空っぽの知識
 かたよりまくった読書くんの日記
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『風邪の看病は万病の元』
 あー。唐突に自作小説更新。

 自作小説カテゴリの始めの方にある駄作、『陽君シリーズ』の時系列的には一番初めの話しになります。


 ちょっと前に書いてたんですが、昨日まで忘れていて、昨日友人とメールしている段階で思い出した次第です。

 いやぁ、しかし。今読むと意外と面白いなぁと自画自賛。まあ、他の人がどう思うかは知りませんが。


 そんなわけで、『風邪の看病は万病の元』。タイトルどおりお約束の物語をどうぞ。








 風邪をひきました。
 三十八度三分です。
「……あー。やっぱやっちまったか」
 重たい頭を持ち上げながら呟く。身体がだるい。顔は火照って熱を持っている。
 こりゃ、今日は動けねぇな。
 そう結論付けると、早速友人の神谷に連絡。今は二月で大学は入試のために休みに入っているので講義を受ける必要はない。ただ、サークル活動はいろいろあるので、誰かに連絡をしておいたほうがいい。その上での選択だった。……少なくとも、あの馬鹿部長には連絡したくないし。
 とりあえず連絡は取れ、今日は休むことに。
 さて、これでとりあえずやらなければいけないことは終わった。そう思うと、よりいっそう脱力感が湧いてくる。その脱力感にまかせるまま、俺は布団に倒れこんだ。
 ズキン。
「っが、」
 ――倒れこんだ衝撃で、背中に表現できない強烈な激痛が走った。
「~~~~っ」
 叫びが声にならない。苦悶の表情を浮かべ、悶絶。
 し、死ねる。軽く死ねるぞこれ。
 およそ三十秒、地獄の時間が続いた。
「はぁ、はぁ。……やっぱ、ダメージが残りすぎてる」
 やっぱりあの行動は自分の限界点を越えていたんだなぁ、と再確認。そして、今現在の自分の身体がやはり限界を超えていることもさらに確認。
 ……くそ。これもそれも、全てあの馬鹿部長のせいだ。

