空っぽの知識
 かたよりまくった読書くんの日記
『火炎鳥の涙』 第六章


 第六章。

 事後処理です。マーカスVSローアン。……なんてーか、完全にメインが移っちゃってますが、これやらないと話のしまりがないので。
 個人的に物語というのはメインキャラクターには全てに物語があると考えるたちなので、主人公ってのが一定しないんですよね。一応この話の主人公はカールスとハワードですが、マーカスとマグヌス、ローアンの三人にもちゃんとした戦いがある。そんなわけで、この章があります。


 そんなわけで、この後は次のエピローグで最後です。






 第6章 魔術師たちの敗残処理


◆◇◆


 戦いは終わった。
 カールスは、ハワードの腕の中で泣き疲れたように身を任せてきている。
 そのあどけない、緩みきった表情は、あの《炎帝》と同一人物とはまったく思えない。
 ――しかし、こっちが本当の彼女なのだ。
《炎帝》などという仮初めの偶像とは違う。カールス・イシルドという人物の本当の姿。
「大丈夫か?」
 そろそろ落ち着いただろうと思って、ハワードは問いかける。
 するとカールスは、恥ずかしそうに顔を伏せつつ、コクコクと小さく首を縦に振った。
「……ハワードの、方は」
「ん?」
「ハワードの方は、大丈夫?」
 顔は伏せられたまま。消え入るような声で突然聞かれて、何のことだか分からなくなる。
 しかし、すぐに体のことだろうと気づき、穏やかな笑みを浮かべる。
「心配すんな。お前のおかげで、火傷もねぇよ」
「……良かった」
 その声はぶっきらぼうだったが、本当に良かったと安心しているように聞こえた。
 ゆっくりと、ハワードは彼女を地面に降ろす。
 少しふらついたようだったが、カールスはちゃんと自分の足で立った。
「さて。どうすっかな、これから」
 やるべきことは多い。特に、カールスの処遇については慎重に考えなければいけない。世間における《炎帝》の悪評は少しばかり強すぎるから、本当の意味でカールスを助けるには、しっかりと根回しをしないと。
 とりあえず現在すべきことは、集落の方に行ってみることか。
 あの空に上がった炎の規模から考えて、何かが起きたことは確かだ。ハワードが先ほど食らった火球ほどではないだろうが、それでも人を塵も残さず消滅させるくらいの威力はあると思う。
 被害がどれほどか。生き残りくらいいればいいが。
 と、そんなことを考えていたときに、一つ忘れていることを思い出した。
 その瞬間、嫌な気配を背後に感じる。
「っ!」
 まずい、と、すぐに彼がいるであろう方を振り返る。
「――まったく、茶番ですね」
 十数メートルほど離れた岩場の上。問題の元凶は、つまらなそうな呟きを吐きながら、悠然とその場に立っていた。
 いや、問題は立っていることではない。
 彼の背後にいる存在。それが問題だった。
「お、お前。それは……」
 思わず、身じろぎしてしまった。
 立っているのは、ローアン・クルセイドという名の魔術師。
 そしてその後ろにいるのは、まるで自然そのものが生物になったかのような、巨大で奇怪な、木で出来た化け物だった。
 ギジジ、ギギジ。
 その巨人の体は、ところどころに土が使われているようだが、ほとんどが木の幹で生成されていた。頭の部分は凶悪な悪魔のようで、ギギ、と脅迫のごときうめきを上げている。
 ここにきてそんな存在が現れたことに、ハワードは思わず固まってしまう。
「はぁ。つまらないですね。まったく」
 そうローアンは、興味なさそうにつぶやきはじめた。
「ハワード、といいましたっけ。あなたには本当に驚きですよ。まさか、本当にカールスの苦しみを受け止められるなんて。どうせ途中で死んでしまうだろうと思っていたので、びっくりです」
 ゆっくりと、まるで女性のような優雅な歩みで、ローアンは一歩一歩前進してくる。
「カールスが救われてしまっては、もうどうしようもない。私が必要だったのは、カールスの苦しみそのものだったんですから。あなたの所為で私の目論みは全部無駄になってしまいました。……ホント、どうしてくれるんですか。まったく」
 恨むような物言いだったが、しかし彼の声に覇気はない。
 本当になんの興味もなさそうな、全てに興味を失ってしまったような平坦な声。
 希望も願望も全て奪われて、空虚ながらんどうだけが残ったようなさびしげな声。
「もうこうなってしまったら、まったく無意味ですけど――どうせですから、最後に残された目的だけでも果たしますか」
 そして、ローアンは投げやりに言う。
「――山賊の集落だけは、完全に潰してしまいましょうかね」
 そのどうでもよさそうな言い方でさらりと流された言葉に、
 真っ先に反応したのは、ハワードの隣の少女だった。
「そ、それは駄目!」
 ほとんど反射的にそう叫んでいたカールスに、ローアンは「どうしてですか? カールス」と虚ろな瞳を向けてくる。
「まさか、あなたが止めてくるとは思いませんでした。だって、あなたにとってあの集落は苦しみの元凶でしょう? 別にあなたのために潰すというわけではありませんが、あなたには感謝こそされ、否定されることはないと思いますが」
「そんな、そんなことない!」
 ローアンの言葉に力強く言い返す。が、勢いが良かったのはそこまでで、その後どう表現していいか分からなくなったのか、カールスはグッと黙り込んでしまった。
 その様子を、ローアンは白けたような目で見つめ、すぐに視線から外した。
「関係ありませんよ。どうせ、今のあなたたちでは私を止められない。あんな戦闘を行った後のですから、もう抵抗する力も残っていないでしょう?」
 意図的にであろう。彼はハワードの方に視線を向けながら、事実を突きつけるように言う。
 確かにその通りだった。ちゃんと立ってこそいるが、今のハワードはもうぎりぎりだ。立っているのが精一杯なのである。戦闘を行う余力なんて残っているはずがない。
 カールスにしてもそうだろう。最後に放った火球は彼女の全力だ。異能を扱う力を根こそぎ使い果たしているに違いない。
 そんな状態で、あんな巨大な化け物に敵うはずがなかった。
 しかし――
「ふん」
 ローアンは、ハワードが取った行動に対して鼻を鳴らす。
「無駄だと分かっていても抵抗しますか。あなたにしても、別にあの集落がなくなっても別に困らないでしょう? それなのになぜ、そこまで体を張るんですか」
「さぁな。ただ、今はずっと、カールスに尽くすと決めてるんでね。このお姫様が嫌だといってるんだ。最後まで抵抗させてもらうさ」
 一歩、前へ出て、その木々でできた巨人の前に立ちふさがる。
 その巨体の圧倒的な存在感に、微かに気おされつつも、ハワードはにやりと不敵に笑う。
「来いよ、デカブツ。不肖ながら相手してやる」
「……分かりません、ね」
 その姿に対して、ローアンは困ったように眉をひそめながら、搾り出すように言う。
 くいっと、彼の右腕が動き、巨人に命令を送る。
「……本当に、分かりません。なんで、そこまでカールスに尽くせるのか」
 最後に呟かれた小さな言葉は、どこか悲しげな響きがあった。
 命令によって、巨人の大木の腕が振り下ろされる。
 それに、ハワードは地面に手をついた状態で迎え撃つ。
「……くっ」
 しかし、集中できない。無限の剣を出すために大地の力の流れを読み込もうとするのだが、疲労の所為でうまくつかめず、技を出すのにタイムラグが起きる。
(ちぃ。間に合わない)
 ほとんど何も出来ず、ハワードの真上に木製の鉄槌が叩きつけられ――

