、ここで出会いの物語を書いてきたのは、大衆的であるとも言えるけれども、何よりこの作品が集大成のようなものであるからとも思えました。


 空前のヒットとも言うべき状態のこの作品ですが、ここまで盛り上がってしまうと、こんどは作品の出来に関係なく、更に動員数は膨れ上がっていくことでしょう。そうした状態で、スタッフたちが『次』を作る上での妨げになるのではないか、というのだけが少し不安であります。

 しかし、今回は製作委員会方式をとっていたり、有名バンドの起用や宣伝の仕方など、かなり制作に対して制限があってだろうと思われます。実際、ちょっと作中でOPED挿入歌含めて楽曲四曲はやり過ぎだし、物語もどうしても大衆に向けたわかりやすい感情表現であると言われても仕方ないところがあると思います(完全に余談ですが、自分は別にRAD嫌いじゃないですが、あの挿入歌は空気を壊していたと思います。ああいう盛り上げはラストの一回だけでいい)

 しかし、そんな制限のある制作環境で、それでもなお、新海さんの持ち味をしっかりと描いてきたところを考えると、これからも彼の物語を見てみたいと、そう思えた作品でした。

 まあ、自分はそこまでこじらせたファンではなかったので、「おれの知ってる新海は死んだ」と言われる方の気持ちも分かるのですが……それは次の作品に期待することにしましょう。





 そんなわけで、長々ととりとめもない感想でしたが、『君の名は。』でした。

 正直こんだけ感想を書いてもなお、身悶えするくらい気持ちが高ぶっているので、これはもう一回見に行かねばならぬと思っています。さて、次は度のタイミングで行くか……







スポンサーサイト
かつて決闘者だった者達へ 『遊☆戯☆王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS』感想



 我々はかつて、誰もがデュエリストだった。



 小学校の頃。放課後になると誰かの家へカードデッキを持ち込んでデュエルをした。新しく手に入ったカードに一喜一憂し、その瞬間の勝利に歓喜し、不意の敗北に怒って喧嘩をした。
 もちろん原作漫画はバイブルだった。次々に出てくるデュエリストたちの決闘に手に汗握り、その決着を楽しんだ。そしてそんな決闘を自分たちもしたいと、また友達とデッキを持ち寄った。

 遊戯王とは、我々にとって小学生時代の全てであり、青春の一ページであった。




 その遊戯王が、今。
 十年以上の時を経て、大人となった我々の前に帰ってきた。



 そこには、かつてのデュエリストたちが、そのままの姿で居た。
 カードを剣に。デュエルディスクを盾に。
 持ちよるのは、己の分身とも言えるカードデッキ。賭けるのは、デュエリストとしての誇り(プライド)。

 遊戯が、海馬が、そして、ファラオが。再び、戦いの舞台に上がる。


 我々が熱狂し、そして、いつしか自然と思い出にして締まっていた彼らの戦いをまた、見せてくれたのだった

 そのことに、ただ、感謝しか無い。












 とまあ、ちと感傷的になりながら導入を書いたわけですが。

 『遊☆戯☆王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS』見てきました。

 まあそりゃあね。私もかつてはデュエリストだったわけでね。原作の後日談と言われれば、そりゃあ見に行きますよ。
 しかし、見に行く前は、「今更遊戯王?」という気持ちがなかったわけではありません。というか、遊戯王なんてほんとかなり昔に完結した漫画を、今更映画化するというのはどういうつもりなのか、と思ったくらいです。
 でも、前評判は絶賛の嵐。
 その評判を見るうちに、むくむくと、かつてのもう一人の僕が心のなかに湧き上がってくるわけです。あのキャラたちの姿を見たい。また彼らのデュエルを見たい。また、彼らの生き様を見届けたいと。

 不安はありました。
 遊戯王という作品には、遊戯と、そしてもう一人の僕こと、古代エジプトのファラオであるアテムの存在が不可欠です。遊戯とアテム、二人が居てはじめて、遊戯王たりえる。そんな遊戯王という作品は、最後にアテムが冥界に帰るという形で決着がつきます。

 戦いの儀において、遊戯がファラオを下し、ファラオは現世を去る。
 そうして、死者は去り、生者は今を生きていく。
 そんな綺麗に終わった作品を、今、蒸し返してもいいものだろうか?