◇◆◇

 昨日のことである。事の発端は、部長である浮牢夏帆先輩(六年生。確信犯で二度留年。すでに三度目決定。研究会の最年長)の一言だった。
「インパクトが欲しいわね」
「……は?」
 そんな彼女の独り言に対して、思わず俺は反応してしまう。
「いやね、これまでの、地味で順当でシリアスな映像もいいけど、やっぱり最後にはどかんと一発いきたいと思わない?」
 いや、「思わない?」と聞かれましても。
 ――昨日、俺たち映画研究会は、撮影のため、郊外のとある山林に来ていた。
 緑が綺麗で、空気が澄んでいたのが記憶に残っている。一月下旬の凍てついた空気が、妙にすがすがしく感じられた。すぐそばを流れている川の水も、それを助長させている。俺たちの立っている地点は高めの場所で、その川の水は、すぐに滝となって下に落ちていっていた。
 轟々と水が叩きつけられる音を聞きながらの撮影。設定は、駆け落ちしたカップルが、父親から逃げていくうちにこんな場所まで来てしまい、父親に追いつかれてしまったというもので、よく分からんシーンの撮影である。
 ちなみに俺の役は、その執念深いお父様。いやあ、まさかこの歳でお父様の役をやらされるとは思っても見ませんでしたよ。
 さて、ぼやきはほっといて、話を戻そう。
 浮牢先輩の不吉な呟き。今日一日のノルマをとりあえず終了したというのに、この先輩は一体何をトチ狂ったセリフを吐いているのだろう?
「どうにもね、自分で言っちゃなんだけど、この話、展開はいいんだけどインパクトに欠けるのよ。まあ、どろどろねちょねちょした人間関係を前面に押し出しているから仕方ないんだけどね」
「はあ、そりゃそうでしょうね。でも、だったらどうするというんです?」
「うん。だから今それを考えていたんだけど」
 にっこりと笑って言う浮牢先輩。どうやら彼女の中では結論が出ているらしい。
「それには白城君。君の協力が必要になるんだねこれが」
「……一体俺に何をさせるつもりですか」
 ずい、っと近寄ってくる浮牢先輩にただならぬ空気を感じ、思わず後ずさりをしてしまう。ちょ、なんか怖いんですけど。その背後に見える黒いオーラが。
「なーに、ちょっと身体を張ってくれるだけでいいんだからさ」
「や、だからなんですか身体を張るって! まさかこっからゴムなしバンジーをしろとでもいうんですか!?」
 悪い予想をしつつ、わなわなと震える指で傍らの川を指す。その川の先には、全長十メートルはあろう滝。もちろん今の季節は真冬なので、凍てつくような水がそこを滑り降りていることであろう。
 まさか、そんなことは言いませんよね、せんぱ――
「なんだ、よく分かってるじゃない」
 ――言っちゃいましたよこの人!
「そうそう、父親が主人公たちを追い詰めて、『さあ、無駄な抵抗はやめて帰ってくるんだ!』っていうシーン。あそこで、『お前らが帰らないのなら、父さん飛び降りちゃうぞ!』って言うセリフと行動を加えようと思うのよ。ねえ、面白いでしょ――って、ちょっと白木君、何で逃げるのよ! 四ツ木君、楓ちゃん! 捕まえて!」
 彼女の言葉が終わる前に、一目散に逃げ出した俺に対して、彼女は近くにいた後輩二人(駆け落ちする二人の役)に俺を捕まえる指示を出す。
「って、わ、わあ! 止めろ四ツ木! テメェ締められてぇのか! っつか楓、お前まで何で!? 俺のことを思うんなら離してくれ!」
「はいはい先輩。言いたいことは分かりますが、如何せん浮牢先輩の勅命なので僕に拒否権は無いんですよ」
「いかどうぶ~ん」
 後輩、四ツ木渉の堅苦しいセリフと、俺の彼女、千堂楓の対照的に軽いセリフ。そして二人は俺を羽交い絞めにしたまま浮牢先輩の元へ連れて行く。
 冤罪で断頭台へ連れて行かれる死刑囚の気持ちが、少しだけ分かった。
「ふっふん。逃げても無駄だよ白城君。あなたがここから飛び降りることはもう何千年も前から決定されていた事実なのだから」
「いや! 今この場で適当に決めてただろうがあんた! そんな何でもかんでも運命みたいな言い方しても何のフォローにもなってないんだよ!」
「もう。潔くないね。男ならどどんと一発でっかいのを出そうって気が起きないのかい?」
「起きません! たとえヘタレと言われようが何と言われようが、こればっかりは絶対に嫌です! 俺は、例えどんなにみっともなくったって、絶対自分の能力以上のことはやらないって決めてるんですよ。だから止めてくださいこの事態は俺の処理範囲をかなり超えていますから!」