 ――突如横から襲ってきた爆風によって、その木の腕は弾けとんだ。

「え?」
「そこまでだ。ローアン」
 響いたのは、息も絶え絶え、といった声だった。
 しかし、その力強い言葉に、その場の全員の視線がいっせいに向けられた。
 そこに立っていたのは、もう一人の魔術師。
 爆発の術を扱う、マーカス・ケルフィン。
 彼は、肩にマグヌスを支えた状態で、右手に炭素棒を握ってよろよろと歩いてきていた。
「おい、ハワード、カールス」
 彼は、苦しそうな声を張り上げ、二人に声を掛けてくる。
「お前らは逃げろ。お前たちと違って、私はまだ戦う手段がある」
 その間も、ローアンに向けている視線はそらされることがない。
 突然襲われたローアンも、警戒のためかグッとこらえたままマーカスを見つめている。
 その緊張の中、ハワードはすぐに後ろに飛び退いてマーカスの方へ近づいた。
 カールスも近づいてきてから、マーカスは再度言う。
「行ってくれ、ハワード」
「だけど」
「いいから、行け」
 気絶しているマグヌスを無理やり押し付けられる。
 身軽になったマーカスは、力強く一歩前に出て、二人に背中を見せる。
「ここからは魔術師同士の戦いだ。異能者は引っ込んでいろ。――それに」
 背を向けたまま、誰に向けたか分からない声は、はっきりと紡がれた。
「ローアンとの決着は、私がつけるべきなんだ」
 その言葉に込められた覚悟を、ハワードはしっかりと感じとった。
「……分かった。行くぞ、カールス」
 マグヌスをしっかりと背に背負い、その場に背を向ける。
 カールスに軽く目配せをすると、彼女はこくりと頷いた。
「うん、分かった」
 カールスは聞き分けの悪い子ではない。
 彼女にも分かったのだろう。マーカスが、どれほどの思いをもって前に立ったのか。
 少し後ろ髪を惹かれるような表情をしながらも、カールスはそれを振り払うようにハワードの後を追う。
「カールス」
 と、そのとき、今度はマーカスの方から声が掛けられた。
「……何?」
 もう振り返らないつもりだったのに、その言葉の所為で思わず振り返ってしまう。
 カールスから見えるマーカスは、相変わらず背中を向けたままだった。
 そのまま、彼は言いよどむように僅かに沈黙し、やがて柔らかくこう漏らした。
「……今まで、すまなかった」
 カールスの目が驚きで丸くなる。
 そんな彼女の姿が見えないマーカスは、構わずに言葉を続けた。
「今までお前を束縛していたのは私たちだ。それを、ハワードは身を挺して救い出した。――これで、お前は自由だ。もう、誰かのことを気にする必要はない」
「マー、カス」
「お前は、これからは自分だけを気にして生きていけ。――それだけを、最後に言いたかった」
 それ以上の言葉はなかった。
 明らかな決別の言葉。
 後に残るのは、拒絶するような確固たる意志のみ。
 それを感じ取ったのか、カールスは何かを堪えるように顔を伏せ、体を震わせる。やがて、彼女は意を決したように顔を上げると、
「今まで世話になった。マーカス」
 そう、《炎帝》は、山賊を統べる長に別れを告げた。
 そして、ハワードの後を追い、もう二度と振り返らなかった。


