空っぽの知識
 かたよりまくった読書くんの日記
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『火炎鳥の涙』 第四章


 第四章。

 本当は分割するつもりだったんですけど、うまく半分に割れなかったので分割なしで。おかげですごいボリュームになっています。

 前半は、マグヌスの成長とカールスの追い詰められる最後のきっかけを。後半は、世界観説明にも似たハワードとマーカスの会話。(とりあえず昨日言っていた言語に関してはこれで全て)




 ちなみに、ここからはすごくどうでもいい話なのですが、ハワードがぼやいていた《ファンタジスタ》というのは、前にアップしていた『死に損ないのタイガー』の如月流霞のことです。彼女が雨苗と戦うときに使った魔法が、『ファントムガッシュ』の元。
 一応世界観は繋がっていて、『タイガー』の話の八年後の設定です。本当はその間にいろいろとあるんですけど、ちゃんと書きたいなぁ。(渚の次の話で言及してるんだけどそれも途中なんですよね)








 第四章 収束し始める物語


◇◆◇


 夜が明け、一日が始まった。
 マーカスが集落を出てから約半日。彼が戻る気配は一向にない。
 朝早く起きて、マグヌスは侍女たちとともにカールスの世話をしていた。
 カールスの容態は、はっきり言って悪かった。マグヌスには医学の知識はまったくないので具体的にどうまずいのかは分からないが、一向に下がらない熱や、消耗しきった様子を見るだけでも状態が悪いのは分かる。文字通り死線をさまよっているのかもしれない。
 治癒能力を持つセイラがつきっきりで看病をしているのだが、うまくいかないそうだ。いよいよ持って危険な状態になりつつある。
「……しっかりしてくださいよ、炎帝」
 呼びかける声に力がこもらないことを自覚する。弱気になってきているのだ。その思いを振り切るように、マグヌスはぶんぶんと頭を振った。
「なあ、セイラ。何かすることはないか」
 気分を切り替えるように、マグヌスは傍らにいたセイラに話しかけた。
「今のところは、急を要するものはないけど……。そうね。じゃあ、水を汲んできてくれない? まだ余りはあるけど、炎帝にはなるべく新鮮なほうがいいだろうから」
「分かった」
 マグヌスは立ち上がると、すぐに水を汲みに出かけた。
 向かう先は山の少し上のほうにある滝つぼである。大抵そこで、この集落の水はまかなわれていた。マグヌスは水を汲むための入れ物を準備すると、門のところまで歩く。
「ちょっと水汲みに行ってくるから。多分一時間もしたら帰ってくるよ」
「ああ、分かった。誰か付いていかなくていいか?」
「大丈夫。別に、すぐ必要ってもんじゃねぇから、手伝いなんて要らないよ。俺一人で十分だ」
 そう門番をしている仲間に声をかけて、マグヌスは山の中に繰り出した。
 ちなみにもう少し下にも門番がいる。集落の人間はほとんど負傷しているが、その中で比較的負傷の軽い者が警戒に当たっていた。
 しかし、それも焼け石に水でしかないことは、全員分かっていた。前回の戦力で敵わなかったのだから、次に攻めてこられたらひとたまりもないことくらい、嫌というほど理解してた。
 だが、それでも諦めるわけにはいかない。だって、自分たちにはもうこの山しか居場所がないのだから。
「……ったく、大丈夫だっての」
 気を紛らわせるために山に出たのに、考えることは集落の安否ばかりだった。自分がいない間に敵が攻めてこないか。そればかりが心配で、何度もそちらのほうに意識を向けてしまう。ここまで心配するのなら、最初からじっと待ち構えていればよかったのに。少し歩いてから、マグヌスはそんな不毛な後悔をし始めていた。
 マーカスが集落を出て半日。たったそれだけでも、マグヌスは言いようのない不安に押しつぶされそうだった。自分がどれだけ彼に依存していたことか。そして、集落の住人がどれだけ、マーカスという存在に支えられていたことか。それを嫌というほど思い知らされた。
 炎帝という象徴が倒れ、マーカスという足場が崩れた。そんな集落は、マグヌスからみても不安定だった。
 不安は尽きない。心配は増していく。別に急かされているわけでもないのに、マグヌスは自然と足を速く動かす。
 山を登り、滝つぼにたどり着く。集落を出て四十分といったところだった。途中、いつも使っていた道が倒木により塞がれていたので、遠回りして少し時間がかかってしまった。その僅かなタイムラグに焦燥しつつも、マグヌスは早く水を汲んでしまおうと水際に近づく。
 と、その時。
「――いっ」
 ドンッと、
 背後から、何かを叩きつけられた。
「が、ぁ」
 その衝撃で川の中に突き落とされる。瞬間的に、全身が水の冷たさに染め上げられた。
 何が起きたかを考える暇はない。水の中にいる間に、さらに二発、何かが水中に落とされた。
 突然襲われたことに対する混乱したままではあるが、マグヌスは懸命に体を動かして水面に上がろうとした。ごちゃごちゃ考えるよりも先に、安全を確保するほうが先だ。いきなり水の中にたたきつけられたため、しこたま水を飲み込んでしまっており、肺が空気を求めていた。
「は、――あ。ごほ、がは。はあ、はあ」
 水面に上がり、咳き込んで水を吐き出す。
 空気を吸うことに夢中になっていたため、すぐには自分のとった選択のミスに気づかなかった。不用意に水面から顔を出すなど、攻撃の的もいいところだ。マグヌスは慌てて辺りを確認する。
 と、上空から何かが迫るのが見えた。
 あれは――見覚えのある光の弾。僅か一日前に見た、忌々しき光の雨。
 それが迫ってきていた。
「ちぃっ」
 それを視認すると、マグヌスはすぐに水中へと潜り込んだ。今度は息をしっかりと吸い、潜水するように水の中を泳いでいく。
 水面に光弾が衝突し、高く水しぶきが上がる。マグヌスはそれを感じながら、できるだけ離れるように泳ぐ。
 早めに地面に上がらないとまずい。泳ぐことは得意だが、それでもいつまでも息を止めていることはできない。今にも苦しくなってきている息を飲み込み、マグヌスは懸命に手を動かす。
 水面に上がれば狙い撃ちにされる。かといって、水中にこのまま居続けるわけにもいかない。
 息が苦しくなってくる。何か、早く打開策を見つけないと。一箇所に居続けるのは狙い撃ちにされるだけなので、懸命に泳ぎながら必死で考える。
 ふと思い立って、マグヌスはズボンのポケットに入れていた炭素棒を握る。水中では、炎を伴った爆発に威力は期待できない。――しかし、威力に期待しないのなら。
 詠唱は水中なので無理。詠唱抜きで術を発動させなければならない。そういう方法もあるとは聞いていたが、それはまだ習っていないことだった。
 やり方は分からない。
 分からないが――やるしかない。
 マグヌスは炭素棒を四つに折り、ぐっと握りこむ。そして、マーカスに習った術を思い出す。

 狂えよ大気、惑えよ熱気
 叫べよ大源、弾けよ熱源
 轟き爆ぜよ、荒くれの王よ

 拡散の『魔法』。
 やり方だけ教えてもらって、いまだ成功したことのない魔術。
 その呪文を、マグヌスは一心に念じる。一度だけではその呼びかけは届かない。二度目、三度目。何度も何度も、同じフレーズを心の中で復唱し、念じかける。
 息は限界に近い。酸素を求めて口が開きそうになるのを無理やりかみ殺す。ここで口を開けば、その瞬間すべての空気を吐いてしまうだろう。
 苦しみの中、マグヌスは無我夢中で呪文を念じ続けた。
 それはまるで、暗闇の中で糸を手繰り寄せるような感覚だった。どこにあるかも分からない糸を探し、懸命に手を動かす。本来ならば不可能に近いことを、マグヌスは諦めずに続ける。
 普通ならば、そんな手探りで出来るようなものではない。魔術は科学と同じで理論なのだ。両者の違いは法則の違いだけで、根底と到達点にあるものは、実を言うとまったく同じもの。理論を無視した使用は、それこそ万に一つの確率でしか成り立たない。

 ――しかし、彼には、才能があった。

 その万に一つの確率を掴み取り、そして、誰もが望んだあの現象に手が届くほどの、途方もない才能が――
 見えるはずのない『可能性』。マグヌスはそれを認識すると、ぐっと、暗闇に紛れた糸を確固たる意思で握り引き込む。
 絶対に叶わないはずの幻想を、その手で引き当てる。
 ぱっと、マグヌスは手に握りこんだ四つの炭素棒の破片を離した。
 それは水中を漂い、少しずつマグヌスから離れていく。遊泳するかのように漂う四つの欠片。それらに変化が訪れるのはそれから間もなくだ。
 爆発とは、何も炎を伴ったものばかりではない。そもそも爆発の定義は、物質の体積が一瞬で著しく増加した状態のことを指す。もちろん、孤児であるマグヌスはそんな知識は持っていなかったが、感覚として悟っていた。
 行うのは熱を中心においた魔術。炭素棒はその触媒に過ぎない。ひとえに爆発と言えども、その概念の元からたどり着く結果は多岐にわたる。そして、マーカス・ケルフィンが研究していた魔術は、『爆発』の概念を体現させること。――すなわち。
 炭素棒の周りにある水が蒸発し、一気に膨張する。
 そのとき起きたのは、単純な水の分解。水が水素と酸素に分解され、液体が気体に状態変化したことにより体積が一瞬で増加。限られた空間で膨張した物質は――爆発という現象を起こす。
 結果、川の一角の水が吹き飛んだ。
 その衝撃に引きずり出されるように、マグヌスも水中から高く空へと舞う。体へのダメージ自体はさほどない。今心配すべきなのは、着地をどうするか。
 限りなく冷静な思考で考えながら、ふと地上を見る。そこに見知った人物が目に入った。
 ――彼は、マーカスが会いに行ったはずの人物。
 ローアン・クルセイド。
 その姿を見た瞬間、マグヌスは頭の中が真っ白になった。
「お、おおおおおおおぉっ!」
 叫びながら、水で張り付いたポケットの中から、触媒である炭素棒を取り出す。
 合計四本。今彼が持っているすべての触媒。
 それを、なりふり構わず後先考えず、上空に浮かんだ状態のまま、マグヌスはそれらを一斉にローアンへと投げつけた。
 呪文の詠唱はなし。
 今のマグヌスに、そんな建前だけの契約はいらない。呼びかけがなくとも、今の彼にならばすべての精霊は喜んで付き従う。
 投擲された炭素棒を中心に、穿つような直線の爆発が起き、四つの線がローアンへと向かう。
 ローアンは――
 ただ、静かにその場にたたずみ、その様を見ていた。
 当たった、とマグヌスは思った。
 しかし――
「――ぁ、が」
 自身の攻撃がローアンを貫くのを見届ける前に、頭部に強烈な打撃を受ける。
 その一撃で、痛みを意識する間もなく、マグヌスの意識は刈り取られた。