「むぅ、面白くないなぁ。飛び降りてくれたら絶対に面白いのに。ほら、ことわざでもあるでしょ、『清水の舞台からゴムなしバンジー』」
「どっから突っ込めばいいか分かりませんがっ、とりあえず手始めに突っ込んどくと、あそこは生存率八十五パーセントだそうですよ奥さぁん!」
 十五パーセントは死んじまうんだよこの野郎! と半ば自棄になりながら叫ぶ。もうプライドなんてカケラも残っていない。
「そんな細かいことはどうでもいいのよ。――ねえ、四ツ木君、楓ちゃん。君たちも白城君の決死のバンジーを見てみたいよね?」
「はい、もちろんですよ。それこそ芸人魂という奴です」
「とりあえず四ツ木! テメェはあとで講堂裏にきやがれ! 正義の制裁を食らわせてやる!」
 浮牢先輩の問いかけに対して即答しやがった四ツ木に怒鳴り散らす。もう余裕が無いのだ。だって先輩の目はマジなんだもん。
「か、楓。お前は別に俺のそんな情けない姿見たくないよな?」
 最後の味方、千堂楓。彼氏のことを少しでも心配してくれるのなら、ここで止めてくれ頼むから――
「陽君」
 楓の口が、開く。
「こんなところから飛び降りるなんて、勇気あるね!」
「ぐ、お」
 あまりにも純粋な瞳に、思わず後退。なんで、なんでそんなに俺がここから飛び降りることを信じて疑わない、無垢な表情を浮かべることが出来るんだこの娘は!
「うんうん。楓ちゃんは分かってるねぇ。白城君はいったん言われたら断りきれないヘタレだってことが」
「こらそこぉ! なんでそんな風にしか見れねぇんだよ! ってか俺が断れないことは前提条件なんですか!?」
「じゃあ、今まで私の提案を一度でも断れたことあった?」
「え……、う」
 無い。よく考えてみたら一度として無い。一回だけ、先輩自身が見逃してくれたことがあったが、それ以外では一回も無いよ。
 ヤバイ。これは明らかな死亡フラグだ。何とかして抜け出さないと大変なことになる。
 そんな風に云々と困っていると、横からチャチャが。
「先輩、男らしくないですよ」
「そんなに言うんだったらお前が飛び降りろやこら!」
「だって僕は別に飛び降る必要ないですもん」
「調子のいいときばっかり逃げてんじゃねぇ!」
 まずい、と思う。
 このままでは、明らかにこのクソ寒い中、水中ダイブ決定だ。凍てつく水と一つになるなんてことは俺は絶対に嫌だ!
「だ、誰か助けて、くれ」
 周りを見渡す。いつの間にかサークルのメンバー全員が集まってきていた。ある者は哀れみの目で。ある者は明らかな好奇の目で。またある者は完全な部外者の目で。
 一つだけ確かなのは、その中に俺の味方は一人もいないというショッキングな事実だ。
「というわけです。先輩。腹くくりましょう」
「ってどういうわけだよ! お前ら絶対に楽しんでるだけだろうが!」
 後ずさり。後ろに下がるにつれて滝に近づいていくのは分かるが、前進できるような雰囲気ではない。自然、俺はどんどん追い詰められていく。
 それでも必死に抵抗はする。例え焼け石に水だろうと、抵抗をやめた時点で俺の負けは決定なのだから。
 しかし、その無駄な抵抗も、終わりを迎えることになる。
「もう――」
 しびれを切らしたのか、浮牢先輩がニヤニヤと笑いつつ、腕をあげて、
「いい加減、覚悟決めなさい!」
 軽く、叩かれただけだった。
 だけど、丁度みんなの方に気を取られていたため、俺は不意打ちを食らう形になった。
「い、あ?」
 身体のバランスが崩れる。
 それを立て直そうと、反射的に右足で踏ん張ろうとする。
 だけど――ここは、川岸である。
 もちろん水で濡れて、滑りやすい。
 結果を言うと、踏ん張ることができず、右足もまた滑りました。
「――ん、の」
 身体が後ろのめりになる。
 最後の足掻きで、空に浮いた左足を後ろに引く。かなり無理のある動作。実際かなりやばかったが、何とかやり遂げた。あとはこれで踏ん張れれば、落ちずにすむ。
 ――だけど、現実は甘くない。
 左足が踏ん張れるような大地は存在しなかった。
「――って、ええ!?」
 すでに、身体は崖の外に出ていた。
 みんなの驚く顔。
 呆気にとられた浮牢先輩の顔。
 なんだか楽しそうな楓と四ツ木の顔。
 ――引きつる俺の顔。
 ああ、死んだな、って本気で思った。
「け、」
 だから、最後にこう叫んだ。