※※※


 後に残されたのは、魔術師が二人。
 しかし二人きりになってからは、殺伐としたその関係の割には、比較的穏やかな空気が二人の間に漂っていた。
「良かったのですか? そんな、自分ひとりが犠牲になるようなことして」
「別に、犠牲になったつもりはないさ。私はただ、決着をつけたいだけだからな」
 そっけなくそう返し、マーカスは逆に聞き返す。
「それより、お前の方こそ良かったのか?」
「ん? 何がですか?」
「とぼけるな。いつものお前なら、私がカールスに別れを告げている間にでも、攻撃するくらいのことはするだろう。それをしないということは、もうカールスのことはいいのか?」
 その言葉に、ローアンは虚を突かれたように呆けた顔をする。それから、フッと彼は自嘲気味に表情を緩めた。
「……まったく。敵いませんね。ホント」
 虚ろな瞳に僅かに色がもどり、それとともにローアンは忘れていたものに気づく。
 そう、目の前の魔術師は、自分にとってそういう存在なのだと気づいたのだ。
「正直に言うと」
 打ち明けるつもりがなかった言葉は、自然と口から出ていた。
「納得なんて少しも出来ませんけどね。未練たらたらですよ。――でも、あの子自身のことを考えたら、私はこのまま何もしないのが一番だと思いますから」
「……ということは、やはりお前は、カールスを」
「ええ、救いたかったんですよ」
 なんでもないことのように、彼は頷いた。
「あの子の苦しみを分かって上げられるのは私だけだと思っていましたからね。私が何とかしなければ、とずっと思っていました。あの才能も含めて、全部です。そもそも、才能さえなかったら、カールスはあんな境遇に立たされることもなかったでしょうし。――まあ今思えば、思い上がりも甚だしいですけどね」
 結局失敗してしまえば何の意味もない。それが分かっているから、彼は嘲るような物言いで道化を演じた。
 そんな彼に対して、マーカスは静かに問う。
「……それは、初めて会ったというときからか?」
「そうですね。あのとき、野垂れ死にそうだった少女に対して、気まぐれを起こして助けようだなんて思わなかったら、ここまで執着はしなかったでしょう」
「一体どうして、そこまでカールスに入れ込んだんだ……」
 心底分からない、とでも言うように、マーカスはしかめ面をしている。
 そりゃあ、分からないだろう。
 分かってたまるか、とも思う。
 穏やかに、波風立たぬ凪の中にいるように、彼はゆったりと両手を広げる。
「ねえ、マーカス」
 マーカスの疑問にすぐには答えず、ローアンは話を少しだけそらす。
「考えてみれば、私とあなたはマラにいた頃から随分と接点がありましたよね。多分、当時一番長く一緒にいたのはあなただったと思います」
「そう、だな。――おかげで、私もお前も相手のことを少しばかり知りすぎているくらいだ」
「なんていったって、相手の魔術研究のことまで知っているんですからね。まったく、いくら系統が違うからといって、安易に魔術の情報を漏らしてしまうなんて、今思うと馬鹿みたいですよ。あんなにいろんなことをさらけ出しちゃって。――思い返せば、私はあなたのことが苦手ではありましたけど、別に嫌いではありませんでしたよ」
「……そうか。私は、今でもお前が苦手だがな。だが、確かに嫌いではない」
「ふふ、言ってくれるじゃないですか」
 くすぐったそうな表情は、やがて優しげな笑みのままで固定され、真摯な瞳はまっすぐに目の前の相手に向けられる。
 マーカス・ケルフィン。
 彼は、本当に自分にとって不思議な存在だ。
 彼には否応なく、自分のことをさらけ出していた。信頼していたわけではない。依存していたわけではない。むしろ警戒していたはずだ。しかし、何故だかそんな風になっていた。
 生ぬるいぬるま湯に使っているような気分になってしまっていた。
「でも、一つだけ――」
 胸に手を当て、思い返すようにローアンは言う。
「一つだけ。私もあなたも、確実に明かしていないことがありますよね」
「ん。それは、本名のことか?」
「ええ、真名に関しては、一度も触れてなかったですよね。まあ、今まで敵対したことはあっても、殺し合いにまで発展したことはなかったですから当たり前ですが」
「確かにそうだな。しかし、それがどうしたというんだ?」
「……遅くなりましたが、――これが、私がカールスに執着した理由、ですよ」
 そう、さらけ出すように再度両手を大きく広げ、穏やかな笑みのまま言った。
「私の名は――」