※※※


「――とりあえず、ありがとうございました。おかげで命拾いしましたよ」
 地に臥せったマグヌスを見ながら、ローアンはドローレスに礼を言う。
 マグヌスが放った四つの攻撃。それをよけるすべを、現在のローアンは持っていなかった。当たるギリギリでドローレスの光弾が届いていなければ、間違いなくお陀仏だっただろう。
『俺はただ魔術を行使しただけだ。実際にコントロールしたのはお前なのだから、別に俺が助けたことにはならない』
「いえ、その魔術を使ってもらっただけで十分ですよ。この長距離を攻撃できる魔術師は、それだけで限られてきますから」
 何せ地球の全長の四分の一ほどの距離を飛ばすのだ。並大抵の魔術師では真似できない。ドローレスは威力の低下を嘆いていたが、ローアンとしてはむしろ、この距離を飛ばしてもなお、相手を気絶させることができるほどの魔術を扱えることが驚きだった。
「まあ、それは置いておいて」
 ドローレストの通話をきると、ローアンはゆっくりと倒れているマグヌスへと近づいていった。
 この大事なときに集落を離れたマグヌス。それを見て、ローアンはすぐに行動に出たのだった。
「さて、と――」
 おもむろに、ローアンはマグヌスに手を伸ばす。
 が、その手は何か強い衝撃にはじかれた。
 拒絶するように弾かれた手は、僅かに熱を持ってひりひりと痛む。それをさすりながら呟く。
「……やはり、そうですか」
 呆れたように、ローアンはため息をつく。
 おそらく、彼に触れようとしても、まともに触れることは出来ないだろう。今のように軽い調子なら弾く力も軽いだろうが、もしこれで強く攻撃などしたら、どんな反発を食らうことか。
 ――一目見たときから、彼には異常な才能があることは分かっていた。
 彼の才能を端的に表すならば、全ての精霊が彼の前に跪いているのである。本来、人が下手に出て力の恩恵を分けてもらう相手に対し、マグヌスは膝をつかせているのである。
 理屈は分からない。しかし、それは確固たる現実。
 まるで全ての魔術師を馬鹿にしたようなその才能は、純粋に興味深かった。出来ることなら、このままマラに連れ帰ってホルマリン漬けにしたいくらいである。――しかし、今のローアンの目的にとっては、邪魔以外の何ものでもなかった。
 ギリシャ文字のハワード・カロルと戦ったときは残念ながら奮わなかったようだが、実際彼の才能は、ほぼ最強に位置する魔術師とタメを張れるほどのものである。今はまだ使い勝手が分かっていないようだが、いずれ彼は力の使い方に気づくだろう。
 今も、その前兆はある。
 例えば、先ほど彼が水中で行った無詠唱魔術。あれほどの高威力の魔術を、意志だけで引き起こす出鱈目さ。着々と、マグヌスはその才能を開花させていた。
 そのために、ローアンの計画が崩れるのはまずかった。
 本来ならば殺すべきなのだ。しかし、現状はこれである。無防備な状態であるはずなのに、最も攻撃するのが危険な状況。特に今は、マグヌスの心情に合わせて精霊も興奮しているため、こういう現象が起きているのだが。
「まあ、だったら利用してやるだけです」
 ふ、と。ローアンは薄く笑みを浮かべる。
 調査した結果、マグヌスは相当《炎帝》に心酔している。そして、それに対して、《炎帝》のほうも満更ではないようだった。つまり、《炎帝》にとってマグヌスという存在は、大切なものとなっている。
「あとは、タイミングさえ合えば」
 ローアンは冷静に考えをまとめる。
 これから始まる小規模の戦争を、全て思い通りに進めるために。


◇◆◇


 爆音が辺りに響き渡り、砂塵が風に乗って流れ行く。
 廃墟と化した街の中を、マーカスは懸命に走っていた。
 後ろから獣の雄たけびが聞こえる。大気が振動し、直接マーカスの体を襲ってくるが、そんな小細工にひるむことなく、彼は走り続ける。
 半日、ほぼ戦い続けだった。そのため、すでに炭素棒は残り三本になっていた。一本を分割したとしても四つが限度なので、攻撃できるのは最高でも残り十二回しかない。炭素棒なしでも魔術行使ができないわけではないが、準備時間を考えるとこの状況では難しい。
「『破砕せよ』!」
 目の前に先回りしてきた妖魔に対し、マーカスは炭素棒の欠片を投げつける。
 呪文の詠唱を最小限に抑えているため威力はそれほどないが、それでも道を作るには十分だ。
 マーカスも闇雲に逃げているわけではなかった。できる限り妖魔の密度の薄い場所を縫うように走りながら、結界の規模を確かめる。といっても、確認した結果、この街のほぼ全域に魔方陣が書き廻らされているということが分かった程度だったが。
 つまり、この街全体がすでに敵ということだ。
 それが分かってからは一刻も早く街を出ようとしていたのだが、そう簡単にいくわけがなかった。いいところで妖魔の群れと出くわすのだ。十数匹程度ならば力ずくで通ることもできるのだが、そういうところに限って二十、三十匹の妖魔がまるで海のように群がっている。
「はぁ、はぁ――」
 炭素棒の欠片を三つ使い、ある程度妖魔を撒いてから、マーカスは廃墟に身を隠すようにして一旦休憩を取る。たまにこうして休みを入れてはいるが、ほぼ半日戦い詰めなため、気休め程度にしかならない。すぐに妖魔はマーカスの存在をかぎつけて襲ってくる。
 妖魔の勢力が劣る様子はまったく見えない。それを考えると、時間の経過による妖魔の消滅は望めないだろう。ローアンの魔術系統と、この魔方陣の敷き方を考えると、おそらく大源(マナ)を利用した魔術だろうから、妖魔はほぼ無尽蔵に生まれてくる。
「ったく、下手なことせずとも、十分強力な『魔法』を持っているだろうが」
 ローアン自身は別の『魔法』を求めていたようだが、こちらの術式でも十分『神秘』にいたる余地があるとマーカスは思っていた。こうして逃げながらも、魔術師の習性の所為でいろいろなことを考えてしまう。専門ではないが、それでも試してみたい実験が三、四つは思い浮かんだし、理想としての術の『形』もおぼろげながら想像できた。
 それなのに、どうしてローアンはこの術をただの足止めに使うのだろうか。
 正直な話をすると、この術式は半端なものではない。街中に魔方陣を描くという、一見桁外れなことをしているようだが、しかしこれほどの効果を得るには、本来この程度では難しいのである。本当ならば、術者が絶えずその中心にいて魔力の管理や操作をしないと、外から吸収してくるマナは暴走してしまいかねない。
 だが、その問題をローアンは解決してしまっている。魔術師としては、どんな魔方陣が描かれているか一度じっくり検証してみたいものだった。よほど整合の取れた術式でなければ、これほどの効果は得られない。
「さて――」
 呼吸が落ち着いてきてから、マーカスは立ち上がる。
 少し長く一所に留まりすぎた。今にも襲われてもおかしくない状態である。
 残った触媒は、炭素棒の欠片が八つ。それを見ながら、マーカスはこの状態に終止符を打つ算段を立て始める。
 この街から外に出るまでの、主要な場所は五つ。うち、二つは山賊の集落とは真反対になるので、結果的にマーカスが向かうべきは三つになる。
 しかしその三つも、確認したところ見事なまでに無限の妖魔が犇いていた。あの群れを突破するには、この触媒だけでは心もとない。
 奥の手である『神秘』を使うことも考えたが、もし使うとなると近距離であの威力を受けることとなる。『エンドディストラクション』と名づけたマーカス最大の術は、基本的にどれだけ力を抑えても、この街を吹っ飛ばすほどの威力をひねり出す。いつもは仕掛けた後に自身は離れて行使するのだが、今の状況ではそれも叶わないだろう。
 自分の持つ『魔法』は二つ。『神秘』が一つ。その一つ一つは絶対の力を持っているというのに、それを使えない状況になるとマーカス・ケルフィンという魔術師はとんでもなく脆かった。
 と、自身の不甲斐なさを嘆いていたところで、マーカスは殺気を感じる。
 ほとんど無意識にその場から飛びのくと、さっきまで背にしていた石壁が砕かれ、巨大な獣が躍り出てきた。

 ギャッシャアアアアアア!