「決死のダイブ、ただし後ろ向きのゴムなしバンジー! 挑戦者募集中うううぅ!」

 …………。
 とっさにしては、とりあえず面白いセリフが出てきたのではないかと思う。(ただ単にトチ狂っただけのようにも見えるけど)
 そして、今日へ――


◇◆◇


 ――そして、熱がでましたと。
 ちなみに、落ちたときに背中をしこたまぶつけたために冒頭の地獄がある。
 寝転がっているだけでも痛いこの背中。しかたないので横向けに背中を丸めるようにして寝ている。熱でぼうっとしているためにたまに何も考えず仰向けになろうとするが、そのたびに痛みが襲ってきて現実に戻される。ああ、悪循環! 誰か助けてくれ!
 と、涙目で痛みに耐えること数時間。やっと眠気がやってきたところで携帯が鳴った。
「あ? 誰だ?」
 布団から這い出しながら携帯を手に取り、通話ボタンをプッシュ、
『やっほー。白城君元気ぃ? 人生エンジョイしてるぅ!?』
 ブチっ!
 反射的に通話をきっていた。
 …………。
 さて、どうも幻聴が聞こえたようだ。いやね、まさか浮牢先輩の声が聞こえるとは。やばいやばい。いい加減休まないと今度は幻覚まで見えるかもしれないな。
 そう思いつつ布団に戻ると、また携帯がなった。
「…………」
 鳴り止む気配なし。
 本当に仕方なく、俺は携帯を手に取る。
『こっらー! いきなり切るんじゃないこの馬鹿ぁ―っ!』
 あー、切りてぇ。
 そういう気持ちを抑えつつ、俺は仕方なく口を開く。
「いきなりなんっすか先輩。マジできついので勘弁して欲しいんですけど」
『こうやって心配して電話かけているというのに、どうして白城君はこんなに冷たいの? 渡し悲しい。るーるーるー』
「うるさいです今度こそマジできりますよ電源まで」
 余裕がないので途中で区切らずはっきりと言い放つ。
 そんな俺の突っぱねた感じが面白くないのか、先輩は「むむ、今日の白城君は随分と歯切れが悪いぞ。さては君、白城君ではないな!?」などと言い出した。
「……先輩。あんた、俺が今どういう状況か分かってますか?」
『え? どうかしたの?』
「…………」
 殺意が湧いてきた。
「昨日のこと、忘れやがったんですかあんたは」
『え、ああ。あのゴムなしバンジー? あはは、あれは面白かったね。白城君ノリノリだったし』
「あれのどこがノリノリ!? 明らかに嫌がってただろうが!」
『こら、先輩には敬語だぞ☆』
「可愛く言ってんじゃねぇよこの諸悪の根源!」
 ☆って言うな☆って。
 一人ごちりつつ、俺はくらくらする頭を押さえながら答える。
「風邪ひいたんですよ。風邪。熱が三十八度三分。正直頭がぼおっとして今にも倒れそうなんです」
『え? 風邪? またまたぁ、そんな嘘を。だって、馬鹿は風邪をひかないって言われてるじゃない』
「…………」
 言ってくれるねぇ、先輩。
 額に青筋が立つのが分かる。ははは、耐えろ。ここで怒っても体力の無駄だ。
 先輩に分からないように二、三度深呼吸。うん、落ち着いてきた代わりに頭痛が再発してきた。頭痛が痛いっていうのは文法的におかしいのはよくわかっているけど、気分としては間違ってませんよみなさん。
「……あー、あの、別に用がないんならもう切っていいですか? さすがに冗談じゃなくきついんで」
『そんなに切りたかったら、目の前の私を斬って行け!』
 ブチッ。
 ツーツーツー。
 プルルルルルルルル
「はい」
『本当に切るなぁ!』
「お掛けになった電話の持ち主は、現在会話ができる余裕がありません。ご用件のある方は、ぴーという単語の後に、速やかに言いたいことを述べて切ってください。ぴー」
『あ、もしもし陽? あたしよ夏帆。この間の海は楽しかったね! また行きたいね! むしろ生きたいね! っと。ネタはここまでにして。んじゃ、あとは楓ちゃんがお見舞いに行くらしいから、ちゃんと男としての節操を保つんだぞ☆ そっかぁ。お見舞いかぁ。いいなあこの色男。ヘタレになりたくなかったら押し倒しちゃえ! じゃあね!』
 言いたいことを言い終わったのか、やっと電話が切れた。
 そして静寂が戻ってきた。
 …………平和だ。
「平和って、こんなに幸せなものだったのか……」
 我ながら、とても間違った捉え方だった。まあ、どうでもいいけど。
 しかし、今日は随分と先輩のテンション高かったな。
 そんなことを思いながら俺は体の力を抜く。さて、寝よう。