「――クリスティーナ・クロス・クルセイド」

 その名前に、案の定マーカスは戦慄した。
「お、……お前、それは」
 驚愕の表情は凍り、言葉が固まる。
 問い詰める言葉は行き場を失う。
 ――もしかしたら違うのかもしれない。
 そんなことでも思ったのだろう。マーカスは目を軽く伏せて黙り込む。
 しかし、おそらく彼の考えたことは間違いではない。これがあったからこそ、ローアンはカールスに酷く執着したのだ。
「ローアン、お前……」
「あなたの考えていることは、多分正しい。――世の中にはですね、男尊女卑ばかりではなく、女尊男卑という風習もたくさんあるんですよ。マーカス。男性しか王になれない国もあれば、女性しか王になれない国もあるってことです」
 クリスティーナ。
 それは、本来女性につけられる名前。
 ――上に立つべきなのは女性であるべきだ。
 そう風に考える国も、確かに存在するのだ。
 そんな国に特殊な出自で生まれ、女性の名前をつけられてしまったがための不幸。
「クリスティーナ・クロス・クルセイド」
 再度、ローアンは確認するように繰り返す。
「これが私の名前。これが私の存在を表す記号。これこそが『私』という存在の起源」
 ですが、と
 彼は諦めの混じった儚い表情で言う。
「――それが、そもそも私自身を否定してしまっているというのは、なかなかどうして、皮肉だとは思いませんか?」
 空虚だった。
 そんなセリフを吐きながら、ローアンの頭の中はあくまで空っぽだった。
 昔はもっと、強い反発心やら深い悔恨などを覚えたと思うが、今ではそんな気持ちすらも湧き上がらなくなってしまった。
 ただ事実だけを淡々と。
 その姿が、どれだけ悲壮感に満ちて見えるかも知らないままに――
 そんなローアンの言葉に、つらそうに目を伏せていたマーカスは、
「――マルケイス」
 ポツリと、
 唐突に呟いた。
「マルケイス・リフィティ。これが私の名前だ」
 それまで耐えるように目を伏せていた彼は、清楚な目で面を上げた。
 その彼の雰囲気からは、彼らしい、朴訥ながらも真摯な意思がにじみ出ている。
 名乗られたから、名乗り返しただけ。その行為は、それだけでしかない。
 しかし、魔術師にとってのそれは、特殊な意味を持つ。
 ローアンの心の中に、不思議な感情が沸いてきた。
「……ねぇ、マーカス」
 口から出たのは、懇願に近い声だった。
「最後に、お願いがあるんですが」
「何だ?」
 微かに震える声に対して返されたのは、いつも通りのそっけない言葉。
 ――まったく、この人は。
「とぼけないでくださいよ。真名を名乗ったって言うことは、あなたもそういうつもりなんでしょう?」
「さて。私はお前が名乗ったから名乗り返したまでだ。お前にその気がないのなら、私が気を張っても仕方がないだろう? そういうのは、名乗った方が先に決めるべきだ」
「……まったく、面倒くさいですね。分かりましたよ。正直に言います」
 やれやれ、と思いながら、気持ちをしっかり言葉にする。
「私は、あなたと決着をつけたい」
 自然と頬が緩むのを感じながら、ローアンは宣言する。
「私は、あなたに決闘を申し込みます」
 はっきりと告げられたそれは、確かにマーカスに届いた。
 マーカスはローブの中に手を入れると、中から炭素棒を数本取り出し、指の間に挟む。
「ではその決闘、受けて立つ」
 ローアンの顔に、初めて本当の笑みが浮かんだ。


 魔術師は、自分が生まれたときに与えられた本名を隠す。
 それには、魔術抵抗を張るためだったり、術式の秘匿のためだったりとさまざまな理由があるのだが、二つだけ、名乗る場合がある。
 一つは、何らかの重大な契約を執り行うとき。
 そしてもう一つは、魔術師同士で決闘を――殺し合いをするとき。
 自身の研究の成果を存分に発揮し、敵を排除するときにのみ、魔術師は他人に本名を名乗る。
 クリスティーナ・クロス・クルセイド
 マルケイス・リフィティ
 二人の魔術師は、もう十数年も前につけ損ねた決着をつける戦いを始めた。