 高く咆哮し、かの獣は獰猛な牙を見せ付ける。
 ――これほど大きな妖魔は、始めてだった。
 マーカスの判断は早かった。炭素棒の欠片を躊躇なく投げつけ、煙幕を張る。
「『破砕せよ』」
 爆音と、砂埃が舞う。稼げる時間は僅かだが、その間にマーカスは一目散にその場から離れる。
 どうやら妖魔も少しずつパワーアップしてきているらしい。その兆候は確かにあったが、ここまで露骨なのが出始めたのだから、ここからはもっと増えるだろう。――迷っている暇はない。無茶だろうがなんだろうが、このままではジリ貧どころか、確実に死んでしまう。――ならば特攻を仕掛けるしかない。
 そう決意を固めると、マーカスは街の出口まで走り出した。残る触媒は七つ。少し不安は残るが、それでも手がないわけではない。絶対の保証はなくとも可能性ならばいくらでもある。
 走ってくるマーカスに気づき、街の外に通じる道路に群がっていた妖魔が一斉にこちらを向いてくる。耳障りな叫び声を上げ、騒がしく向かってくる。
 状況とタイミングが大切だ。マーカスは向かってくる妖魔を誘導するように走る。丁度、自身が真ん中で囲まれるように場を作る。
「『集う客と舞台の主――』」
 タイミングを意識して、詠唱を開始する。場を作るための触媒も忘れない。少しでもずれたらそれで終わりだ。
「『――無垢なる水と腕白な炎――』」
 五小節あるうちの四小節までを、アレンジした文言で詠唱し終える。
 その状態で、すでにマーカスは無数の獣に囲まれていた。
 今にも飛び掛らんばかりに唸っている獣たち。それに恐怖を感じる余裕もなく、マーカスは術の準備を冷静に進める。
 状況はほとんどマーカスが望んだものに近いものが出来上がっていた。突撃する前に設置していた三つの触媒に加え、新たに置いた二つの触媒。そして、それら五つの点が描く半径三十メートルほどの円の中に、ほとんどの妖魔を集めることができた。
 準備は整った。
 あとは、この術を成功させることができるか――
『魔法』の詠唱を待機させた状態で、マーカスは一瞬だけ逡巡する。――だが、すぐに首を振る。出来るかできないかではない。やるしかないのだ。
 意識して息を吸い、マーカスは唱えた。
「『爆轟せよ』!」
 飛び上がり、下に向けて炭素棒の欠片の一つを投げつける。
 ――二重詠唱
 一つの術を詠唱する間に、別の術の詠唱を入れる、難易度の高い技術。
 マグヌスは軽々しく行っていたが、そんなに簡単なことではない。例えるならば、まったく違う曲を別の楽器で交互に演奏するようなものだ。やろうとして不可能ではないが、完全な形にするのは難しい。
 しかし、もし成功したならば――
 下に向けて行った爆発の爆風を蹴り、マーカスの体は高く浮き上がる。
 それを追って、地上にいる妖魔たちが彼を追いかけようと群がってくる。
「『――狂い乱れろ――』」
 だが、マーカスの詠唱のほうが早かった。
「『――魔宴の開始だ』」
 実際、成功するかどうかはぎりぎりだった。
 もし地上にいたまま『爆轟の魔宴』を行えば、自身も巻き込まれてしまう。ならば、効果が届かない範囲にまで逃げればいい。そう考えての二重詠唱だったが、少しでも集中を間違えればその場で魔術が暴走しかねなかった。
 逃げるための魔術にしたところで、『爆轟の魔宴』に影響が出ないよう、最低限弱い術を行使したものだから、どれだけ高く飛べるかも分からなかった。幸い、今の現状を見る限り、その策は成功したようだが。
 空を舞うマーカスの、本当にぎりぎりのところまで、『爆轟の魔宴』の効果範囲は届いていた。
 半円球状の結界が現れ、その中で、耳を貫くような轟音とともに無数の爆発が起こる。
 中に閉じ込められた妖魔は数えるのも面倒なほど多い。逃げることすらできない彼らは、ただ無数の爆発に為すすべもなく蹂躙される。
 マーカスは残り一つとなった触媒でさらに爆発を起こしもう一跳び飛び上がり、爆発が収まるまで安全圏へ逃げる。
 重力に従い地面に落ちるころには、妖魔の姿は跡形もなかった。
「なんとか、やったな」
 立ち上がりながら、マーカスはそう呟く。
 状態はあまりよくない。自分に向けて何度も爆発を行いすぎた。満身創痍とまではいかないまでも、全身に傷を負っているに等しい状態ではある。
 だが、とりあえず目先の問題は片付けたのだ。あとは、早くこの獣に満たされた街から逃げ出さなければ。
 すぐに思考を入れ替え、すぐそこの街を出ようと出口に向かって歩き出したとき――
「な、」
 がくり、と。
 体が崩れ落ちた。
 まるで全身の糸が切れたように、力なく、マーカスの体は地面に倒れこんだ。
(そんな。まさかっ――)
 驚愕しつつ、マーカスは体を動かそうと懸命にもがく。が、どんなに頑張っても肝心の身体はピクリとも反応しない。活力が根こそぎなくなっていた。
 無理もない。半日の間、魔術を使い続けていた上に、先ほどのあの無理である。ただでさえ消費の激しい『魔法』の使用の上、二重詠唱という慣れないことをしたのだ。魔術の触媒が底をつく以前に、彼自身の魔力が限界を迎えていた。
 こんなところで。あと少しでこの街から出られるというのに。それなのに――
「く、そ――」
 ローアンの作った結界の境界がすぐ目の前にあるのを見ながら、マーカスは歯噛みする。その外では、妖魔は存在することができない。そこを出れば助かるのに。
 その悔しさに顔をしかめながら、必死で動こうとする。
 しかし、だ。
 地べたを這いずって、血を吐くような思いで動こうともがいていたところで、はたとマーカスは気づく。
 ここで全力を尽くして外に出たとして、自分はどうするつもりなのか、と。
 本当ならば、そこで終わりではない。
 早くローアンを追わなければいけない。危険が迫っている集落へ帰らなければならない。そして、集落の皆のために戦わなければならない。
 だが、現状はどうだ?
 すでに立ち上がることすらできないのだ。これから戦うなど、到底無理な話である。よしんばこの街から脱出して、妖魔の街から生き延びたとしても、結局はそこで終わりだ。そもそも、半日戦い続ける道を選んだ時点でマーカスの敗退は必至だった。
 もう、彼の命運は尽きている。
 ――背後から、妖魔が迫ってくる。
 それはまるで、黒くうねる波のよう。高く打ち寄せる黒い津波は、耳障りな奇声を上げながら、今にも食い殺さんばかりに力強く打ち寄せてくる。
 それを、マーカスは力ない目で見ることしかできなかった。
 と、
 無数の黒い獣がマーカスに襲い掛かる寸前で――

「――なーにやってんだ? マーカスさんよ」

 マーカスと妖魔の群れの間に、一つの人影が飛び込んで来て紛れ込んだ。
 長身にがっしりした体つきと、一本に結った長い黒髪。
 サングラスをかけ、右目には深い切り傷が入っている。
 両手には何も持っていない。ただ、半袖から伸びるすらりとした腕は、僅かに黒ずんでいる。
 まるで彼は、始めからそこにいたかのように、何気ない風に間に割って入って、そして妖魔の方を向いた。
「えっと、何つったっけな」
 襲い掛かってくる妖魔の群れをものともせず、サングラスを外しながら彼はなにやらぼやく。
「あ、そうだそうだ。確か――」
 そして、妖魔たちが本当にすぐ目の前に来た瞬間、彼は何やら納得したように手を打つと、何気なくその両手を地面に下ろす。
「『夢幻(ファントム)――』」
 とん、と。
「『――刃傷(ガッシュ)』」
 地面に彼の両手が触れる。

 次の瞬間、妖魔の下の地面から、無数の刃物が飛び出した。

 それは、単純な刃物の山。例えるならば剣山のように、剣の刀身のようなものが、無数に地面から生えててきた。装飾も何もない、長さ以外は全て統一されているといっても過言ではないほど無骨な刃物の群れは、その場にいた妖魔たちを残さず串刺しにし、一掃した。
「そういや、この名前の元って、あの《ファンタジスタ》の技だよな。うわー、恐れ多いなぁ」
 などと。
 背後は無数の刃物に突き刺された獣という異常な光景の中、現状を作り出した張本人である男は、軽口を叩きながらなんでもないように手をはたく。
 その姿には、見覚えがある。
 彼は、サングラスをかけなおしながらマーカスの方を見て、何気なく話しかけてきた。
「さて、とりあえず。こんなところで何してんだ? あんた」
 まるで道端で偶然再会したような口調。
 ハワード・カロルは、倒れているマーカスに向かって、本当に軽い調子で声をかけた。


※※※


 マグヌスが集落を去って四、五時間ほど後のことだった。
 集落のある場所から少し下に下りた位置で番をしていた若者は、その影を見た。
 山の中を、隊列を組んで上ってくる影。その整列の仕方や、来ている軍服から、すぐにそれが軍隊であるということに気づく。数から見るに三、四十人ほどなので、小隊だろう。
 そして、気づいた次の瞬間には、隣で同じように番をしていた仲間の頭が、轟音とともに跡形もなく吹き飛んだ。
「ひっ……」
 唐突なことに、おびえた声を漏らす。
 本来ならば急いで集落に戻らなければならないのだが、今の彼には正常な判断などできなかった。混乱よりも恐怖が精神を支配する。その結果、彼は顔を引きつらせてその小隊を眺めることしかできなかった。
「――ふん。せっかく逃げるチャンスをやったというのに、君は逃げないんだな」
 つまらなそうに、指揮官らしき男が言う声が聞こえる。
 それは余裕そのものの口調だった。少なくとも、はじめから門番のことなんて気にも留めていない。それが分かり、臆病な彼は余計その場に立ち尽くす羽目になった。
 パンッと、響いたのは一発の銃声。
 その残響が掻き消える前に、その若者の意識は途切れた。


 マルク・シュナイダーは、目の前に倒れている死体をつまらなそうに見つめた。
 目の前で知り合いが殺されただけで戦意を喪失する程度の人間。門番ならば、命に代えてでも敵の存在を知らせなければならないだろうに、それすらもせずただ呆然としてた。そのことに、彼の山賊への興味は一気になくなった。
 所詮敵はその程度の存在だ。一応建前として小隊を一つ率いてきたが、持ってきた装備のことを考えると、これならばここまでの人数は要らなかったかもしれないと思い始めていた。
 マルクはその視線を鋭くしてあたりを見渡す。彼の目から見る限り、別段おかしなところはないようだった。
「おい。問題の『結界』はどうだ?」
 自身で一度確認した後、彼は隣にいる部下に尋ねる。話を振られた部下は、「はい」と答えると、さっと前に出た。そして、おもむろに手をかざす。
 瞬間、その場にいた全員の視界が、僅かに歪んだ。
 その歪みはすぐに収まる。――そして、目の前には先ほどとは少しだけ違った風景が見えた。
「低レベルの意識結界です。始めから注意すれば、問題ないレベルですが」
「そうか。ご苦労だった。――しかし、どうにも分からんな。どうしてこんなことが出来るのだ?」
「科学で言う催眠術のようなものですよ。一応、このレベルならば科学のほうでも再現できないことはないです」
 部下の言葉に、マルクは気のない返事を返す。
 そして一行は、開かれた道を進み始める。
 彼らが山賊の集落を襲撃するのは、それからまもなくのことだった。