◇◆◇

 安眠という名の全て遠き理想郷が理不尽にもぶち壊されたのは、それからしばらく経った後のことだった。
 ドンドンドンッという乱暴に扉を叩く音。いくらチャイムがないからと言って、そこまで強く叩かなくても……。
「うーん。いないのかな……。あ、開いてる。じゃあ、おっじゃましまーす」
 じゃあ、じゃねぇよ、と突っ込む暇はなかった。
 がちゃり、と扉が開かれ、聞き慣れた、間の抜けたような声が呼びかけてきた。
「陽く~ん。生きてる?」
「……死んでる」
 正直に答えると、「あはは、だったら答えられないじゃん」と常識的なことに対する返答が返ってきた。
 ふらふらとする頭を我慢し、布団から起き上がると、玄関の所には楓の姿があった。
 千堂楓。俺の一個下で、大学一年生。耳の上で二本にくびったツインテールがチャームポイント。童顔なのでそのツインがよく似合っている。あと、目が悪いためいつもメガネをかけているのだが、それが妙にミスマッチしてまた似合っている。
 で、彼女は俺の彼女である。
「もう、心配したんだよ。神谷君が、陽君熱出したらしいって教えてくれたから来れたけど。大丈夫?」
「大丈夫じゃないけど大丈夫。楓が来てくれただけでもう大丈夫」
 うん。ホント。
 嬉し泣きで目の前が見えなくなるかと思った。
 そんな風に感涙にむせび泣いていると、楓が不審そうな表情で「……ホントに大丈夫?」と再確認してきた。そんな一言すら、今の俺にはありがたい。
 正直、一人暮らしで風邪を引くことほど苦しいことはない。体調が悪くても誰が見てくれるわけでもないし、食事やらなんやらは結局自分で準備しなければならない。そんなとき、家族と暮らしていたときのありがたみが身にしみて分かる。というか、現在進行形で感じている。
「うーん、じゃあ、とりあえず何か作るね! 何がいい、陽君」
 そう、にっこり笑いながら手に握ったスーパーの袋を見せる。
 おお、その袋はもしや……。手料理か!?
 まさか、このタイミングで彼女の手料理という重大なイベントを消化できるのか!?
 な、なんて幸せなんだ!
「んと。で、どれがいい?」
「へ?」
 ガッツポーズをして喜んでいるところ、楓がごそごそとスーパーの袋の中を漁りながら言ってきた。
 別に何でもいいよと答える間もなく、楓が机の上にいろいろ乗せてきた。
 ……これは。
「カップ、……」
「オススメはこれ、『バリうまとんこつ』。豚骨ラーメンのあのこってりした感じがよく出てるの。あと、『昔なじみのソース焼きそば』。ソースがいいよソースが」
 それと……と楓はさらにいくつかオススメを言ってくる。それらのカップ麺は、正直値段的な問題で今まで食べようとも思ったことのないものばかりで、正直食べたいという欲求がありはするのだが、如何せん風邪を引いた状態では食欲はそんなないわけで。
「あの、楓?」
「ん? どうしたの、陽君」
「いや、なんか作ってくれるんじゃ」
「うん。だから早く選んで。好きなの作ってあげるから」
「…………」
 作るは作るだけど、それは料理じゃねぇ!
 なんて突っ込みは、とても出来るような雰囲気ではなかった。
「あ、じゃあ、『シーフードヌードル』で」
「分かった。じゃあ、私は『デカ王』を食べさせていただきます」
 にっこりと笑ってその二つを手に取る楓。……って、お前も食うのかよ。
 なんだか嬉々とした足取りですぐ隣の台所へ向かう楓を見送り、俺は聞こえないようにため息をついた。
 まあ、なんだ。あれでもかなりいい奴なのだ。少なくとも、彼氏が風邪ひいたと知ったらすぐさまお見舞いに来てくれるくらいには優しい奴なのだ。ちょっとばかり天然ボケの気があるけど、それだってある意味では魅力になる。
 うん、だからこれはありがたいことだと思っておこう。丁度お腹が減ってはいたのだ。まあ、カップラーメンでも腹に収まれば変わらない。
 そう思いながら、俺は視線だけを台所の方へやった。
「わっ。っきゃ! 水こぼしたぁ。って、わわっ。いったぁ。ぶつけちゃったよ。ん、え、ええ? うきゃっ」
 ごんっ。という音と共に、バタンっ、という音が響き、続けてどんがらがっしゃーん、というどこか古い擬態語が似合う効果音が聞こえてきた。そして、「うわぁ。すごいことになっちゃったぁ」という楓の間の抜けた声。
 ちなみに、ここからじゃ台所の中はほとんど見えないが、かろうじてフライパンが地面に落ちてこちらの部屋にはみ出ているのが見えた。随分と哀愁を誘う光景である。
「…………」
 突っ込むなよ。俺。
「ううう、とりあえずカップ麺は無事。頑張れ、私! ――うげっ」
 そんな、女の子らしからぬ声が聞こえたと思ったら、次の瞬間「あ、『シーフードヌードル』が!」という悲痛な声が聞こえてきた。
「…………」
 訂正しよう。『ちょっと』ではない。『かなり』天然な女の子だ。
 加えて、とんでもないドジだ。
 音だけ聞いてても分かる。台所がどんどん大変なことになっているのが。如何せん布団の位置からは台所がどういう状況になっているのかが見えないから、余計に想像力が働き、恐ろしさが増していく。
「あー、楓。あのさ」
「だ、大丈夫! ちゃんと一人で出来るもん!」
「いや、一人で出来る出来ないの問題じゃなくて」
「大丈夫ったら大丈夫! だから陽君は安心しておとなしく寝ててよ!」
 安心できないんだよ! という悲痛な心情は言葉に出来なかった。
 いや、怖すぎる。一体どうなるんだよこれ。まさかカップラーメン一つ作るために台所全滅とかならないよな……。って、何をそんな変な想像をしているんだ。いくらなんでもそれは失礼だぞ。そんなことあるわけないじゃないか。
 あるわけ、ないじゃないか。
 ある、わけ……。
「……あったりしてな」
 頼むから何もやらかさないでくれよ楓。
 頭を抱えながら、半ば本気で最悪の状況を想像しながらそう祈った。
 そして、五分後。
「はぁ、はぁ。はいっ、陽君。でけたよ」
 何故かカップラーメンを作るだけで息を荒くして戻ってきた楓は、お湯を入れてあるのであろうカップラーメンを両手に二つ持っていた。
 左手には、楓が食べるであろうデカ王。ちょっとふたがぐちゃぐちゃになっているのが、なんだか哀愁をさそう。
 そしてもう片方の右手には、気のせいだと信じたいけどちょっと容器に傷が入ってるように見える、シーフードヌードル。
 ……ツッコミどころが満載だ。
「あ、ああ。サンキュー……」
 しかし、ヘタレが定着し始めている俺がそれを突っ込めるわけもなく、また楓のその期待のこもった瞳を前に文句を言うわけにもいかず、とりあえず礼を言った。
「んじゃ、そろそろ三分経つから、食べる?」
「ああ、そうだな。とっとと食べて寝るわ」
 そのほうがいろいろいいだろうと思う。現実逃避というな。本当のことなんだから。
 楓が、二つのお湯入りカップ麺を持って近づいてくる。ちょっとふるふると危なっかしくも、ゆっくりと歩いてきている。
 不幸だったのは、近くに電気の延長コードがあったことだ。
 どうしてあんなところに置いていたんだろうと、後になって思う。だって、使っていなかったのだ。ぐるぐると丸めて置いていただけだったのだ。だったら仕舞っとけよという話なのだ。
 しかし、そんなことを今更後悔しても遅い。
 天然でドジな楓が、そんな条件の下、どういうことをやらかすかは火を見るよりも明らかだろう。
 楓の足が延長コードを踏み、バランスを崩す。
「あ――」
 楓が呆けたような声を漏らす。崩れたバランスを整えようと、もう片方の足で踏ん張ろうとする。……が、手に持った二つのカップ麺はそう簡単にいかない。お湯が入ってるのである。こぼれそうになる。
 それを無理やりこぼさないように楓は奮闘する。その所為で、彼女の体が前のめりに。
 そして、楓の前――つまりは、寝ている俺の方へ、カップ麺が二つとも向けられる。
「――え?」
 何が起きたか分からないために漏れた疑問の声が、妙に乾いて響く。
 目の前に迫る、楓と、二つのカップ麺。
 お湯が、盛大にぶちまけられる。
 そのお湯は、やっぱり俺に向かってくる。
 捨て身のギャグなんて思いつかなかった。
 ただただ、言葉に出来ない地獄のような熱さが、無情にも俺の顔面にぶちまけられた。