※※※


 先手はマーカスだった。
 彼は右手に握った炭素棒を全て、一気に投げ飛ばした。
「『――祭りの主よ』」
 合計三本の炭素棒は、一直線の炎の線となり、ローアンへと襲い掛かる。
 対してローアンは、木の巨人に命令を出し、その巨大な腕で爆炎を防いだ。そしてすぐに、その場から飛び退く。
 つられるように、マーカスも走り出した。
 足場の悪い岩場を、二人と一つの巨人は、牽制を掛け合いながら縦横無尽に駆け巡る。
 炭素棒はマグヌスの持っていたもので補充したとはいえ、無駄遣いできるほど多くはない。一本を半分に折った上で、マーカスは要所要所でそれを投げつける。
 しかし、どんな爆発をぶつけても、ローアンに従う木の巨人はびくともしなかった。
「っち、まったく面倒なものを作ってくれたな!」
「ははっ! あなたにそう言ってもらえるのなら、光栄です」
 声が届くように、怒鳴るようにして言った皮肉に対して、ローアンは嬉しそうに返す。
「だって、これは私の魔術の集大成ですから! ――ねえ、聞いてくれますか?」
「何をだ!?」
「この術は、カールスを救う過程で出来たものなんですよ!」
 その声は、まるで話したくて仕方がない少年のようだった。
 そんな彼の姿に、マーカスの心に、むくむくと好奇心が沸いた。
「それはどういう意味なんだ!?」
 木の巨人の振り下ろす蔓の鞭を、飛び退きながら避け、マーカスは炭素棒を投げつけるとともに聞き返す。
「さっき言ったでしょう! カールスがあんな立場になったのは、全て才能の所為だって!」
「ああ、言ったな!」
「だから、私はあの子の才能をなくしてやろうと思ったんですよ!」
 右から回り込むようにローアンが迫るのを見て、マーカスは転がるように左へ倒れる。
 一段高い岩の上。それを踏み台に、マーカスは爆風を利用しつつ、崖に生えた木へと飛び移る。
「あの子の才能は、結局のところ彼女の一族特有のものです。そして、それの根底には、神鳥たる『火炎鳥』の影響があるはずです!」
 逃げに徹するマーカスに、ローアンは容赦なく追い討ちを掛ける。
 マーカスが飛び移った木が、巨人の腕によって粉々に粉砕された。
 しかし、そのときにはすでにその場から離れている。
「――とすると、その影響下から開放するということを考えたのか?」
 トン、と。
 木の巨人の腕の上に飛び乗り、マーカスは静かに尋ねる。
 それを、ローアンはすぐには攻撃せず、一拍置いて答えた。
「ええ。だから、『契約者』はどのようにして神の力を行使しているのかを知りたかったんです」
 巨人の手が動き、マーカスは振り払われる。
 少しばかり高い高度から落ちたが、マーカスは着地の瞬間に軽い爆発を起こしてそれを受ける。
「さっきカールスのそばに座ってやっていた作業は、その力の流れを解析していたんですよ。ついでに言うと、カールスの体力を消耗させたのは、それが理由です。普段の状態では、とても私なんかが読み取れる力の量ではありませんから」
 体勢を整えるためにさらに退くマーカスを追って、ローアンは駆ける。
 後ろの巨人も、その巨体に似合わずローアンの動きにしっかりとついてきている。
 それこそ、一心同体であるかのように。
「それで、どうだったんだ!?」
 問いかける余裕などほとんどない。それなのに、マーカスはただの好奇心と、そしてある種の親愛から質問を投げかける。
「何がですか!?」
「結果はどうだったと聞いているんだ! カールスを救う算段はつけられたのか!?」
「微妙なところです!」
 巨人が地面に手を叩き落すのと同時に、ローアンは笑い出しそうな声で言う。
「確かに、流れの仕組みはおぼろげながら分かりました! だからこそ、まだ不完全とはいえこんな『魔法』を扱えるんですから!」
 木の巨人を指しながら、そんなことを言う。
 しかし、その後自嘲気な笑みを浮かべながら続ける。
「でも、時間がありませんでした。完成型の予想だけは出来たんですけど。要は、世界から供給される力のパスを切ればいいだけなんです。せめてあと少し待ってくれたら、その方法も見つけられたかもしれませんけどね!」
 巨人の攻撃をかろうじて避けたマーカスは、冷や汗をかきつつも、強がりに笑みを浮かべ、「それは、残念だったな』と言った。
 そして、炭素棒を握りなおし、間合いを取りながら続ける。
「それで、『魔法』にまで到達した感想はどうだ? どうやら、お前が始めにやっていたものとは全然性質が違うようだから、カールスのために作り直したようだが」
「ええ。ご名答です。前に研究していたものの残骸が、あなたを閉じ込めたあの街なわけですが」
「ということは、これで念願の『魔法』に辿り着いたわけだ。長かったな」
「本当に。しかし、やっぱり心残りですね。いくら『魔法』に至れたといっても、まだこの術は不完全なのですから。考えれば、もっといろいろなことが出来るでしょうに」
 諦観の入った、寂しそうな物言いをローアンはする。
 今のマーカスとローアンの間の間合いは、微妙な距離。
 その状態で、ローアンは地面に手を突いた。
「『セット。アクティブ。アベレジ。――リリース』」
 呟いた言葉は、魔術の呪文。
 まだ完全に定まっていないのだろう。つなぎの悪いその詠唱から、効果の反映までに僅かに時間がかかる。
 何かをしてくる、と分かっていたマーカスは、だからこそ避けることができた。
 木々で出来た巨人の腕が、いきなり伸びてきたのだ。
 鞭のようにしなる蔓は、マーカスが先ほどまでいた岩を粉々に粉砕する。
 その様を、顔を引きつらせて眺めるマーカスに、ローアンはつまらなそうに言う。
「――とまあ、こんなことも出来るわけですよ」
「……固定物質の形質変化か? それとも死細胞の活性化か? どちらにしても、ゴーレムを基にした術式にしては随分とかけ離れた行為だな、おい」
「ふふ。私の魔術系統とはまったく違うと言いたいでしょうけど、でも実際出来てしまうわけですから仕方ないですよ。私自身驚いてますから。しかし、世界は本当に広いですね。カールスの力の流れを見ただけで、私の知っている力のパスの種類が二十種類くらい増えましたよ」
 なんだか簡単そうに言っているが、ことはとんでもないことだったりする。
 そのことに苦笑いを浮かべているマーカスに、ローアンは憂えるようなため息をついて言う。
「でも、もう無意味なんですよね」
 その声には、希望はない。ただ諦めだけが漂っている。
「正直もう限界です。なんとか立ってはいますけど、実を言うとすでに痛覚すらないんですよ。カールスの暴走時に受けた傷は、果たしてどうなっていることやら」
 あなたもそうでしょう? とローアンは続ける。
「そっちにしても、感覚をなくしたりマナを取り込んだりしてごまかしているようですけど、見てて分かりますよ。あなたはもう瀕死だ。私にしてもあなたにしても、そもそも戦えているのがおかしい状況なんです」
「……確かに、な」
 図星だった。
 疲れを忘れるために触覚の一部を切り、体を動かすエネルギーを補うためにマナを取り込んだ。
 でも、そのどちらも体にとっては虐めでしかない。ガス欠の車に水を入れて無理やり走らせているようなものだ。限界を超えた動きに、体はもう悲鳴を上げている。
 しかし、それは分かっていたことだ。
「それでも、お前は私と決着をつけたかったんだろう?」
「そういうあなたも、私と決着をつけたかったのでは?」
 ――そういうことだ。
 これは、単純な話なのだ。
「魔術師として何かを残したいと思うのは、当然の思考ですよね」
「自分が辿り着いた境地を誰かに伝えたいと思うのは当たり前だ」
 これは、魔術師として生きた二人の人間の最後の足掻き。
 あるいは、八つ当たりだ。
 どうしようもない結果に対する、敗残処理だ。
「――本当に、私がこれまで考えてきたことが全部なくなるなんて、嫌なものです」
 何気なく呟かれたその言葉は、魔術師全般が抱く苦しみ。
 築き上げたものが一代だけで終わる。それを越える苦しみはない。自分が歩んできた人生そのものを否定されることほど、彼らは恐れる。
 魔術は科学のように全てが伝えられるわけではない。向き不向きがある以上、それは仕方がないことだ。
 だから、彼らは弟子を取る。
 自分の歩んできた道を、確かに伝えるために。
「あなたはどうですか? マーカス。ちゃんと、あのマグヌスという少年に伝えられましたか?」
「私もお前と同じだよ。私は、何も後世に残すことなんて出来ていない。マグヌスはもともと、そういう目的で教えていたわけではないからな。――何度も魔術を捨てようとして、それでも手放せずに中途半端にしがみついていたから、こうなった。今では未練しか残っていないさ」
「では、似たもの同士ですね」
「そうだ、似たもの同士だな」
 呼吸の合った合いの手が、妙に可笑しかった。
 笑い合いながら、どちらからともなく二人は再度構えなおす。
「だから私は、最後にあなたに、私の魔術の全てを見てもらいたい」
「なら私は、お前に対して私の『神秘』を披露して終わるとしよう」
 戦いは続かない。
 次で最後だと二人とも分かっている。
 合図もなく、二つの影は同時に動き出した。
 巨人の蔓が伸び、マーカスはその場から飛び上がる。
「『祝祭は祈り。祝宴は悦び――』」
 そしてマーカスは、最後の詠唱を始めた。