 その不安は、杞憂でした。

 スクリーンに映るのは、かつてのキャラクターたち。
 ファラオが去り、残された者達は、そのことを記憶にとどめながらも、全力で現代を生きている。ファラオの記憶と折り合いをつけて生きるもの、ファラオと再び会おうと全力を尽くす者。色々な思惑が混ざり合いながら、物語は進んでいく。


 そこには、まさしく遊戯王の後日談としての姿が、違和感なくあった。




 もうね、遊戯もそのまんまだし、城之内や本田、杏子、獏良と言った仲間たちとの関係も全く違和感がなかった。海馬社長に至っては、これこそ裏遊戯と幾度と無く死闘を繰り広げたあの社長であると確信できるほどに、豪快で、かっこ良く、常に全力な男だった。

 というかもう、これは半分以上、海馬社長の物語だろうと。
 冥界に去ったアテムを追い求め続ける海馬の挑戦の物語。それは、遊戯王において、多くのキャラが過去と折り合いをつけ、未来に向かって歩いていく中、海馬だけは、アテムという史上唯一のライバルを失い、過去に囚われ続けているということの証左でもあったのだろうと。


 とにかく、海馬の愛が重い。
 闇遊戯を再現するためにコンピュータに人格模倣をさせるわ、崩落した遺跡から千年パズルを発掘し直すわ、アテム復活のために遊戯にパズルを完成させようとするわ。
 そんな海馬に、遊戯が「このパズルにはもう誰もいない」って言うところの切ない表情よ……。あれもう、完全に恋人に先立たれた男の顔してたよ……。最後までそれを認めようとしなかった海馬だったけれど、映画の最後には、アテムではなく遊戯を「誇り高き決闘者」というふうに認めたわけだけど、そこでやっと、彼は遊戯と向かい合えたんだろうなと。
 そして、ラストも海馬社長はフルスロットルである。意識加速によって集合無意識にアクセスし、辿り着いた先は古代エジプト。そこでファラオと向かい合う所でエンド。あれ、この作品って海馬が主人公だっけ?

 見終わった後に思ったのは、とにかく男と男のライバル関係っていうのは、それだけで胸が熱くなるなと。

 あと、海馬が藍神と最初に戦った時、ピンチの所でオベリスクを召喚した所がくっそかっこよくって死ぬかと思った。新型デュエルディスクのお披露目の時の口上もすごかった。今ではネタにされがちな海馬社長だけれど、こうして物語として彼の姿を見ると、やっぱりこの男くそかっけぇなと。これがマインドクラッシュを食らう前は、典型的な傲慢クソ御曹司だったことを考えると、すさまじい成長である。
 とにかく、海馬瀬人というキャラクターを好きだったら、絶対見るべき映画だというのは確かだと思う。




 それと、本編で回収しきれていなかったエピソードなんかもやって、ある意味完結編になっているのもよかった。


 獏良と千年リングの関係なんかは、これ本編でやれよと言いたくなるような内容で、ここに来てようやく、獏良がどうして千年リングにとらわれていたのかがよくわかってしまった。というか、戦犯は獏良の親父やないかい……。

 何より嬉しかったのは、シャーディーの存在である。遊戯王はなんだかんだでキャラクターの扱いなんかは完璧だと思っていたんだけれど、シャーディーだけは絶対に語りそこねたものがあるだろと思っていた。とくに最初期に、はじめて千年アイテムについて意識づけをしたキャラだけに、もっと彼については掘り下げて欲しいと常々思っていたのが、まさか十年の時を超えて見せられるとは思いもしなかった。それだけでも、この映画を見てよかったと思える要素である。