◇◆◇

 もし地獄というものがあるのならば、多分こういうものなのだろうというような苦しみが、そのあと三十分ほど俺を襲った。
 顔面にである。この俺の、決して良いとはいえないまでも大切であることに間違いはないフェイスに、実に九十八度という高温の熱湯がぶちまけられたのである。そして、それに加えて攻撃はさらに続いたのである。
「あ、ご、ごめんなさいっ! わ、私足引っ掛けちゃって」
「ぎゃあああああああ、い、痛い痛いイタイイタイイタイイタイ! やめ、ちょ、ま、やめてく、ぐ、ぎゃあああああああああ」
「わ、わ、わ! ちょっと動かないで! またこぼれちゃう。う、うきゃあ」
 描写不能。
 熱いっていうか痛い。
 とりあえず、落ち着くまで理性を放置。
 その代わり、感情を最大限に開放する。

 ………………。
 …………。
 ……。

 叫び、うめき、転げまわること約五分。
 どうも、始めにこぼれた分はたいした量じゃなかったらしく、二回目にこぼれたときのダメージが大きかった。そもそも、一発目の熱さに七転八倒して転げまわった所為でまた楓のバランスを崩させてしまい、そこから一気に全身へとお湯がこぼれることに。顔面どころか腕やら足やら全身のいたるところに大火傷を負った。
 真剣に、あの世が見えかけた。
 これほどの苦しみはあの地獄以来じゃないだろうか。いや、決して大げさじゃなく。あの時は精神だったのに対し、今回は肉体だったという差はあれど、地獄は地獄。後遺症の方も含め、瞬間的なダメージが大きいのはこっちだし。……というか、二発目以降は拷問以外の何物でもない。途中からは自業自得気味だからなんともいえないけど。
 地獄の一端を知りたい人は、一度お試しあれ。真剣に死ねるから。
 まあ、何はともあれ。
 今俺は、火傷した箇所を氷で冷やしながらおとなしく布団に寝ている。
「あー。もう痛みも感じねぇよ」
 全身がジンジンと麻痺している。さっきまでの熱さと痛みを考えるとありがたいが、治ったわけではないので安心は出来ない。というより、治るまでの間こそ酷いだろう。火傷って結構時間かかるからなぁ。
 ちなみに、応急処置は全部楓がやってくれた。何故か知らないが、楓の妙な手際のよさに驚いた。熱さで暴れてもみくちゃになっていたときはどうしようもなかったが、俺が落ち着いてからの楓の行動は早く、てきぱきと氷やらなにやらを用意してくれた。
 ……うん。なんだ。どうしてこう怪我の治療だけは上手いんだ楓。
 持ち前の天然でしょっちゅう怪我をしているんじゃないかと勘繰りたくなるくらいだ。まあ、原因は多分『あれ』なんだろうけど。もうその影響はないはずだからやっぱりドジなんだろうかな。
「うーん、そこまでひどくならなかったみたい。良かったね」
「あー、そうなのか。なんか感覚がないんだけど」
「氷で冷やしているから瞬間的になくなっているだけだよ。そのうち痛覚戻ってきて苦しいだろうから」
「…………」
「ごめんね、私が不注意で怪我させちゃって」
「いや、だけどこんなに丁寧に処置してくれたし」
 それに、意外な姿も見れたし。なんだか楓の姿が眩しかった。
 いや、いつもがいつもだから、こんな風に頼りになる姿を見ると絶滅しちゃった動物でも見ているような気分になってしまう。我ながら失礼なたとえかもしれないけれど、それくらい珍しいのだ。
 これはこれで新しい魅力だ。いつもは見ることの出来ない一面発見。……発見するためには全身に高温のお湯をかぶせられなければならないというのも嫌だけど。
「ん、じゃあ改めて別の食べる?」
「……勘弁してくれ」
「うん、分かった。じゃあ薬だけでも飲んでおく? どこかに薬か何かあるかな」
「あー、薬だったら救急箱の中にないか。もしないんなら、救急箱があったとこの近くにあるはず。まとめて置いてたから」
 俺がそう言うと、楓は分かったと言って救急箱の中を漁る。ちなみに救急箱は、先ほど火傷の治療に使えるものがないか確認したときのまま、部屋の中央の机の上に出しっぱなしにしてある。なにぶん治療は焦って行われたので、中身は机の上に無造作に散らばっている。その周りに、何かいろいろ増える。
 その後で救急箱が入っていた棚を漁る。
「これかな……いや、熱冷ましって書いてあるから違う……。じゃあこっちか。えーと、あ、これも……わきゃっ」
 可愛い悲鳴が聞こえる。
 頭を上の角にぶつけたらしく、「くぅぅ」とうめいている。
 ……あーくそ。可愛いな。
「はい、いくつかあるから、まとめて陽君の近くに置いておくね。今水汲んでくるから」
 やがて、いくつか薬が入っているであろう袋を持ってきて机に置くと、楓はそう言いながら台所の方に引っ込んだ。
 俺は感覚のない体を慎重に動かし、机の上を見る。えーと、いろいろ散らばってるな。手前の方の薬袋でいいのかな。眩暈のする中、そんな基準で俺は手前の紙袋を取る。中をあけてみると、錠剤が入っている。どうやら正しかったようだ。それの一つを切り取って机に置く。と、あと何個かあるんだっけ。
 台所からは、さすがに慣れたのか、どーんとかバーンとか言う面白くも恐ろしい音は聞こえなくなった。その代わりに、楓の「大丈夫、大丈夫、大丈夫ったら大丈夫」という呪詛じみた小言が聞こえてくるのが逆に怖いのだけれど。
「なあ、楓。お前台所で一体何をやってるんだ」
「へ? 別に何にもやってないけど」
「いや、だってさっきから物凄い音ばかり」
「そ、それより、お水。はい、どうぞ」
 そうやって、楓は手に持ったものを渡してくる。
 これは、おわん?
 差し出されたのは明らかに湯のみとは違う種類の食器であった。確かに水を入れるという用途自体は正しいのだけれども、しかし常識の斜め上を言っているのは間違いない。っていうか、そもそもこんな間違いするかふつー!?
 もしかしたらふざけているのではないかと思って楓を見てみると、彼女はいたって真面目な表情をしていた。むしろこうやって見つめる俺のことを不審そうに見つめ返してきている。
「……ああ。サンキュ」
 間違いを正す精神的余裕はないので、スルーすることに決めた。そもそも、火傷騒動で忘れかけていたが俺は今熱を出しているのだ。あれだけ暴れまわったんだからむしろ悪化しているかもしれない。ここはおとなしく風邪薬を飲んで寝ておくのが得策。
 錠剤を呑むと、妙に気が緩んできた。
「はあ、とりあえずもう一回寝るか」
「あ、じゃあ私もう帰ったほうがいい?」
「別にいいけど、どうする?」
「うーん。でもいても邪魔になるだけだろうし、いったん帰るね。研究会にも一度くらい顔出しといたほうがいいだろうし」
「おう、じゃあな」
「うん、それじゃ、あ、…………え?」
「ん、どうした楓」
 帰りのあいさつを交わすときに、楓の表情が一変した。
 笑顔が引きつっていた。なんていうか、見なければ幸せだっただろうなというものを見てしまって固まったような、そんな表情。絶望的な事実を突然告げられたらこんな表情をするだろう。――その視線の先には、中央の机がある。
 って、机?
「ね、ねえ、陽君。も、もしかして」
「うん? どうしたんだよ楓」
「あ、あのね、落ち着いて聞いてね。もしかして陽君、この袋の中身飲んだ?」
 そうやって見せられたのは、先ほど俺が一番始めに手に取った袋だった。えーと、それがどうしたんだ?
「……ごっ、ごめん、なさい」
「おい、どうして謝る」
「も、……申し訳ないので、今のうちに謝っておきます。ごめんなさい」
「いや、分けわかんないし」
 もう完全に、初めて出会ったばかりのときのような元気のない敬語になっていた。その様子に一瞬どきりとするが、それが完全に申し訳ないという感情から来ていることが分かり、後悔にトリップしかけた思考を無理やり戻す。
 楓の怪しい様子の解明のために、彼女の持っている袋をよく見る。
 ――すると、その袋の表面に書いてある重要な単語が、真っ先に目に飛び込む。