×××


 ――マグヌス。
 最後にお前に、伝えておきたいことがある。
 聞いているかどうかは分からない。だが、聞こえていると信じている。
 お前は以前、どうして私があの集落にい続けるのかと聞いたな。
 身寄りがなかったり行く当てのない者があそこにいるのならまだしも、私のような男があの場にいるのは、確かにおかしかっただろう。
 前に聞かれたときは適当に誤魔化したが、本当のところは、以前のリーダーに任されただけだ。
 お前は覚えているか分からないが、バチルダという老翁がいただろう? 流れ弾に当たって亡くなってしまったが、彼に言われていたのだ。自分に何かあったときは、村の者を頼む、と。
 そのときに任された村の生き残りは、五十人前後。そこから、避難を重ねるうちに倍に増え、最終的に四倍になってしまった。来るもの拒まずだった所為もあるだろうが、我ながら計画性がないと思ったよ。
 一度任されたものは仕方がない。無責任に放り出すわけにも行かなかったから、とりあえず全員が隠れられるくらいの場所を求めて山の中へ入ったというわけだ。
 そのあたりの事情は、お前もある程度知っているだろう? さすがにあの人数をまかなえるほどの蓄えはなかったものだから、賊に走ったことも。そして、それに味をしめた若者たちが勝手に暴走して取り返しのつかない状態にしてしまったことも。
 その辺りは、単純に私の統率力不足だった。おかげで、最終的には百五十人程度の集団で一国家を敵に回してしまった。私の危惧はみんな気づいていたのだろうな。だからこそ、カールスが現れたときの皆の安心感は絶大だった。――それがカールスを傷つけることになったのも、また悪い話だ。
 正直に白状すると、私は出来れば自分であの集落を守りたかった。《炎帝》などという象徴に頼らずとも、この手で皆を安心させたかった。だが、如何せん力不足だ。カールスに任せたほうが確実だというのは、確かだった。
 どうしてそこまでしてあの集落を守りたいか、とお前は問うだろう。別に、そこまでして守る価値があるものなのか? 確かにあそこの三分の二は女子供だ。守らないといけない。でも、だからといって私自身が体を張る理由はどこにもない。
 だが、実は理由はある。とてもどうでも良くて、くだらない理由ではあるがな。
 私には、妻と子供がいた。
 そう言えば、お前は驚くだろうか?
 だが、これは事実だ。私でも驚きだが、私には愛する妻と、愛すべき娘がいた。もう四、五年も前の話だ。
 私がこんなことを言うのもなんだが、初めて彼女に会ったときから一目惚れだった。彼女のためなら全てを捨てていい。そうまで思った。一度目に魔術を捨てようと思ったのはそのときだ。
 危険しかないマラを抜けたのはそれが理由だ。抜けるに当たっていろいろ問題もあったが、それはとある人物にお世話になってどうにか免罪を受けた。晴れて自由の身となった私は、彼女とともに外に出て、そして子供をもうけた。
 一見幸せな暮らしに見えた。彼女はとても幸せそうだったし、娘は無邪気だった。そんな中で、問題があったとすれば私だ。
 魔術師の性、というやつだ。
 一度捨てると決心したのに、私の頭からは魔術のことが離れなかった。マラにいた頃に到達した『神秘』。誰もがうらやむそれを手に入れてなお、私はその先が欲しくてたまらなかった。
 お前はそれを笑うだろうか? しかし、これは魔術師全員に通じる思いだ。『魔術』という技術を学び、研究した者は、大多数がそういった思いを抱くことになる。お前のような人間には理解が出来ないことだろうがな。
 だから私は、オフィカナという魔術組織に入った。魔術というのは、一人で研究を進めるには限界がある。もちろん一人で研究を進める魔術師もたくさんいるが、特に私のような者にとっては、ある程度の施設が揃っていた方が好都合だった。
 それが全ての間違いだった。
 結果的に、私のその選択は、妻子を失うという悲惨なものに行き着く。
 マラという魔術組織は、その性質上、他の組織から忌み嫌われている。これは後で知った話ではあるが、特にオフィカナは、以前マラに相当な被害を受けたことがあるらしく、恨みが強いらしかった。
 どこから情報が漏れたか知らないが、私が昔マラに所属していたということがばれたらしい。
 ばれたことが分かった時点で、いち早く組織から抜けていればよかったのだが、その前に彼らは私の妻と娘を狙った。私はまだ何もしていないというのに、見せしめのためにと妻子に手をかけたのだ。
 守ることすら出来なかった。家に帰ったら、首が切られて体中をズタズタに切り裂かれ磔にされた死体が二つ。それを見たときの、思考が空白になった感覚は、今でも覚えている。
 真っ白だった。
 悲しみなど覚える余裕もなかった。自分でもぞっとするほどに、無心になった。
 その後は小戦争だ。私は単身でオフィカナに敵対し、そして打ち滅ぼした。自分の持てる全ての魔術を使い、敵を殲滅した。
 皮肉にも私の魔術は、守ることは出来ずとも復讐することには適していたのだ。
 まあ、そのとき派手にやらかしてしまった所為で、変に有名になってしまったのだが。
 四年前の話だ。長くなってしまったが、そういう背景があったから私は、あの集落に感情移入してしまったんだ。傷心のまま放浪していた先で遭遇した紛争地帯。そこで出会ったバチルダや村人の姿を見て、もう死んだも同然のこの身を捧げるのも、悪くないと思ったんだ。
 そのときが、二度目に魔術を捨てようと思ったときだ。
 研究するのは止め、ただ自衛の手段としてだけ使用しようと誓った。
 その誓いは、辛うじてだが守られた。四年前の繰り返しだけは避けたかったからな。だが、研究は止めたが、魔術への思いだけは断ち切れなかった。
 想像できるだろうか?
 やりたいことに蓋をして、懸命に耐える苦しみを。
 ふとした瞬間に、その衝動はすぐに自分を支配する。何度もあった。カールスに初めて出会ったときや、お前の才能を間近で発見したとき。そういった瞬間に、私は強く魔術研究に惹かれた。自分が出来ることを、無意識のうちに想像してしまっていた。
 魔術師というのはそういうものだ。常に傍観者の視点に立って、全てを魔術につなげようと考えてしまう。一度捨てようと考えても、まだ未練が残る。そんな風にどっちつかずだったから、私は守りたいものすら守れなかった。ここぞというときに守りたい人を守れなかった。
 はっきり言って、私がもっとしっかりしていれば、こんな事態にはならなかっただろう。
 カールスに頼りきりになろうとせず、しっかりと割り切って集落を背負っていられれば、このような結果にはならなかっただろう。
 だからマグヌス。お前に言いたいことは一つだ。