 あとはまあ、細かい所でここが良かったとかあれが良かったというのは言いたいのが山ほどあるんだけれど、結局のところ、もう全て良かったと言ってしまうくらいには満足感のある映画だった。要所に愛しか感じない、見せたいものを詰め込みまくった遊戯王だったと思う。

 遊戯王という作品は、カードゲームというテーマだからあまり注目されないけれど、その物語構造はかなりしっかりとした一本筋が通っていて、各キャラクターの成長を丁寧に描いている作品でもある。まあ自分もそれに気づいたのは完結してアテムが去った後なんだけれど、全てのデュエルにはそれぞれのデュエリストの信念や気持ちがこもっていて、その結果で成長をしていく。

 今回にしても、いくつか行われたデュエルには、そのデュエリストたちの心情が投影され、その決着こそが物語の決着でもあった。



 誰もが期待し、そして、誰もが不安を覚えた、ファラオ・アテムの復活。

 闇遊戯の存在無くして、遊戯王は語れない。しかし、闇遊戯に簡単に戻ってこられても、それはそれで困る。
 そんな複雑なファン心理を、しっかりと満足させる、かのファラオの演出。

 その佇まいと、決着をつける最強のデュエリストの姿は、かつて同じデュエリストだった僕達の目に、しっかりと焼き付いたことだろう――










 最後に余計なこと。

 映画見ている最中、ずっと思ってたんだけど、杏子ちゃんエッチ過ぎませんかね。
 ああいうのでいいんだよ。ああいうので(満足気にサムズアップ)




プリデスティネーション 感想





 改めて見るとこのPV、詐欺過ぎるな……。



 というわけで久しぶりの更新。これネタバレしたらやばいからツイッターで語りきれなかったんで、せっかくだから久々にブログ更新するよ。


 今年の2月に公開の映画、『プリデスティネーション』


 元はロバート・A・ハイラインというSF作家の短編『輪廻の蛇』を映像化したもの。この短編、かなり古い上にページ数も30ページ未満というのだから、それを90分の映画にしたというのがまずすごい。
 短編についてはとりあえず図書館で探して読むとして、映画自体は、時間物で切ない系。オチが分かったら一発で全容がわかってしまうので、あまり事前の知識なしで見ていただきたい。



 んじゃまあネタバレ感想は続きから

 ちなみに、自分の解釈全力で入っているんで、間違いかもしれない。あと、今回は吹き替えで見た。字幕版あとで確認したら、かなりニュアンスの違う言葉が使われまくってたから、実際違うかもしれないけれど、少なくともこう考えると、この作品がかなり腑に落ちる、ということで。







続きを読む
SHIROBAKO後半一挙&三女先行オールナイト上映会 感想



 SHIROBAKO後半一挙&三女、オールナイト上映会に行ってきました。

 ツイッターではさんざん語っておりましたが、SHIROBAKO大好きでして、放送終了から四ヶ月たった今、イベントが有るとなったら行かないわけにはいけないわけですよ!!


 というわけで、六本木ヒルズTOHOシネマズにて、22時から翌5時まで、七時間という長丁場をくぐり抜け、更にそのあと仕事してきました。貫徹です。死ぬかと思った。

 しかし、それだけの価値はありました。

 というか、三女! 第三少女飛行隊第一話!! ありゃテレビ放送のレベルじゃねぇぞww 飛行機ぐいんぐいん動きまくるし、細かいところの表情演技すげぇし。さすがDVDの発売を一ヶ月遅らせただけのことはあるなという出来でした。あれを劇場の音響と画面で見ることができてよかった。