『下剤』

 …………はい?
「か、片付けておくべきだったんだけど、その、なんていうか、どこにどう置いていいのかもわかんなかったし……。とにかくごめんなさい!」
「…………っ」
 思わず口を押さえる。
 だがどうにもならない。もう飲み込んでしまっている。取り返しはつかない。このままあの錠剤は食道を通って胃へといき、消化されて本来の作用を身体に及ぼすだろう。
 つまりは、そういうこと。
 出るものが必要以上に出るってこと。
「ごめんなさい……」
 ひたすら謝る楓に対するフォローなんてする余裕はなかった。
 とりあえず俺は、そのあと数十分後に訪れるであろう爆弾に備えて冷や汗を流すことしか出来なかった。

◇◆◇

 結局薬によって恣意的に起こされた便意には三時間以上悩まされ続けた。
 風邪でだるい上に、ところどころに火傷を負っている状態である。そんなところに三時間近くずっとトイレに行ったりきたりを繰り返したのだ。これを地獄と呼ばずなんと呼ぶ。しかも、途中で体の感覚が戻ってきたために、火傷を負った皮膚が痛くて痛くてたまらない。もう何度このまま倒れこんだら幸せになれるだろうかと思ったものだが、そのたびに便意が俺を叱咤激励し、限界以上の力を出させてトイレに向かわせたのだ。
 やっと内容物が出なくなったのが三時間後。その頃には、俺はもうゾンビの方がましだと思えるほど消耗しきっていた。
「きょ、今日は厄日か」
 いや、そもそも厄日は昨日からか。
 ちなみに、火傷の所為で完全に忘れていたのだが、俺は昨日の紐なしバンジーで腰も少し痛めていたのだった。腰に無理をかけない限り大丈夫なのだが、たまに気を抜いて立ち上がろうとすると、グギギっていう擬音語が聞こえてきそうな痛みが走るのだ。
 もう今日一日で何度目だろうな。死ぬって思ったのは。
 あの後、楓は申し訳なさそうな様子のまま帰った。というより、無理やり帰らせたと言うのが正しいかもしれないけど。あのままだったら、もしかしたら彼女は今でも謝り続けていたかもしれない。
「まあ、これはあいつだけの所為ってわけじゃないしな」
 下剤と確認せずに飲んだ自分が悪いのだ。つーか、どうして使いもしない下剤があるんだよ俺。ふつう下剤なんていらないだろうが……。
 もう心身ともに疲れ果てて布団に突っ伏している。火傷した皮膚がずきずきする。腰に違和感を覚える。頭がぼおっとする。顔が火照っている。とにかく、泣きっ面に蜂という言葉そのものの状況だった。
 携帯電話が鳴りやがったのは、そんなときだった。
「……くそ。何だよこんなときばかり」
 普段はほとんどならない電話が恨めしい。
 もう画面を確認するのも忘れて通話ボタンを押した。
「はい、どなたですか?」
『やっほー。久しぶり、陽兄。私だけど』
 可愛い声に反して違和感のない男言葉が聞こえてきた。
 聞き覚えのある声。これは……
「ん? もしかして、小鳥か?」
 電話の相手は、二つ下の妹の白城小鳥だった。
『あれ、もしかして陽兄風邪ひいてるのか? なんだか声がかすれてるけど』
「まあそんなとこ。ちょっといろいろあって――と、それはいいや。それより、どうしたんだ急に」
『ああ、ちょっと頼みがあってな。ほら、私って受験生だろ?』
「そういやそうだったな。おかげで今年は実家に帰るのも控えたんだし。そっか、もうセンター試験も終わったし、二次試験だな。どこに行くのか決めたのか?」
『それなんだがな、志望校は地元にしていたんだけど、思いのほかセンターの成績が良かったから変えようって話になったんだ。それで、そっちにいくことに決めた』
「ん、そっちって?」
『だから、陽兄のいる大学。会場はそっちだから、受験の日はそっちに行くんだけど、できたらその前後で泊めて欲しいんだが』
「ああ、なんだ。そんなことか。別にいいよ。二日くらいなら別に大丈夫だろ。なんなら俺が部屋出て行くし」
『良かった。それじゃあ、よろしくな。あとで詳細な連絡はするから』
 そうして、二言三言話して電話は切れた。話に聞く限り、受験で大変そうではあるけど元気ではあるようで安心した。
 ふう、問題はこっちのほうだな。
 自分の現状を確認する。まず風邪はヤバイ。受験生に風邪をうつすわけにはいかないし、あいつが来るまでの間には治さなきゃならんな。
 まあ、試験日まではまだ少しあるし、それまでに治ってればいいか。
 ……しかし、小鳥も大学生か。
 まあ、ちゃんと合格すればの話だけど、あいつなら大丈夫だろう。となると、どこに住むんだろうな。その辺の話も合格したら両親と一緒にしないとな。
 まあいい。今はそんなことを考えずにしっかりと寝よう。
 そうして、俺はもう一度眠りの中に落ちていった。