◇◆◇


 マグヌスは鈍痛を感じて目を覚ました。
 首筋に感じる打撲のような痛みに顔をしかめる。どうも頭がくらくらしていけない。立ち上がってみたが、平衡感覚がずれているようで僅かにふらついた。
「あー、何だっけ」
 ふらつく頭を叱咤し、マグヌスは気絶する前のことを思い出そうとする。
 完全に思い出すまでに時間はかかったが、それでもマグヌスの記憶はしっかりと繋がった。
「……って、あんのやろッ」
 思い出すと同時に、マグヌスは再度怒りが再燃し、慌ててあたりを見渡す。
 場所は変わっていない。気絶したときと同じ場所だ。ただ、問題のローアンの姿はどこにもなかった。
「どういうことだ?」
 違和感に、マグヌスは首を傾げる。
 もしマグヌスが最後に放った攻撃が当たっていれば、ローアンの死体ないし体が残っているはずだ。それがないということは、おそらくあの攻撃は届かなかったのだろう。
 では、どうして自分に止めを刺していない?
 あんな風に容赦のない攻撃してきたのだから、まず間違いなく自分のことが邪魔だったはずである。なら、気絶しただけで放っておくはずがない。少なくとも自分なら、止めを刺す。
 なのに、どうして?
 考えても答えは出なかった。仕方がないので、マグヌスは思考を入れ替えて次のことを考える。
 気絶してどれだけの時間が経過しているのだろうか。木々の間から見える太陽は、昼を過ぎたくらいだろう。時間的には結構長い間気絶していたことになる。
「……戻らなきゃ」
 まだおぼつかない足を動かし、マグヌスは集落に戻るために歩き出す。
 マーカスが危険視していた男が現れたのだ。もしかしたら集落が危険かもしれない。今からで間に合うか分からないが、急ぐことに越したことはない。
 移動しながら、マグヌスは自分の状態を確認してみる。
 体はまだ重たいが、しばらくすれば解消すると思われた。ちょっとした打ち身はあるが、決定的な怪我は別にない。気絶する前の戦闘を考えると、それだけは幸運だった。
 炭素棒は最後に放った攻撃で使い果たしてしまっていた。他に武器になりそうなものといえばナイフを一本持っているくらいで、少々心もとない。
 とりあえず目先の問題は、集落に帰って早く炭素棒を補充すること。触媒があるのとないのとでは、術のスピードが段違いなのだ。それに、マグヌスはまだ触媒なしの魔術にはあまり慣れていなかった。
 小走りに走って二十分ほどで、マグヌスは集落のある場所の少し上に位置する崖に辿り着いた。
 見下ろせばすぐそこに集落がある。怪我人を介護する人や、忙しく動き回っている人たち。よかった。まだ、大事は起きていないようだ。
 と、安心したところで、マグヌスはおもむろに向けた視線の先に『それ』を発見する。
 それは、集団だった。同じ服を着て、隊列を組んで山を登ってくる一つの塊。集団で歩いているのに加えて、何か重いものでも運んでいるのか、少し歩みが遅い。異様なほどしっかりと整えられたその動きは、ある種の異質さを感じさせる。
 それは、紛争の耐えないこの国で生まれたマグヌスには、見覚えのありすぎるもの――
「な、なんで軍隊が!?」
 人数はそれほど多くない。せいぜい三、四十人といったところだ。しかし、その人数は今のマグヌスたちにとっては絶望的でしかない。
「ま、まずい!」
 血相を変えてマグヌスは下に下りようとする。
 通常の道を歩いていては間に合わない。一刻も早く帰らないと、取り返しのつかないことになる。迷うまもなく、マグヌスはその崖を飛び降りた。
「くそ! 見張りは何やってんだよ!」
 直角に近い崖を滑り降りながら、八つ当たり気味に毒づく。崖を下るための支えにしている手が崖の岩でどんどん傷ついていくが、その痛みを感じるよりも集落への心配のほうが勝っていた。
 銃声が辺りに響き渡った。一発――だけど、現状を覆すには十分な一撃。
 それで集落の平和は崩壊した。これからは、戦いが始まるだろう。
「『同調・――』」
 触媒なしの状態で詠唱をしながら、マグヌスは飛び降りる。
 落ちる瞬間、手のひらの周りに衝撃のみの爆発を起こして、落下の衝撃を緩和させた。そして、木々をクッションに着地する。全身に決して軽くはない切り傷が生まれるが、気にする余裕はまったくない。浅いながらも太ももに突き刺さった枝を無造作に引き抜きながら、マグヌスはすぐに走った。
 崖際の、集落の一番後ろの方に辿り着いていた。
 離れでは、すでに戦闘が始まっているようだった。銃火器の轟音と人の悲鳴が聞こえてくる。
 その音を背に、マグヌスは武器庫へと急ぐ。
 乱暴に扉を開いて、中を確認する。炭素棒は常に複数作って保管してある。その保存場所を見つけ、服に仕込める分仕込む。
 と、そこで。

 耳をつんざくような爆音が数秒間響き渡った。

 それとともに、離れから悲鳴が上がる。
 その爆音には思い当たりがある。――まさか、とは思うが。
「これは……機関銃か!?」
 あの連続する銃声は、前に紛争地帯で遭遇したときにマーカスから教わった音と酷似している。そういえば、先ほど小隊の中に見えた黒い物体はそれだったのか?
 まさか、こんなちっぽけな集落を落とすためだけに、そんなものまで持ち出してきているって言うのか?
 そう思うと、思わず凍り付いてしまった。
 今、銃声は止んでいる。おそらく威嚇程度のものだったのだろう。しかし、少しでも抵抗すればすぐに攻撃は再開するに違いない。
「ってか、なんでこんな山奥に、しかもこんな弱小集落に、んなもん持ってきてんだよ!?」
 混乱して軽く泣き言が混じる。正直、そんなものが相手だと、マグヌスの魔術程度のちっぽけな力では立ち向かうことはできない。
 できることならすぐにでも向かいたい。でも、今の現状を知ることが怖かった。
 手にした炭素棒がまるで棒切れのように頼りなく感じる。これがあればなんだってできると思っていたのに、実際は無力でしかなかった。
 手段を考えろ。何か自分にできることを考えろ。そう叱咤しても、頭は思考を拒否している。それどころか、恐れのあまり逃避を始めたのか、痺れたように現実感がない。
 以前見た機関銃の威力は、想像を絶するものだった。あんなものを人体に向けて行使する精神が分からない。当たれば肉体は簡単に削げ飛び、ほぼ即死。もし生き残っても、死よりも苦しい地獄が待っている。生半可な盾は砕かれるし、障害物も根こそぎ薙ぎ払って敵を征伐する。
 この集落に、あの武器に対抗できそうなものはない。
 攻撃どころか、防御すらままならない状態なのだ。
「勝てるわけが、ねぇだろうが……ッ」
 奥歯を強くかみ締めて、マグヌスはやりきれない思いで毒づいた。
 思考が八方塞の中、ふと何気なく視線をあげる。
「……ん?」
 視線の先には、反対側の少し高い位置にある棚。そこに、あまり見慣れてない箱があった。
 なんだっただろうかと思って、近づいてみる。
 答えはすぐに出た。確か、一週間ほど前にコロッセたちが追いはぎしてきた物だ。中にあるのは丁寧な装飾が施された短剣で、それを見た瞬間マーカスが血相を変えていたのを覚えている。
 魔法剣、らしい。
 マグヌスはその箱を棚から下ろし、中を開けてみる。刃渡り十センチほどの、刀身が真っ直ぐで両刃タイプの短剣。柄には赤やら緑やらといった宝石がはめ込まれている。刀身は光沢のあるグレー。本来ならば鞘があるはずなのだが、今はむき出しの状態になっている。
 しかし、じっくり見ているとその性質の一端は垣間見れた。美しいだけの剣ではない。中に、強い魔術の跡が見える。
 マーカスは、絶対に触るなと言った。
 それも、マグヌスにだけではなく、集落中の人間に同じことを警告したのだ。もし少しでも触れば、それだけで危ないと。
 それはどういう意味だったのだろうか。
 マグヌスは、じっと魔法剣を見つめ、考える。
 そして、おもむろに剣の柄を手にとってみた。
「……がッ」
 ずん、と。
 短剣を持ち上げた瞬間、全身から力が一気に抜けた。
 受身も取れずに倒れこむ。その間も、体からはどんどん魔力が抜けていく。
 すぐにその原因が何かに思い至る。手に持った魔法剣。それが、マグヌスの魔力を吸い取っているのだ。
 やばい、と本能的に感じ取った。
 慌てて手を離そうとするが、まるで接着剤でつけられたように動かない。そうこうするうちにも、次から次にマグヌスの少ない魔力はなくなっていく。
 やっとの思いで張り付いた魔法剣を叩きつけるように引き離したころには、マグヌスは肩で息をしていた。
「ぁ。あ、はぁ、はっ、はっ」
 立ち上がることも出来ない状態で、地面に転がった魔法剣を眺める。
 乱暴に振り払ったために半分地面に突き刺さっている短剣は、まるで選定の剣であるかのように悠然と佇んでいる。
 ――これは、まずい。
 少し触れただけで、マグヌスの中にある魔力の大部分は持っていかれてしまった。決して少なくない分量である。それなのに、魔法剣はまだ足りないと言っている。
 マーカスが言っていた理由が今更ながら分かった。もしあのまま触っていたら、魔力だけでは飽き足らず、体の制御を全て持っていかれた可能性がある。――そして、そんな多大なる犠牲の先にあるものは、一体何であろうか。
「…………」
 しかし、もう一つ分かったことがある。
 この魔法剣には、途方もない力が隠されている。
 それは、まだ本格的に魔術を扱いだして半年程度のマグヌスでは、到底思いもよらないような次元。魔法剣そのものが、魔術の術式をかねそろえている。
 魔道具、と呼ばれるらしい。
 魔術を習い始めた初めの頃、魔術を扱う上で道具を使うことがあるとマーカスに言われた。
 それは、大きく分けて二つ。
 一つは、魔術を扱いやすくするために、触媒として使う場合。
 もう一つは、自分が習得していない、高度な魔術を扱う場合。
 前者を『触媒(カタリスト)』。後者を『魔道具(ソーサリーアイテム)』。という。
 ここでの魔法剣は、明らかに後者。代償の変わりに、より高度な魔術を行使できる道具。
 今のこの状況は、マグヌスの実力では何も出来ない。
 しかし、この魔道具を使えば、方法があるのではないか――?
「出来る、のか?」
 まだ微かに乱れている息を抑えながら、マグヌスは呟く。
 触れた一瞬だけでも、この魔法剣のすごさは身にしみた。もし制御できるのならば、相当の力を発揮するだろう。
 そう、制御できたなら。
 触れただけでも、否応なく全ての魔力を持っていかれる。貪欲に、ひたすら力を求めてくる荒くれの暴君。そんな暴れ馬を制御できるだけの力が、自分にあるのなら。
 覚悟を決める暇なんてなかった。
 ただ、やれることがあるのなら、マグヌスという人間は、迷うことがない。
 使える手段は全て使う。
 それが、制御不能な力であっても――
 マグヌスの手は再度、短剣の柄を力強く握った。

 瞬間、世界が反転した。

 体の内側から、中身が引きずり出されるような感覚が襲い掛かる。
 魔力が抜かれる。全て、魔法剣に吸い取られる。まるで湯水の如く垂れ流れていく。
 それもすぐに底が尽きた。魔力は全て吸い取られ尽くされた。もう立ち上がる力もないほど力は吸い取られたというのに、それでもまだ、魔法剣はマグヌスから力を吸い取ろうとしてくる。
 精神力。
 生命力。
 そういった、意志の力や、生きるために必要な最低限の力さえも、どんどん奪われていく。
「あ、ぁ」
 終いには、意識が薄れてくる。
 まずい。ここで意識をなくしたら、待っているものは死だけだ。
 ただ吸い取られるだけだった力に対し、マグヌスは必死に抵抗を始める。垂れ流しでしかなかったエネルギーを、懸命に引き止める。
 と、そんな抵抗を見せたら、今度は声が聞こえてきた。

 ――従え。

 始めは、小さな声だった。
 やがてそれは、反響し、響きあい、共鳴する。

 ――従え、従え、従え、従え。

 こだまするその声は、マグヌスの頭の中に直接届いてくる。
 煽るように、囃し立てるように、――暗示させるように、言い聞かせるように、――その声は高く大きく響いてくる。
 その声の所為で集中が途切れ、また吸い取られる力が強くなる。
「ぐぁ、あ」
 全てが持っていかれる感覚。
 身体の主導権を、根底から絡みとられる。

 ――従え、従え、従え、従え、従え、従え、従え、従え、従え、従え、従え、従え、従え、従え、従え、従え、従え、従え従え従え従え従えしたがえしたがえしたがえしたがえしたがえシタガエシタガエしたがした従ガエしたがえシタガエしタガえシたがエ――