 詳しくはDVD7巻特典の三女第一話を見てもらいたいんですが、OPEDもちゃんと作ってあって、それだけでも十分魅力的な出来でした。OPの映像がかっこよくって、あそこだけでも見直したい……。
 ネタバレは厳禁と言われたので、感想だけにとどめますが、キャサリンがとにかくむちゃくちゃヒロインしていてびっくりした。確かにあそこまで重要なキャラクターなら、ベテランにやってもらいたいだろうなぁと思う。しかも話の展開上、死ぬんだろあの子……。
 そして、アリアはクール系のキャラかとおもいきや、不器用さんでかなり表情芝居が多くてこれもびっくり。こういうキャラクターだとわかると、飛ぶことをやめたり、キャサリンの死に何もできなかったりするところなんかもすごく納得できる。ほんと、一話作るだけで、SHIROBAKO本編で言われていたことの細かいところまで腑に落ちるってどんだけよ……。

 というかこれ1クールまるまる見たいわ!! 正直えくそだすっよりも一話だけでの引き込みが強いから困る。いやほんと、作ってくれていいのよPAさん……(まず水島監督のスケジュールがない)



 あと、トークショーが目玉でしたね。

 第一部は制作進行四人娘。宮森、矢野、佐藤、安藤の四人の中の人が登場。
 司会はプロデューサーの川瀬さんで、適度に毒を吐きながらいろいろ裏話や演技の方向性なんかについて語っていました。

 面白かったのが、矢野エリカ役の山岡ゆりさんが、もうとにかく地雷トークばかりしているところww
 本人も言っていたんですが、矢野さんのような先輩役は初めてで、どちらかと言うと山岡さん自身は三女のタチアナみたいなキャラクターが合うらしく、だから最初はかなり先輩の風格を出すのに大変だった模様。アフレコの時も、水島監督が笑いながら「先輩感ねぇなぁww」とぼやいたとか。
 そんな山岡さん。とにかく喋る。そして喋りながら何を言いたいのかわからなくなる。それを取り繕おうとしてまたしゃべるのループ。「あー、こうやって黒歴史って作られるんだなぁ」と言うのを目の前で見せられた感じでした。ちなみに、DVD6巻のオーディオコメンタリーに彼女が登場するらしいんですが、そこでも暴走しているそうで、それを見ればいいという話でした。ああ、早く買いたい……。

 あと、宮森以外の三人は、まさか白箱のイベントに呼ばれるとは思っていなかったらしく、かなりびっくりしていたらしい。山岡さんは、タチアナ役があったのでそっちで呼ばれたのかな?と思っていたら、まさかの矢野さんで嬉しかったとか。
 佐藤さんの米澤さんのキャスティングは、真面目系でということで、「なら米澤さんでしょう」と結構簡単に決まったそうな。某戦車アニメから、という話があったけれど、どうも米澤さん、ガルパンには出ていないっぽいけど、どうなんだろう。米澤さん的に、佐藤さんのキャラクターは、将来的に興津さんのようにムサニを仕切る存在になるのでは、というふうにコメントしてました。
 安藤さん役の葉山さんのキャスティングは、元気系だけど、どこか幸薄い子を、という要望だったらしく、それはちょっと意外だった。これも最初の方に決まって、2クール目からレギュラーだから、と前から言われていたらしい。演技の上では、彼女はもともとオタク系から入ってきているので、佐藤さんに比べると業界への理解がある分、余裕が有るように演じていたそうな。

 あと、この時だったか忘れたけれど、三女の話になった時に、水島監督の話で。

 木村「そういえば、三女がオールアップした時に、たまたま水島監督と会いまして、そのまま飲みに行ったんですよ」
 川瀬P「あいつ、俺には『三ヶ月禁酒しています!』って言ったくせに嘘ばっかじゃねぇか! 監獄に入れないと」

 爆笑した。


 そして、最初のトークショーが終わったところで、上映会開始前に、木村さんが「私は次にドーナッツなクインテットとまた出番があります」とコメント。
 スケジュールでは、一挙上映の間に休憩をはさみつつ、トーク第二部があるということだったんですが、そこではお馴染みの五人娘マイナス一がでてくるという話でした。
 そのマイナス一人がまあ、都合がつかなかったわけですが、それについての川瀬Pが