◇◆◇

 暑苦しくて目が覚めた。
 寝汗をかいたらしい。冬だというのに暑いというのは贅沢だなぁなどと思いながら、ゆっくりと目を開く。
 天井が見える。微妙にかすんで見えるのは、まだ頭がしっかり働いていない証拠だ。ちなみに、パッと感じる限り体の不調は今も継続中……そういえば、熱は下がったかもしれない。熱っぽさだけはなくなっていた。
 その代わりに、額に何か生ぬるさを感じる。なんなんだろうこれは。思いながら無造作に右手で触れると、濡れたタオルのようなものが落ちた。
 …………え?
 不思議なことに内心首をかしげる。少なくとも、俺は寝るときにこんなものを乗せた覚えはない。
 と、その時、今更ながら左手が握られているのに気づいた。
 顔を横に向け、視線をそちらのほうに移す。
 手が握られている。俺の左手を両手で包み込むように握った当人は、そのまますやすやと寝息を立てて畳の上に寝ていた。
 楓のあどけない寝顔が、なんとも可愛らしい。
 寝たまま枕元に置いている時計を確認する。午後九時。少なくとも、俺は七時間近く寝ている計算になる。楓はその間に来たのだろう。
「っ痛ぅ」
 もはや慢性的になりかけている身体の痛みに顔をしかめつつ、上半身を起こしてみる。
 そのあと、部屋をおもむろに見渡す。
 机の上で散らかっていたものが薬箱の中にちゃんと納まって片付けられていた。
 下剤の効果で地を這っていたときに散らかした諸々のものが片付けられていた。
 ここからじゃ見えにくいが、どうも台所の方も綺麗になっているっぽかった。少なくとも、地面に落ちているのが見えたフライパンはなくなっている。
 他にも細かいところが片付けられている。あの大暴れのあとで、今だから思うが相当酷い有様だっただろう。それが、ぎこちなさや不器用さはあるとはいえ、しっかりと片付けられている。単純に、かなり大変だったはずだ。まして、片付けなんかに慣れていないお嬢様である楓ならならなおさらだ。
「……ようくん」
 楓が寝言を呟いた。むにゃむにゃと、随分と幸せそうに寝ている。まるで何かをやり遂げて疲れきっているように。
 もちろん、負い目もあったのだろう。
 確かに、半分以上は彼女の所為だ。彼女が来なければ、寂しく寝ている代わりにここまで苦しい思いはしなくてすんだはずだ。――でも、彼女が来たおかげで救われたのも確かだが。
「ああ、畜生」
 ガシガシと、あいている右手で乱暴に頭をかく。
 楓がこんなことをしてくれたってだけで、俺はかなり参ってる。お見舞いに来てくれただけでも十分幸せだってのに、慣れない掃除までやってくれたことを思うと、胸がいっぱいになる。

 ――そして、申し訳なさでいっぱいになる。

 楓の無垢な寝顔。その顔は、安心しきって弛緩している。俺を信頼してくれているのであるのだというのがよくわかる。
 そう、俺はこんなにも彼女から信頼されている。

 ――俺は、あんなにも彼女を苦しめたというのに。

 不意に過去の映像がフラッシュバックする。

 ――泣いている楓。
 ――能面のような表情。
 ――涙だけが次々にこぼれて。

 そんな表情を楓にさせたのは、もちろんあいつもだが、それ以上に、俺に原因があるわけで……。
 その思いが、深く沈んで浮かび上がりそうになった心を押さえつける。
「ありがとな。楓」
 せめて、と俺は彼女の寝ている頭に手を添える。撫でるとくすぐったそうに彼女は顔を動かした。
 ちょっとした風邪程度で、随分と大変な目にあったが――この寝顔が見れただけでも、俺は幸せだった。

◇◆◇

 えーと、オチというか、後日談的に言うことがあるといえば確かにある。
 火傷とかについては本当にそこまで酷くなかったらしく、次の日病院に行くと簡単な消毒薬貰っただけだった。病院の先生曰く、「九十八度の熱湯浴びた? 嘘をつくな」とのこと。随分とありがたい言葉だった。
 と言っても、これはさほど重要じゃない。じゃあ何だと言われれば、マジでたいしたことがないので拍子抜けされるかもしれないし、勘のいい奴は普通に分かっているだろうから言う必要ないのかもしれないけど、とりあえず義務として一言。

 あんな風に寝てた所為で、今度は楓が風邪を引きましたとさ。



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Author:西織
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