 マグヌス。お前は、魔法使いになれ。

 お前はいい才能を持っている。それは、私でさえ羨むほどの才能だ。自然そのものを付き従えるだけの力を、お前は持っている。
 本当ならば、私は見てみたい。お前がその才能を使って、どこまで高みに昇れるのかを。私が教えた魔術を、どれだけ進歩させることが出来るのかを。もしかしたら、お前ならば私が辿り着けなかった『奇跡』を体現できるかもしれない。
 しかし、あえて言う。
 お前は、『魔法使い』になれ。
 魔術師でもなく、魔術使いでもない。魔道研究者でもない。『魔法使い』だ。お前が契約をしたその魔法剣の力を使いこなすことのみに、お前のその生涯をかけろ。
 本来ならば、こんなことを言うのは魔術師としておかしなことだ。本音を言えば、お前には私が教えた魔術を研究し続けて欲しい。私が届かなかった『奇跡』を追い求めて欲しい。でも、それでは駄目なのだ。
 魔術師にとって、魔術とは人生だ。
 魔術師にとって、魔術とは生涯だ。
 魔術師にとって、魔術とは――全てだ。
 そんな世界に、お前は足を踏み入れてはいけない。
 お前が持っている目的を果たすためには、一つのことに縛られるようでは駄目だ。
 だから、私は最後にお前に言う。
 生涯で一人の弟子に対して、師から最後に言う。

 私は、お前に跡を継がせない

 お前は、魔術師だけにはなるな。
 師の後を、絶対に追うな。
 お前の師は、魔術に溺れた情けない男だ。目的と手段を取り違えた惨めな男だ。何一つ極めることの出来なかった下らない男だ。こんな男のことなど忘れ、自分の目的のためだけに邁進しろ。
 それだけが、私の望みだ。