 うるさい。
 騒々しい声が最後のトドメとばかりに騒ぎ立てる。
(うるさい、うるさい、うるさい!)
 力尽きそうな意識を奮い立たせ、最後の悪あがきをする。
(従え、だと? ――ふざけるな!)
 ふざけるな。
 どうして――
(何で、この俺がお前なんかに従わなければいけないんだ!)
 強い力に弾かれるように、マグヌスの体はビクンッと高く跳ねる。
 痙攣したように震える喉は、酸素を求めて苦しそうにあえぐ。
(誰が、テメェなんかに……)
 意識は薄れ、別の意思が介入してくる。
 支配してくる『それ』は、マグヌスの意識を握りつぶそうと圧迫してくる。
(従う、のは……)
 意識を必死に引きとめながら、魔法剣の柄を握った右手を、左手で強く押さえつける。
 流れていく力と流れ込んでくる力。
 ただなすがままになっていたそれに、全力で逆らう。
(従うのは、俺じゃ、ない)
 声にならない声で咆哮する。
 負けるわけには行かない。こんなところで負けていたら、何も為すことなんて出来ない。
 ふざけるな。
 こんなところで、倒れられるか。
「従う、のは……」
 暴れ馬を押さえつけるように、マグヌスは魔法剣を地面に突き立てた。

「従うのは――テメェの方だ!」

 その雄たけびにも近い叫びに従うかのように、力の流れが反転した。
 流れていく力と流れ込んでくる力を、
 流し戻す力と流れ込ませる力に反転させる。
 全ては一瞬だった。
 強い力で押さえつけようとしていた魔法剣は、より大きな意志に飲み込まれた。それは精霊を跪かせるほどの魂。全てを押さえつける意思の力は、暴君の癇癪を受け止める。
 こうして、かつて数多の魂を喰らいつくしてきた魔法剣は、ついに従属すべき対象と出会った。
 急に体が軽くなる。
 先ほどまでの重圧が嘘のように、マグヌスは軽々と立ち上がる。
「はぁ、は……ぁ、よし」
 吸い取られる力がなくなっただけではない。それどころか、先ほどまでに奪われた魔力は、全てマグヌスに返ってきている。
 そして、手には魔法剣。何気無く見下ろすと、柄の部分に文字が見えた。
『神威此八百万柱』
 それは、マグヌスが知らない国の言葉。
 東洋の国で生まれ、端の島国に渡って使われたとある言語。
 それなのに、彼にはその言葉の意味するところが分かる。それは、うわべだけではない。例えば、この短剣がある種の矛盾をはらんでいることや、起源が一定でないことも分かる。
 しかし、起源などは関係ない。
 今やるべきは、この力を使い、敵を倒すこと。
 すぐに意識を入れ替えたマグヌスは、無言のまま走り出す。
 倉庫を出て、戦場となっているであろう広場へ。

 ――基本性能確認。

 魔法剣から、直接脳内に情報が送り込まれてくる。

 ――精霊との同調率・百パーセント。神格に近い波長所有の故。
 ――魔術属性・五大元素全て。その複合も可。その他の属性に関しては多少制限あり。
 ――魔術系統・特になし。全工程企及。彼本来の精神ならば、どんな系統も扱い可能。
 ――ただし、現在は魔術経験の不足より、全体的に多少の制限あり。

 広場に辿り着く。
 少し離れた場所で、集落のみなを守るように、ふらつきながらも立っている炎帝の姿が見えた。
 そして、その先に軍隊が、全員銃火器を構えこちらを威嚇してきている。

 ――現在扱える術式の検索。
 ――魔術属性・炎、水。魔術系統・膨張と拡散の二つを満たす術式。
 ――発見。『焔之神(ほむらのかみ)』。正式名称『火産霊(ほむすび)』。該当三柱。
 ――『神威』の名を借りた精霊術の行使。該当三柱の『神名』が不可欠。
 ――並び、自身の身に名づけられた真名が必要。

 炎帝がなにやら叫ぶ。
 その言葉に、向こうのリーダーらしき男の表情が気色ばむ。
 短気な性格なのだろう。彼は、すぐに手を振り上げ、後ろの隊員に対して命じた。

 ――『魔術師』としての『真名』。
 ――あなたの名前は――

「撃て!」
 男の腕が振り下ろされ、発砲の合図が下る。
 一秒の間もない時間で、軍隊の銃火器の引き金が引かれ、激音が響き渡るだろう。
 その、たった一秒が命運を分ける。
 刹那にも近い時間で、全てを対処しきる!
「我が名は――マグヌス」
 生誕時に自らの身につけられた真名を名乗り、そして、魔法剣をぐっと前方に突きつけた。

「――『火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)』!」

 それは、彼が知るはずのない神の名前。
 東洋の片隅の島国で栄えた、神話の神。当地ですら知らない者が多いのに、このような異国の地で出てくる名では決してないはずだった。
 集落の人間と、軍隊の人間。二つのグループを分ける境目の地面から、マグヌスの叫びに応じて突如火柱が上がった。
 僅かな隙間すらもない炎の壁。正面にいる敵の姿が見えないほどの高密度の炎は、軍から放たれた弾丸を、全て集落の人間に届く前に蒸発させる。
「う――は、ぁ」
 魔術の行使の瞬間、マグヌスの体からはごっそり、術に必要な大量の魔力が持っていかれた。
 効果を見ればそれも頷ける。想像を絶する威力。これは、まだ魔術を習って半年程度の人間が扱えるような術式ではないことは明白だ。
 だけど、今の自分なら扱える。
 足りない力は外部から補え。大地に流れる力でもなんでもいい。それが体にムリな行為であっても、やるしかないのだ。制御する能力さえあれば、あとはどうとでもなる。
 一瞬力が抜けかけた膝に活を入れ、マグヌスは未だ威力の冷めない炎の柱の前へ躍り出た。
「炎帝! 大丈夫ですか!?」
 振り返り、仲間の状況を確認する。
 炎帝は、まだ熱が引いていないのか、上気した表情で呆然とマグヌスを眺めてくる。
 その背後には、戦える男衆がそれぞれ武器を持って構えている。さすがに、女や子供は家の中に非難させているようだ。
「マグヌス、大丈夫なのか?」
 集落の一人が、そう問いかけてくる。
「ああ、みんな大丈夫か?」
「戦えない者は、全員奥の建物に非難させている。でも、炎帝がこの状態で、敵があれほどの力を持っていれば、それもこのままもつかどうか」
「大丈夫だ。俺がなんとかする」
 そうはっきりと言い、次に炎帝に視線を向ける。
 炎帝は、おぼつかない足取りで弱々しげにマグヌスを見てくる。
「マグ、ヌス?」
「はい、そうです。遅くなってすみません、炎帝」
 謝りながら、敵の方へと視線を戻した。
 炎の壁は、ゆっくりとその姿を消していく。その間から現れてくるのは、軍のあっけに取られた表情であった。
「――なんだ、お前は」
 指揮官の男が、苦虫を噛みつぶしたような表情で問いかけてくる。
「この集落の人間だ」
 対して、一歩も引けをとらぬ態度でもって、マグヌスは迎え撃つ。
「これ以上お前らの好きにはさせない。とっとと、この山から立ち去りやがれ」
 さもないと――
 短い間に随分と右手になじんでしまった魔法剣を、まっすぐ突きつける。
「お前ら全員、ここで消し屑にしてやる」


◇◆◇


 マグヌスの登場によって、戦況はがらりと変わった。
 先ほどまで、自分がどんなに頑張っても覆らなかった流れが、一気にこちら側に来たのだ。
「マグヌス……」
「大丈夫です、炎帝」
 自然と漏れた不安げな言葉を、マグヌスは頼りがいのある言葉で制した。
 その様子に、カールスは安心に近い感情を覚える。先ほどまでの緊張感が弛緩するのを感じた。
 しかし、いくら状況が良くなったとはいえ、一触即発の状態に変わりはなかった。
 マグヌスの突きつけた短剣と、軍隊が向けてくる大量の銃火器。
 先ほどの様子を見る限り、マグヌスはその短剣のおかげで実力以上の魔術を扱えるらしい。その対価が何かは気になるところだが、さっきの銃弾のカーテンを全て防ぎきったところは、賞賛に値する。
 これで、まったく対策がなかったこちら側にも、生き残る可能性が生まれたのだ。
「くぅ、は、ぁ」
 荒れる息を抑えることが出来ない。
 熱は最高潮に達していた。炎の感覚がつかめない。マグヌスには言えないが、彼が放った魔術の炎にあてられた所為で、余計に体内の熱のコントロールが聞かなくなっていた。
(まだ、倒れちゃ駄目だ)
 倒れないと誓ったのだ。
 例え自分に何も出来ないとしても、最後まで立ち続けるだけのことはしなければいけない。

 ジジジ、ジジジ。

 ノイズが走る。

 ジジジ、ジジジ、

 不快なノイズが絶えず響く。
「最後に言う。立ち退け」
 マグヌスの、凛とした背中が見える。
 この少年はこんなにも大きかっただろうか。
 ふと、そんなことを思った。カールスの記憶にある限り、彼はまだ魔術師見習いのひよっこに過ぎなかった。先陣を切って戦い出ることは多かったが、こうして誰かを守って戦うようなものではなかった。
 随分と、成長した。
 炎帝、炎帝、と呼ばれて慕われるのは、実はそう嫌ではなかった。そのことを考えると、少し寂しい気がする。
 自分はこんなにも中途半端で、今にも大きな力に飲み込まれそうだというのに。
「……ッちぃ。全軍、撃て!」
 マグヌスの宣告に対し、顔をしかめた指揮官はヒステリック気味にそう叫ぶ。
 その気配を悟ったマグヌスは、おもむろに地面に手をつき、短く呟いた。

「――『火之毘古神(ひのかかびこのかみ)』」

 彼の持つ短剣から、炎が噴出する。
 鮮やかな紅蓮の炎が舞う様は、見惚れるほど神々しい。
 それは人の形を模し、荒々しく顕現する。両手を広げ燃え盛る炎の巨人の姿は、まるで集落の人間を守る守護神のようである。
 その炎の巨人の登場に、集落の人間が歓声を上げる。
 その様子は、炎の異能を持つカールスが見ても、惚れ惚れとするものだった。
「っつぅ」
 術の反動か、マグヌスは片手で頭を抑えて僅かに顔をしかめる。
 が、そんなことおくびも出さずに、炎の巨人が消える前にすぐに正面を向いた。
「――何度やっても、無駄だ」
 銃弾の嵐を全て焼き消され、集落の人間に傷一つ負わせることのなかった敵に対し、マグヌスははっきりとそう告げた。
 これならば、安心できるかもしれない。
 ふと、カールスはそんなことを考えた。
 これだけの魔術を扱える存在がいるのなら、《炎帝》などという存在はもういらないのではないだろうか?
 少なくとも、この場はもうマグヌスがいれば大丈夫だ。魔術の副作用がどれほどのものかは分からないが、武力としての力はすでに十分相手に見せ付けた。そう時間もかからず、相手は撤退するだろう。
 だったら、この場だけは自分が無理に立ってなくてもいいのではないか?
 そう、考えたとき。