 川瀬P「まあ、ポケモンといいますか、アイドルなマスターになっちまったわけでですね」

 もっとオブラートにww


 というわけで、トークショー第二部は、おいちゃん、ずかちゃん、みーちゃん、りーちゃんの四人の中の人が登場。
 アイマスのスケジュールの関係で来れなかった絵麻っちこと佳村さんについて、木村さんが

 木村「今日、絵麻は来れなかったけれど、私、絵麻のキーホルダーつけてきたんです! これで五人一緒です!」

 川瀬P「俺は遺影みたいだからやめろって言ったんだけどなww」



 話としてはやっぱりドラマ部分の話が多くて、今井みどり役の大和田さんは、りーちゃんのキラキラとした夢にむかっている姿に元気をもらっていたという話。りーちゃんの「脚本家になれないほうが怖いっす」というセリフが一番心に残っているとか。

 藤堂美沙役の高野さんは、美沙は可愛い子で、後半は可愛いシーン多くてよかった。あと、最後、美沙だけ行動力がすごい(多分宝船を作ってきたという辺りだと思う)
 みーちゃんについては、川瀬さんの方からも、3Dクリエイターという立場上、話が作りにくくて、キャラを動かしづらかった。1クール目で会社をやめて転職してくれたおかげで、ようやく動かせるようになった、というふうにコメントしていました。小さな会社に入ったからいろいろやれるようになったのは確かみたい。

 話の中心としてはやはりずかちゃんで、声優の苦労話としてあれはやはりリアルなところが多いらしく、「白箱のおかげで、声優って大変なんだね、って知り合いにわかってもらえるようになった」とみんなコメントしていた。
 水島監督も、「声優は簡単に役を取れたらいけねぇよ」といっていたらしく、だからこそのあの過剰なまでのずかちゃんいじめ。とくに22話はやはりやり過ぎだったようで、川瀬Pは別の現場で声優さんから「ただでさえきついのに、あれはやり過ぎですよ……」と言われたそうな。いや、確かにリアルなんだけど、リアルだからこそ心に来る、らしい。

 23話では泣いた人、という質問に対して会場の全員が手をあげていたけれど、それに対して宮森役の木村さんが、「私は香盤表でルーシー/千菅春香の名前を見ただけで泣いた」というふうにコメント。やはりそれまでが重すぎたからこそ反動があった模様。
 坂木しずか役の千菅さんは、白箱は終わるまでなんだか第三者のような気分だったけれど、最後にずかちゃんが役をもらえてようやく話に入ってこれたというふうにコメント。そりゃああんだけ追い詰めりゃなぁww

 宮森については、24話の最後のスピーチシーンは、脚本の横手さんが書いたあと、水島監督が手直しし、更に堀川プロデューサーが手直しして、三人でかなり話し合いながら書いたらしい。やはり話の締めに来るところだからこそ、到着地点はわかっているけれど、そこの過程は丁寧にしたい、ということらしい。
 そして、そこのセリフは、木村さんは家で練習している時、もう泣かなかったことがないとのこと。だから、本番で宮森ではなく自分が出てしまうんじゃないかと怖かったけれど、ちゃんと宮森として演技ができてよかった。あれは自分の中でひとつの自信になった、とコメント。



 話のあとは、告知コーナーとして、DVD最終巻のジャケット初公開。五人娘が手をつないでジャンプしているぽんかんさんの絵が公開。
 最終巻のオーディオコメンタリーは、24話が木村さんと檜山さんのデスク監督コンビ、そして水島努&水島精二のダブル水島コンビによるコメンタリーが、22話から24話まで三話ぶっ通しだそうな。もともとは二話だけだったはずだけれど、ダブル水島が「話し足りねぇ」といったため続行。かなりのぶっちゃけトークになったそうな(ただし、二巻ほどではない。ピー音はそれほどない)
 あと、DVD7巻には、イベント優先チケット封入。9月20日に神奈川芸術劇場で、二部構成でイベントが有るらしい。行きたい……。