 ジジジ、ジジジ。

 また、ノイズが鳴った。
 不快な音に頭を抱える。鳴り止まない不協和音は拒むカールスに構わず鳴り響く。
 何だ、この音は。
 ココロなら何か知っているのではないか。そう思い呼びかけてみるが、返事はない。
 どうしたのだろうか? 霊体でありカールスの憑き神であるあの神鳥なら、いつもは呼びかければすぐに応対してくれるのに。
「く、ぅ」
 ノイズが激しい。
 熱以外にも、吐き気までが襲ってくる。酷い風邪の症状が、懸命に立つカールスを締め上げる。
 視界が歪み始める。マグヌスは今どうしているだろうか。自然と下がっていた頭を、重たさを感じながらゆっくりと上げ、じっと目を凝らす。
 全てがぼやけて見えた。それも、頭痛の所為でところどころ途切れ途切れになる。
 まるで自分だけが遠くに隔離されたような感覚に、しかしカールスは何の感慨も思い浮かばなかった。いや――すでに、そんなことを考えるだけの思考力もなくなっていた。
 未だに押し問答を続けているマグヌスと敵の指揮官。間近にいるというのに、その内容すらぼやけて聞こえて、聞き取れなかった。
「は、ぁ。――う、ぎ」
 中から湧き上がってくるものを押さえ、あえぎ声が上がる。
 立っていられるのが不思議なくらいだった。膝はもうがくがくと笑っているし、頭は起こしているのも辛いほど重たい。
 意識がはっきりしない状態で、ぼそぼそと、耳元で囁かれるような気がした。

 ジジジ、ジジジ。

 その囁きは、何であろうか。
 ただのノイズにしか聞こえないそれに、理解を示すことなんて出来ない。
 ただ、気づいたら体が動いていた。
「な、炎帝っ!」
 マグヌスの焦った声さえも、彼岸の出来事のように感じる。
 カールスは、自分が歩いていることすらも気づいていなかった。
 一歩一歩、カールスの体は勝手に前進する。
 ――まるで、全ての銃火器の的になるかのように。
「――――ッ!」
 叫び声は誰であっただろうか。
 それを認識したときには、カールスの視界は反転し、体は地面に叩きつけられていた。
 急な上下運動に、吐き気が湧き上がってくる。
 何とかそれを抑えたときには、意識が幾分はっきりしていた。
「…………え?」
 意識が明確になった分、状況を理解するのも早かった。
 未だ熱で熱い自分の体。その上に、何か重たいものが乗っている。
 乗っかっているものの正体はすぐに分かる。なぜなら、『彼』の顔が、カールスのすぐ目の前にあるのだから。
「――が、っは」
 彼の口から、血が吐かれる。
 その血液はカールスの顔にかかり、生きた生暖かさを感じさせる。
「大丈夫、ですか。炎、帝」
 途切れ途切れに安否を確認してくる彼は、弱々しげな笑みで、まるで庇うようにカールスの上に馬乗りになっていた。
「マグ、……ヌス?」
 思ったよりも呆然とした言葉が口から漏れる。
 何も分かっていないような声。
 しかし、問いかけてすぐ、カールスには何が起きたか全部分かってしまった。

 ――マグヌスの右半身は、銃撃によってえぐれ、ズタズタに傷つけられていた。

 ひゅう、ひゅう、と彼の喉から音が漏れる。
 そんな様子でありながら、マグヌスはカールスを見て、
「ああ、良かっ、た」
 そう言って、力なくしだれかかって来た。
「…………」
 理解能力は追いついているのに、思考能力が遅れていた。
 意識を失って倒れこんだマグヌスを受け止める。確かな重みがあるというのに、まるで現実味のないもののように思える。
「あ、あぁ、あ」
 顔を上げる。
 そこには、呆気にとられながらも、生まれたチャンスに歓喜している指揮官の姿が。
「全軍――」
 彼は、その勢いのまま、手を挙げ攻撃を再開させようと命令を送る。
 戦況はまたしても、一瞬で移り変わった。
 ついさっきまでこちらの切り札だったマグヌスは、いまや銃弾に倒れ死亡手前の重症。
 この機会を、相手が逃すはずがない。
 いや、そんな事実よりも、カールスが気にしているのは一つだけだった。
(マグヌスが、倒れた)
 それも、自分を守るために。
 先ほど、前後不覚だったときに自分が何をしていたかまったく分からない。
 その間に、むざむざ攻撃を受け、それをマグヌスが庇ったのだとしたら……
「ボクは、ボクは……」
 爆発しそうな感情を必死に押さえ込む。
 が、マグヌスが倒れたという事実が、その理性を叩き壊した。
「うあああああああああああああああああああっ!」
 ボン、と。
 カールス・イシルドの中で溜め込まれていたものは、その瞬間一気に爆発した。