 そして、SHIROBAKO秋祭りの告知。まだ詳しいことは言われていないけれど、SHIROBAKO音頭なるものをみんなで踊ろうという企画らしい。
 このSHIROBAKO音頭、なんか三女の制作がギリギリのところで、水島監督が急遽作詞して作ったらしい。 川瀬P曰く、「頭おかしい」。水島監督作曲ということで、かなりアレな出来だとか。歌詞の中に「万策尽きた」だの「ぷるんぷるん」だのといったおなじみのセリフもちゃんと入ってるよとのこと。
 歌うのは、宮森とミムジーとロロの三人。その場で木村さんが演じ分けしてくださって、もうテンション上がった。

 SHIROBAKO音頭は、先行発売として、夏コミの企業ブースにて、何曲か入ったアルバムと最終話EDの絵を利用したTシャツを販売。数量限定で、おねだんは……

 木村「税込み四百……」
 全員「よんひゃくww!?」

 はい、四千円です。



 キャストトークショーの内容はこんな感じでした。
 ちょっと途中もうちょっと面白い話があったと思うんだけど、思い出せるのがこの辺り。ううむ、睡眠不足が恨まれる。



 とにかく、今後もSHIROBAKOはいろいろとイベントなんかで続いていくみたいで、出来る限り関わりたいと思った。そしてできれば劇場版か二期を……!!

 うーん、まあ水島監督忙しいからなぁ。
 川瀬P「今は監獄に入ったり、脱獄したりしてますが」っていうコメントがちょくちょくあって笑いを誘っていた。



 そんなこんなで、楽しいオールナイトでした!!


『ソロモンの偽証』 著/宮部みゆき 感想




71dypAW9wNL.jpg
518sc+D5-gL.jpg
51lrlSiT0cL.jpg
81lAWfSpKuL.jpg

Amazon 『ソロモンの偽証』





 「どうして、悪い奴がやってる本当の悪いことをこつこつ集めて、立証して、正面から戦わなかったのよ。どうして嘘に頼っちゃったのよ」
 (中略)
 「わたしは、それが、悔しいのよ!」

 ソロモンの偽証6 書きおろし中編『負の方程式』より



 時が立つのは早いですね。はい、いつのまにやら二週間以上経過していましたが、今日も元気に更新です。


 今日紹介するのはこちら。

 宮部みゆきさんの『ソロモンの偽証』
 最近映画化もされ、名前だけは聞いたこともあるんじゃないかと思う今作。単行本のほうが図書館で予約が外れ始めていたので、なら読んでみるかと手にとって見たが最後。あまりにも面白く、最終巻に至っては文庫版を購入していました。

 一冊のページ数はなんと脅威の一千ページ。それが三冊分(文庫版は五百ページが六冊)もあるというのに、その膨大な量を感じさせない、それどころか次々に起こる事件や人間模様に圧倒させられ、とにかく魅入らせられて、いつのまにやらページを捲る手が止まらなくなった。


 というわけで、まずはネタバレ無しの感想を



 始まりは、とある中学生の自殺から始まり、様々な事件が二次的、三次的に起こっていく様子は、フィクション仕立てでありながらもどこかリアリティがあり、誰もが一度は覚えたことのある「社会の恐ろしさ」を誤魔化さずにまっすぐに描いている。淡々と描いていながら、しかしそれは事象の羅列にとどまっておらず、しっかりと一つ一つが意味を持っている。そこには血の通った人間がいて、人生があって、事件に対して憤懣をいだき、悲哀を感じている。そんな丁寧さが、この作品の魅力であると思う。


 第一部は、とにかく事件、事件の連続。本来ならばただの自殺で終わるはずだったの事件が、一人の生徒の告発文に寄って様相を様変わりさせる。二次被害、三次被害と事件は拡大し、その場その場における人々の思惑や姦計、あるいはちょっとした人間関係のこじれによって、更にことが大きくなる。その中で、当事者となる中学生たちは、ただ自体に翻弄されることしか出来ない。