◇◆◇


「とりあえず、俺が出来るのはこれくらいだぞ」
 気功による簡単な応急治療を行って、ハワードはそう言った。
 倒れた状態から、マーカスは試しに体を動かしてみる。多少重たい感じはするが、先ほどまでのように力が抜け切った感覚はない。
「使えるっつっても、俺も出来るようになってまだ一年程度だからさ。下手したら逆にダメージ与えてしまいかねないから、あんまり回復させられなかったけど」
「いや、大丈夫だ。こうして力を分けてもらえるだけでもありがたい」
 まったくない状態よりも、少しでもあるほうが補給はしやすいのだ。
「あとはマナからある程度取り込める。切り口を作ってくれただけで助かった」
「そっか。じゃあ、もう動けるんなら行こうぜ」
 そう言って、ハワードはさっさと背を向けた。
 怪物都市と化した街からは、ハワードが乱入してすぐに出ている。今は山の入り口といったところで、そこから集落の方へ向かうつもりなのだろう。
 一人でずんずん歩いているハワードに訝しげな視線を向けつつ、マーカスは黙ってついていく。
 助けてもらってはいるが、まだ完全に信用し切れてはいなかった。むしろ、どうして助けてきたのかが分からない。
「……ハワード。といったな」
「ああ、そうだよ。ハワード・カロル。ちなみに所属はギリシャ文字。えーと、さすがにどんなとこかは知ってるよな?」
「マラにいた頃は天敵のようなものだったからな。始めは、まさかそんな奴らが乗り込んでくるとは思いもしなかったが」
 憮然とした面持ちでマーカスは答える。
 その間にも、値踏みするようにハワードを眺める。
 そんな様子に嫌気が差したのか、ハワードは少し歩みのスピードを落として、マーカスの隣に並んで歩く。
「あー、あれだ」
 そして、おもむろに話し出す。
「俺が持ってる主な能力は三つ。一つは、さっきの戦闘でも見せたように、鋼鉄を操る能力。これは土地神との契約によって得た力な。だから、『契約者(コントラクター)』ってやつだ。契約したのは、ホント地方のマイナーな土地神様だから、どうせ知らないと思うけど」
 唐突にそんな話を振られ、マーカスは戸惑う。
 しかし、そんな彼の様子にまったく構わず、ハワードは次から次に話を進める。
「次に、感応能力。テレパシーほど有益なものじゃなくて、手を触れた相手の心情を読み取る程度だけど、深く探っていけば過去の記憶も読める。あと、自分の周りの空間の把握くらいかな。ちなみに、これは生まれたときからもってる天然もんだ」
「ま、待て、ハワード」
「んで、最後が予知能力。これは後天性のもんなんだけど、いまいち扱い辛くてさ。今でもコントロールできてないんだ。ホント、ランダムに知りたくもない情報を教えてくれるんだ」
 と、話し終えて、彼は反応を期待するように視線を向けてくる。
「……お前、どうして」
 そんなハワードに、マーカスは戸惑いの表情を浮かべる。
 分からない。この世界で、自分のことを事前に知られるというのは、ほとんど自殺行為だ。嘘をついているのならいいが、彼の様子は嘘をついているようにはまったく見えない。それに、話の内容的に、嘘をついても何のメリットもない。
「ん、まだ納得いかないか? だったらもう少し詳細に話そうか?」
「いや……。どうして、突然そんな話をするんだ?」
 いくら助けてくれたとはいえ、以前は敵だったのだ。警戒こそすれ、そんな風に自分のことをべらべらとしゃべることが出来るわけはない。
 そんなマーカスの疑問に、「ああ」と納得の言ったような表情をするハワード。そして、なんでもないことのように言う。
「だって、こうでもしないと信用してくれないだろ?」
 何を当たり前のことを、とでも言うような口調。
 それに、マーカスはあっけにとられた。
「いや、確かにそうだが……」
「だいたい、こっちは無理言って信用しろって言ってるんだ。自分の情報の一つや二つ、進んで教えるのがスジってもんだろ。隠し事したままじゃ、協力関係なんて作れやしない」
「だが、それで裏切られたらどうするつもりだ?」
「そんときはそんときだ。だいたい、裏切られるのが怖くて人を信用することなんてできねぇよ」
 その理屈は分かる。
 それは、ハワードなんかよりも何十年も多く生きたマーカスならば、嫌でも理解できる。
 しかし、理解できるのと、それを実際に実行できるのでは、雲泥の差だ。
「……納得できん」
「ま、そうだろうな。とくにあんたみたいな、戦場の中をたった一人で生きてきたような人間は。――でも、ここは信用してもらわないと困る。一応俺も、カールス助けたいからよ」
 ボソリと言ったその言葉は、聞き逃せないものだった。
「カールスを助けたい? どういうことだ?」
「そのまんまの意味だよ。俺はそのために戻ってきたんだ。あんたと協力しようって言うのも、その方がカールスに近いからなんだが」
 と、ここで初めて戸惑ったような様子を見せる。
「あー。あいつの正体って、あんた知ってるか?」
「質問の意味が分からないが」
「――いや、いい。あんたもやっぱ知ってたんだな」
 サッと、軽くマーカスの肩に触れて、ハワードは言った。
 何をしたかは、すぐに分かった。
「…………卑怯だぞ」
「悪い。だけど、カールスに関してだけは、あんたの歩み寄りを待ってる暇はないんだ。他に知りたいことなら何でも教えるから、それで勘弁してくれ」
 ばつが悪そうな表情でハワードは弁解する。
 その、拍子抜けするほど素直な反応に、マーカスは毒気を抜かれた。
「別に、私は構わない。ただ、これ以上何かを教えてしまっても大丈夫なのか?」
「言ったろ。協力者に対して情報の出し惜しみはしないって。それに、あんたみたいな魔術師は、どんなことでも自分の魔術の発展に役立てようとするから、まったく無駄でもないだろ」
 まるで魔術師という人種を理解しているような言い方である。
 しかし、それは間違いではないので、何も言い返すことは出来ない。
 魔術を習得し、発展させていく上で必要不可欠なのは、そういった知識欲である。例えそれがまったく無意味なものだとしても、不思議なことや自分の知らない法則であれば、無条件に受け入れようとする。今でこそそういった魔術師も少なくなってきたが、昔は魔術を志す者は、すべからくそういう性質を持っていた。
 科学はその反対で、他の法則を排斥しようとする。だからこそ、過去魔術と科学は、共存したり敵対したりを繰り返したのである。
 そして、マーカス・ケルフィンという魔術師は、骨の髄まで真性の魔術師であった。
「では、遠慮なく質問させてもらうが……」
 手始めに、当たり障りのないことから聞いていく。
「そのサングラスは、どうしてつけているんだ?」
 ハワードの目にかかっている、黒いサングラスを見ながら言った。
 些細なことではあるが、気になっていたことではあった。
 そんなものは、戦闘職種の人間にとっては邪魔以外の何ものでもないはずである。視界はさえぎられるし、すばやい動きでズレたり、割れたときの破片が危なかったりとデメリットだらけだ。ただのファッションであるのなら、愚かとしか言いようがない。
「見たところ、戦闘中は外しているようだったが」
「ああ、これは――」
 スッと、サングラスを外しながら答える。
「感応能力の代償らしいんだけど、俺は生まれつき眼が光に弱いんだ。そもそも、あんまり見えてもないんだけど」
 そう言う彼の瞳は、確かに開いてはいるが、どこか焦点があっていないようにも見える。
「一応、大体の感覚はつかめる。感応能力のおかげで空間把握はある程度出来るし、相手の顔の判別も、これくらい近かったら出来る。ただ、辛うじて見えてるのも、いつ駄目になるか分かったもんじゃないんだけどな。だから、出来る限り視力を残すためにこうして保護してるんだ」
 言い終わって、彼はサングラスをかけなおす。
「まあ、戦闘中は危険だから外してるけどな。それくらいなら、裸眼さらしても問題ないし」
 そして、「他に質問は?」と促してくる。
 信用してもらうためなら、とことん自分をさらけ出すつもりのようだ。
 眼に関しては、明らかな弱点である。それを教えたということは、これからも嘘偽りが紛れ込むことはまずないだろう。
 今のところマーカスに不利な点はないので、遠慮なく質問をしていくことにする。
「土地神との契約と言ったが、具体的にはどこのだ?」
「あー。多分あんたに言っても分かんないと思うぞ。――えーと、ギーテライナって国が俺の故郷なんだが、知ってるか?」
「聞いたことはあるが、詳しいことは知らない」
「そりゃそうだな。俺も、いたのは十歳にも満たないガキの頃までだったからあんま詳しくないんだけど、その中でもすげー小さな村があってさ。その村で祭られてた神が、契約した神」
「鋼鉄の神、か」
「そういうこと。元は、全然違う豊穣の神を祭ってたはずなんだが、ふたを開けてみるとびっくり。真反対の戦神が出やがった。まあ、信仰なんてこんなもんだとは思うけどさ。ちなみに、何の因果かギーテライナ王国の国旗と同じで、竜をかたどってる」
「そういえば、言葉はどこで覚えた? 確か、その国の公用語はジリア語とかいうものだったはずだろう? 英語の教育もあったみたいだが」
「あー、そこんとこ説明するの面倒なんだけどさ。あんた、今何語しゃべってる?」
「? アラビア語だが、どうしてそんなことを?」
「いや。それなんだけどさ」どう説明したらよいか迷っているようにハワードは言いよどむ。「俺みたいに、契約して『契約者』になると、どうも意思疎通のとき言語の縛りが取れちゃうみたいなんだわ。意識して使い分けてくれれば、違う言語が使われているってことは分かるんだけど」
「……つまり、特定の言語をしゃべっているわけではない、と」
「そ。知り合いの言葉を借りると、『アカシックレコードに常に接続した状態』だってさ。要するに、どんな言語でも理解できるし、どんな言語でも理解させることが出来るってこと」
 カールスも同じのはずだぜ、とハワードは続ける。
「あいつは多分、火の鳥と契約してる。東洋の鳳凰と西洋の不死鳥の、どっちがルーツか分かりにくいけど、あれはおそらく両方を混同させたもんだな。ま、だから言葉に関して、カールスが困ったことはないはずだ」
「確かに、始めに会ったとき、どの言葉をしゃべればいいか迷ったが、自然と意志の疎通は出来ていたな」
 そう、しみじみと呟く。
 そのまま流れに任せて、ふと思いついたことをすぐに質問する。
「じゃあ、話を蒸し返すようで悪いが、どうしてうちの集落を襲ったりしたんだ?」
「あれは、ギリシャ文字の仕事だよ。言い渡されたのは二つ。魔法剣の回収と、炎帝という人物の無力化。――っと、まだ信用してないんなら答えなくてもいいんだが、こっちから質問してもいいか?」
「答えられることなら」
「問題の魔法剣なんだけど、一体どういう物なんだ?」
「なんだ。知らなかったのか」
「あいにく情報不足でね。なんか危険な代物だからとっとと回収して来いとは言われたけど、詳細はまったくなんだ。そんな危険なものなのか?」
「私の見た限りだと、確かに危険だった。詳しい術式までは分からなかったが、おそらく柄に触れた人物は、その身に存在するエネルギーを根こそぎ奪われるはずだ」
「……うわ、なんだそれ。それじゃあ、持ち運びとかどうしてるんだよ」
「保存する箱に入れられていた。ただ、本当は鞘がついていたんだろうな。鞘があれば、あそこまで無差別にエネルギーを求めたりはしないはずだ」
「はぁん。それで焦ってたのか」
「ちなみに、そのエネルギーを奪われるのをコントロールできるようになれば、その先にある魔法剣の術式を扱えるはずだ。多分、あれほどのものなら相当なレベルの『魔法』がいくつも入っているだろうな」
「話を聞く限りじゃ、んなやつ居そうにないけどなぁ」
「少なくとも私にはそんな勇気はないな。――じゃあ、次に質問だが」
 そうして、二人は山中ずっと情報交換を繰り返した。
 ほとんどはマーカスが質問して、その合間にハワードが気になったことを聞き返すといったパターンだった。マーカス自身、質問の内容はまったく吟味しなかったため、話はまとまりなく、いろいろな方向へ飛んだ。
 ただ、中でも一番多かったのは、マーカスが気になっていた、ハワードとカールスが行ったという契約についてだった。
「つまり神との契約といっても、そういったことを行うのは、極々小さな土地神に限られると考えていいんだな?」
「そうなるな。他に俺が会ったことのある契約者も、どこかの少数民族の象徴だったり、言い伝えだけで祭られていた土地神だったりだったよ」
「ということはカールスもその一人、というわけか」
「あいつに関しては、まあイシルドって確かに火炎鳥を祭ってた一族だけあって、かなり強い神霊が憑いてたな。てっきり鳳凰の一族だと思ってたら、不死鳥の属性まで持ってて驚いた」
「その辺は、やはり言い伝えとかでまったく変わるのか?」
「変わる変わる。要するに神ってのは、信心が積もり積もって力として顕現しているんだしな。それに、こうして契約しているのも、その力をさらに強力にするための手段に過ぎないし」
「そういえば、契約ってことは代償があるということだな。その代償が、今言ったことなのか?」
「そ。契約者になるときの代償は、その力を使って生きて、死した後、生前行った行為と共に神霊の一部になるってこと。別に戦いじゃなくてもよくて、教えを広めるだけでもいい。とにかく、生きたという経緯を持つことによって、本来一部の民族でしか栄えない神が、少しずつその神性を高めていくんだ。そういう意味では、カールスの力は妥当すぎる」
「その辺の仕組みはなんとなく分かるが……。そうか。だからカールスはあんな力の使い方が出来たわけか」
 炎の能力としては破格の力を誇っていたカールスの様子を思い出す。
 膨大な力を操作できるカールス自身も相当の才能を持っているが、そもそも一族として長い歴史を持っているため、基本出力が違うのだ。
「ちなみに俺の方は、俺が一代目だからそんな神性高くねぇけどな」
 そう言うハワードだが、しかし彼の実力は十分分かっている。例え能力がそれほどでないとしても、それをカバーできるだけの技術を彼は持っている。
 そうした話の中で、話は自然とカールスに集中していく。
 マーカス自身、カールスについてはずっと気になっていた。特に、魔術師としてみるならば、ローアンでなくてもあの存在は否応なく気になるものだ。
 今でこそ諦めているが、『奇跡』を求めていた頃ならば、カールスの能力は気になるどころではなかっただろう。こうして聞いている間も、もう諦めたはずなのに、僅かに魔術の発展について考えている自分がいた。
 ちなみに、ハワードの方も彼とは別の意味でカールスが気になっているようだった。カールスを助けたいという発言といい、どういうことか気になったので、途中でその質問を入れる。
「カールスを助けたいと言ったが、それはどうしてだ?」
「……許せねぇんだよ」
 てっきり誤魔化されると思ったが、ハワードは意外にも答えてくれた。
 軽くそっぽを向きながらであるが、彼はマーカスの質問に答える。
「あんたもカールスが隠していることは分かっているんだろ。俺はその上で、あいつがあんな境遇に束縛されてるのが気に入らないんだ。自分の存在の根底を偽られて、ただ象徴として祭り上げられている。それは、とんでもない苦痛だし、ストレスだ。その境遇に甘んじることしか出来ないあいつを助けたいんだ」
 その彼の言葉で、マーカスはハッとさせられた。
 そう、それは、自分たちの集落でのことも含むのだ。
 カールスのことを炎帝と呼び、勝手にはやしたて祭り上げる集落の住人たち。
 その現状は仕方ないことではあった。あそこにいるのは、基本的に紛争による難民たちで、みな頼りになる拠り所を求めていた。その対象として、カールスの力はうってつけだったのだ。
 それが分かっていたから、マーカスもわざとカールスの隠し事には目をつぶっていた。そうすることで、集落の平穏が保たれるなら、と思ったのだ。
 ――本来なら、自分がしなければいけない役目なのに。
 ただ、絶対的な力と、象徴としての見栄えから、カールスが前に立つことは望ましかった。
「カールスは、故郷でも同じ扱いだったのか?」
「むしろ今より酷いんじゃないか? あいつの記憶の中にあった故郷らしい部族は、狂信による歪な統率だった。あいつは、出来る限り自分の都合のいいように解釈してたみたいだがな」
 吐き捨てるように、ハワードは言う。
「他人のコミュニティに、必要以上の介入をするのは駄目だって上司からは言われてるが、俺としてはこういう風潮はかなり嫌いだ。これは私情もかなり含むけどさ。だから、助け出す」
「……一応言っておくが、それはきれいごとだぞ」
「女子供には、そのきれいごとを通用させてもいいだろ。まして、男尊女卑が強い地域ならなおさらだ」
 そう、迷いなく言い切るハワードを、マーカスはまぶしく感じた。
 自分よりも何歳も年下の人間が、これほど確固たる意志を持っている。ハワードの言葉の端々からは、迷いは感じられない。自分が気に食わないものは気に食わないと、しっかりと表現している。おそらく、彼は誰かを拠り所にするようなことはないだろう。
 彼のような人間ばかりなら、カールスのような存在は生まれないだろうに……。
「ん、なんだ?」
 と、そんなことを考えながら、歩いているとき。
 距離的には、あと三十分ほどで、集落が見えてくるだろうという頃だった。

 ――空に、轟音と共に火柱が上がった。

 その炎は、一瞬空を覆いつくし、辺りに火の粉を撒き散らす。
 辺りに響き渡った衝撃に、森がざわめき、混乱する。
「な、なんだ!?」
 何がなんだか分からず、辺りを見渡す。
 そのとき、続けて奇声のようなものが聞こえてきた。

 キィキェェェェェェェェェ!