 第二部では、その翻弄され続けた中学生が、反旗を翻す。一人の少女を筆頭に、事態の究明を測るために、冤罪にかけられた不良少年に対して、私的裁判を行うというこの発想が、とにかく面白い。高校生ほど自由で大人でもなく、かと言って子供でもなく強い自我を持つ彼らが、持てる手をつくして事件を追い始める。自殺だと誰もが思っていた最初の事件。しかし、その不明な点には、一体何が隠されているのか。

 第三部は、ついに解決編。第一部と第二部で積み重ねてきた伏線を、法廷という場で次々と披露していく様子は、圧巻の一言。検事も弁護士も、中学生でありながら、中学生離れした分析力と口弁で、関係する証人たちと相対していくさまは爽快そのもの。しかし、ふとした瞬間に中学生らしい甘さや嫉妬心が現れる所もまたうまい。一定のリアリティを守りながらも、フィクションとしての面白さを損なわないバランスの良さがとにかく小気味良かった。
 そして、最後に明かされる事実には、ここまで長い物語に付き合ってきたからこその衝撃と納得が待っている。まさに、計算しつくされたエンターテイメントで、さすがはベテラン作家であると、読み終わった後はただただ脱力するだけだった。


 宮部みゆきさんは、社会派推理小説の代表となる作家だけれども、この一作をとってもその理由をこれでもかとつきつけられたように思う。視点となる個々人のキャラクターから、社会の理不尽を感じ、窮屈さを覚えながらも、それにあがくキャラクターの姿に爽快感を覚える。
 中学生たちが行なった私的裁判は、言ってしまえば出来レースであるが、その提案者である藤野涼子は、思惑と外れて検事となって、事実と偽証の間で葛藤を抱くことになる。しかし、証人たちの事実を追求していき、互いに傷つけあいながらも、最終的に得た結論は、彼女にとっては勝利であり、そしてそれは、中学生の課外活動という一瞬の出来事ではあるとはいえ、社会の欺瞞に対して勝利したといえると思う。

 そして、文庫版において書き下ろされた『負の方程式』
 ここでも描かれるのは、偽証の事件。
 あえてこれを書きおろして文庫に収録した理由は、言葉にせずとも読み終われば理解できるだろう。現実に立ち向かうために、どうしても事実よりも虚実の方が効果的なことがある。しかし、虚実を用いた時点で、それは正しくはないのだ。
 正しさを追うことは何よりも難しく、結果を残せないこともある。しかし、偽証では、例え結果を得られたとしても自分に誇ることは出来ない。

 人生は長く、その中には真実や正直がバカを見るような欺瞞がいくつも転がっている。そんな現実の中、欺瞞に立ち向かうという真っ直ぐすぎる小説は、とにかく気持ちのいい作品だったと思う。



 そんな感じで、とにかくよいエンターテイメントを見せてもらったなと思いました。



 あと、ネタバレ有りの感想も書きたいので、続きから。








続きを読む


プロフィール

Author:西織
この欄を編集するのを完全に忘れていた男。今年の四月に新社会人という名の社畜人生に一歩を踏み出した。



性別:男
年齢:22歳
血液型:A型
趣味:読書&執筆
将来の夢:作家(前途多難)

本の感想などを見たい人は、こちらをどうぞ
『空っぽの知識(読書日記)』
http://emptyreader.blog81.fc2.com/

自作小説専門のブログ作りました。
『空っぽの知識(自作小説)』
http://emptynovel.blog83.fc2.com/

同じFC2ブログを三つも作ったことにより、他のブローカーに訪問者履歴的な意味で迷惑が……あの、本当に申し訳ございません。


何か連絡があれば、こちらにお願いします。
alred_marchen☆hotmail.co.jp
(☆を@に変えてください)



フリーエリア



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



FC2カウンター



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。