 耳を通り越して、直接脳にぶつけてくるような甲高い鳴き声。
 一度も聞いたことのないはずのその声は、何故だか、聞き覚えがあった。
「まさか……カールスか?」
 それはハワードの方も同じだったようだ。呆然としたように、そう彼は呟く。
「ちっ、ゆっくりしすぎたか!」
 いくぞ、とマーカスに声をかけ、ハワードは一目散に山道を駆け上がる。
 その背中を追いかけ、まだ気だるさが残る体を必死で動かした。


※※※


 ホロコーストという言葉がある。
 第二次世界大戦中、ヒトラー率いるナチス政権下において行われた、ユダヤ人などに対する大量殺戮をさす。その印象が強いためか、今でも英語では、この言葉は『大量虐殺』という意味を持つ単語となっている。
 しかし、その語源はギリシャ語におけるホロスとコーストという、二つの言葉が複合して出来た言葉である。
 そう、ギリシャ語において、『ホロス(全て)』と『コースト(焼く)』。
「まさしく、ホロコーストというのが似合う状況ですね」
 ローアンは木の上から双眼鏡で、山賊の集落のある場所を見下ろしながら、静かにそうつぶやいた。
 大爆発の如き轟音とともに、火柱が上がったその場所。
 靄が晴れた中には、カールスがしゃがみこんでいた。
 その手には、誰かの体が抱えられている。おそらくマグヌスだろう。どうやら、ローアンの思うように動いてくれたらしい。
 その周りは、まるで山火事でも起きたかのごとく、真っ黒に焼け焦げていた。
 焼き尽くされて真っ黒に染められた惨状の中には、当然人間もいる。軍の人間も、また集落の人間も、みな平等に灼熱の炎に焼かれ炭化しきっていた。
 おそらく、カールスの近くにいた者で、生存者はほとんどいないだろう。少し離れた家屋ですら、先ほどの爆発の衝撃で半分以上大破している。まだ冷め止まぬ炎が轟々とうねり、その凄惨さをいっそう際立てていた。
 その中央で、カールスは身をかがめて、まるで守るかのようにマグヌスを抱きしめていた。
 やがて、体をかがめていたカールスが、苦しそうにびくりと動く。
「キ、ギギ、――ギギキキェェェェ!」
 体を弓なりに反らし、高く、鋭く、まるで苦痛を訴えるようにつんざくような叫び声を上げる。
 ズンと頭に直接届いてくるような叫び声に、ローアンは顔をしかめる。
 それは、助けを求めているようにも聞こえた。自分の苦しみを、助けてくれと懇願するような声に聞こえた。
「――大丈夫、ですよ」
 ぼそりと、ローアンはつぶやく。
 その声は、まるでその場にいない誰かを安心させるために吐かれた言葉のようだった。
 悲鳴に近い叫びを上げたカールスに、変化が起こる。
 全身が燃え上がり、背から炎と共に何かが噴出する。
 それは、翼の形をかたどり、荒々しく羽ばたく。
 カールスの体中に、羽毛のような赤い炎が纏わりつく。まだ人型を保ってはいるが、その姿は着実に『鳥』へと変化していっていた。
「来ましたね」
 ここからが本番だった。
 これまでは全て下準備。全ての布石は、この瞬間のために。
 腰掛けている木からすぐに下りられるよう手をかけ、ローアンは厳しい表情で事の成り行きを見守る。
 下でのた打ち回っているカールスは、やがて高く飛び上がる。羽が生えたため、浮遊の概念を得たのだろう。まるでその場から逃げ出すように、カールスは空へと飛び上がった。
 空をさえぎる木々の葉を突きぬけ、空へ。
 そのままどこかへ飛び去ろうとするのを見て、ローアンはすぐに行動を起こした。
「『照準指定(アミング)。――霊糸結合(エーテルジョイン)。固定(フィックス)』」
 単語で呪文を詠唱しながら、地面へと飛び降りる。
 その間も、空中を舞うカールスからは目を離さない。
「『完了(セット)。捕縛式(アレスト)。無意識の楔(インヴァレンテリー・チェーン)』」
 地面に手をつき、魔力の流れをカールスへ向ける。擬似的な感覚が、カールスの足をつかんだことをローアンに知らせていた。
 それは、魔力で作った綱のようなもの。それをカールスの足に引っ掛け、そのまま全身を縛るように絡み付ける。
 もちろんカールスもじっとしてはいない。半分鳥へと変化したカールスは、自身に起きている異変に気づき、がむしゃらに暴れまわる。
 が、それは全て逆効果だった。ローアンの綱は、暴れれば暴れるほど絡まっていく。
 そのことを考える余裕など今はないのだろう。苦しそうに暴れるカールスを制御するのは、暴れ馬を従わせるのと同じ感覚だった。
 ただ、カールスは本能で察したのだろうか。やがて無闇に暴れるのを止め、進路を変えて山の中に高速度で突っ込んできた。
「ん……こちらに、来ない?」
 てっきり自分の方へ向かってくると思っていたローアンは、拍子抜けしてそんな言葉を漏らす。
 判断自体は間違っていない。ローアンの術は、ただ外へ逃げるのを封じるためのものだ。すなわち、こちらに向かってくる分にはあまり効果はない。
 だからこそ、それが出来ると分かったなら、元凶である自分を叩くと思っていたのに。
「あっちは――」
 カールスが突っ込んでいった方向を見る。
 まだ『無意識の楔』の効果は残っている。追いかけるのは簡単だ。
 今までの間に、カールスは随分消耗しているはずである。だとしたら、まだ失敗したわけではない。すぐに追いかければ間に合うだろう。
 手に感じる確かなつながりを握り締め、ローアンは急ぐ。
 数分後。
 辿り着いたのは、崖に挟まれた場所に隠された滝つぼだった。
 轟々と鳴り響く滝の音。大きなサイズの岩がたくさん転がっている中、カールスはその中の一つの岩の上に倒れていた。
 横向きに倒れた状態で、荒く息をしている。相当苦しいのだろう。――仕方がないこととはいえ、それを見るとローアンは僅かに顔をしかめる。
 すぐに表情を戻すと、彼は岩を乗り越えてカールスに近づく。
「……驚いた」
 倒れているカールスの傍らに立ち、ローアンはまずそう呟いた。
 半分鳥人と化したカールス。その赤い羽毛は美しい炎の様。腕はまだ残っており、背中から生えた羽が優しく抱擁するように包み込んでいる。
 カールスの腕の中には、まだマグヌスがいた。
 あれだけ暴れまわった中、カールスは一度としてマグヌスを離そうとしなかったのだ。
 ――それだけ、執着があるということだろうか。
「傷が治ってる……いや、違うか。修復されただけ、といったところか」
 遠目で見ただけでも、マグヌスの怪我は重傷だったはずだ。機関銃の照射を受けて、そもそも五体が満足でいられるのが奇跡なのだから。
 しかし、今カールスの腕の中で意識を失っている彼は、ぱっと見外傷らしいものが見当たらない。衣服は何かに傷つけられたようにズタズタであるが、ちぎれた服の間から覗くマグヌスの肌は綺麗なものだった。――おそらく、カールスの不死鳥としての、再生の炎の効力だろう。
 ただ、完全に治癒しているわけではないようだった。依然、マグヌスの顔色は悪い。生気そのものが薄れてきている。――このような状態では、彼の才能もうまく発揮できないだろう。それどころか、逆に彼自身を危険にしている可能性もある。
「まあ、なんにしても。あなたのおかげで、思った以上に簡単にカールスを籠絡できましたよ。マグヌス」
 意識のないマグヌスに、ローアンは皮肉とも取れる礼を言った。
 そして、すぐにカールスの方に意識を向ける。
 こちらも意識がない。あどけない、というにはあまりにも苦しそうな寝顔。それに対して申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、ローアンは地面に手を当てた。
「――『同調(トレースオン)。霊糸接続(エーテルユニオン)。解析(サーチ)』」
 詠唱と共に、そこからカールスへと再び魔力の綱を伸ばす。
 属性・『力』 系統・『流れ』『操作』
 それがローアンの魔術。世界に存在するエネルギーの流れをつかみ、操作する魔術。
 それでもって、カールスの契約者としての力を解析し、そのシステムを取り込む。
 普段はロックがかかっている精神も、今となっては意味を成さない。そのために、カールスを限界まで追い詰め、本音という名の深層意識を表面に引き出したのだ。
 解析中、ローアンの中にカールスの記憶が流れ込んでくる。その記憶は、何度となく接続を試みてきたローアンにとっては、もうなじみの深いもの。彼自身も、嫌な記憶を思い出してしまう負の記憶。
「『一番解除(ファストクリア)。四番接続(フォースオン)。七番解除(セブンスクリア)』」
 ひたすら無心に行為を続ける。
 ビクン、とカールスの体がはねる。どこかおかしな部分に触れてしまったようだ。苦しげなカールスに構わず、ローアンは強引に進める。
 と、あらかた作業が進んだところで、後ろから声がかけられた。
「――そこまでだ」
「ッ!?」
 声を聴いた瞬間、ローアンは弾かれるように横に飛び退いた。
 その反応は正解だった。飛び退いた瞬間、つい先ほどまでローアンがしゃがんでいた場所を、何か鋭い刃物のようなものが通過していた。
「……想像よりも、早かったですね」
 苦々しく思いながら、そう言って正面を見る。
 ハワード・カロル。
 ギリシャ文字の精鋭が、崖の入り口で肩を怒らせて立っていた。
 この奥まった場所は、入り口が分かりにくいはずだった。ローアンも、カールスにつないだ鎖がなければ決して入り込めなかっただろう。
 そんな場所に、どうやって彼はこんなに早く辿り着いた?
 その疑問は、すぐに解けた。
「なんだ、あなたも来たんですか」
 ハワードの後ろ。
 見るからに辛そうな表情で、肩で息をしているマーカスの姿があった。
 この山に精通しているマーカスならば、この入り組んだ場所に来れるのも納得できる。しかし、まさかこの二人が手を組むとは思わなかった。
「まったく、予定外なことばかり起こしてくれますね」
 苦笑いながらも、不敵な笑いを顔に浮かべ――
 魔術師・ローアン・クルセイドは、二人に向き合った。


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西織

Author:西織
この欄を編集するのを完全に忘れていた男。今年の四月に新社会人という名の社畜人生に一歩を踏み出した。



性別:男
年齢:22歳
血液型:A型
趣味:読書&執筆
将来の夢:作家(前途多難)

本の感想などを見たい人は、こちらをどうぞ
『空っぽの知識(読書日記)』
http://emptyreader.blog81.fc2.com/

自作小説専門のブログ作りました。
『空っぽの知識(自作小説)』
http://emptynovel.blog83.fc2.com/

同じFC2ブログを三つも作ったことにより、他のブローカーに訪問者履歴的な意味で迷惑が……あの、本当に申し訳ございません。


何か連絡があれば、こちらにお願いします。
alred_marchen☆hotmail.co.jp
(☆を@に変えてください)



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