※※※


 マーカスは爆風に体を任せ、空を舞う。
 まだ高度が足りない。もっと高く、もっと上へ。二重三重に爆発を重ね、地上からはるか上空へと飛び上がる。
 痛みは感じないが、体はもう軋みをあげている。体を自由に動かすこともままならないほどの状態でなお、彼は手の中の炭素棒を握りこむ。
 下から、ローアンが追ってくる。彼もまた、マーカスと同じ状態だろう。最後の気力を振り絞って向かってきている。彼に従う木の巨人の姿を見ながら、マーカスは微笑む。
「『――祝儀は礼拝。祝杯は礼賛。祝賀は賛美』」
 それは祈り。
 それは願い。
「『――礼は儀。賛は美。悦は慶。祈は願』」
 言葉とともに周りから光とともに力が廻る。
 その美しき力の流れは、彼が到達した一つの結果。
 整合性の取れた光の調和は、あまりの美しさに先が見えなくなってしまうほど。
 光の奔流は、それが自然体であるように自由に廻り合う。
 しかし、詠唱の途中で彼は気づいた。
(――なんだ。簡単なことじゃないか)
 あまりにも簡単なことだった。
 先はあった。
 隙間なき光の渦の中で、一点だけ、続きの道が見えたのだ。
 見えなかった先が、今更見えてしまった。見たいと願ってやまなかった先が、ちょっとしたきっかけで見えてしまったのだ。
 これは喜ぶべきか、うらやむべきか。
(まったく。マグヌスには継がせないと、さっき誓ったばかりだというのにな)
 マーカスは、その先が見たくて見たくて仕方がない。
 追い求めた『奇跡』が、手を伸ばせばある。そんな場所に見えてしまったことが、あまりにも悔しい。
 しかし、時間はもうないのだ。
 ならばせめて、今この一瞬を堪能するとしよう。
「『――祈りは廻り祝いへ。閉じたものを開き、囲ったものを解き放て』」
 彼が生涯を通して求めたのは、再生だった。
 破壊ではなく、創造だった。
 そんな彼が極めたのは、破壊の魔術。
「『――再生の刻は、崩壊』」
 結びの前の一節には、彼の祈りが込められている。
 そして、結末だけが待つ。
「『――ただあるのは、崩壊の世界』」
 破壊の後には、創造があるのに。
 壊すことだけを極めながら、創世の可能性の一端すら掴めなかったことが、唯一の心残りだ。
 こんな後悔はして欲しくないから――マグヌスには、別の道を歩んで欲しい。
「さあ、来いローアン」
 下から飛んでくる木の巨人の腕が、マーカスに迫る。
 交錯する視線は、相手の表情をしっかりと捉える。
 お互いにその表情は、満足そうな笑みで満たされていた。

『崩壊の世界(エンドディストラクション)』

 そして、その場から全てが消失した。



◇◆◇


 集落へ向けて、山中を下っているとき。
 カールスの頭の中に、甲高い声が響いた。
『カールスっ! カールスっ!』
「わ、わわっ。こ、ココロ!?」
 減速することなく足場の悪い坂道を下っていたために、突然掛けられた声に驚いて僅かにバランスを崩す。
「カールス、どうした!?」
 唐突に足を踏み外したカールスに、前方のハワードが声を掛けてくる。
「だ、大丈夫。ちょっと、ココロが……」
「ココロ?」
 疑問の声には答えず、足は止めないままカールスはココロに問う。
「今までどこにいっていたんだ? 話しかけても答えないし」
『カールスが殻に閉じこもっていたからよ。そこの彼のおかげで抜け出せたけど――そんなことより、カールスっ。上を見なさい!』
「え?」
 上。と言われて、カールスは目線を真上へ上げる。
 木々に覆われた中、微かに見える空。日が少しだけ傾いているが、雲ひとつない快晴。それがどうしたというのだろうか。
 と、そのとき光が拡散した。
「な、何!?」
 その光の方向を求めてカールスは立ち止まり、振り返り様に上空を見上げる。
 ――それは、一つの爆発だった。
 火種に過ぎないような、小さな炎。それ自体は、少し風が吹いただけでも掻き消えてしまうような、か細い爆発でしかない。しかし、異変はすぐに起きた。
 爆炎が重なるように起きた。
 共鳴し、反響し、拡散しあう爆発の群集。
 一つ一つは小さなものでも、それらは数秒の間に無数に重なり合い、無限大の炎を辺りへと撒き散らせる。
 それはまるで、世界の終わりのような――
「って、こっちに来るじゃねぇか!」
 隣のハワードが叫んだことで、はっと我に返る。
 はるか上空で起きている奇妙な爆発は、実際ものすごい勢いで地上へと迫っていた。
 このスピードならば、山の上半分は消し去るのではないかというほどの猛威を奮い、爆炎は着実に迫ってきている。
「ど、どうにかしなきゃ!」
 手を上空に突き出すようにしながら、カールスは意識を集中させる。
 目の前で起きているのは、炎を中心とした爆発だ。ならば、自分の力ならある程度制御できるはずである。
 しかし、その目算は甘かった。
 全身全霊を掛けて対応しても、その勢いを殺しきれないのだ。
 普段の自分の力なら、確実に無効化できたと思う。だが、今は心身ともに憔悴しきっている。どれだけ力を込めても、焼け石に水でしかなかった。
「くそ、しかたない。早く避難するぞ。カールス!」
 状況から無理だと思ったのか、ハワードの判断は早かった。
 背に負っているマグヌスをしっかりと背負い直し、カールスの手を無理やり引いてくる。
 悔しく思いながらも、仕方なくカールスはそれに従った。
 爆発は刻一刻と迫ってきている。
 それでも、カールスにはそれが、手加減されたものであることが分かった。
 全力ではない。即興で作ったために粗が目立つようだった。それでもこの威力。それでもこの迫力。制御し切れていないのが分かるほどの膨大な破壊力だった。
 無駄とも分かりつつも、カールスは悪足掻きとして走りながら爆炎の制御を試みる。しかし、努力は虚しく、熱気がもうすぐそこまで迫ってきていた。
 轟音とともに、山の一部が砕けているのが分かる。
 もう駄目だ、と思ったそのときだった。
「な、おい。動くな!」
 ハワードが焦ったように言い出した。


◇◆◇


『サトリ』という妖怪がいる。
 東洋の島国の、とある地方で栄えた妖怪の名前。人の心を読みむといわれる猿の化け物。
 本来ならばこれは、単純な中級妖魔の一種なのだが、これを信仰の対象としている地域もあることはある。元が八百万の神という、全てのものに神が宿ると考える宗教観の国である。『サトリ』に神格が与えられたのもおかしな話ではない。
 そこまで詳しいことを知っていたかは不明だが、マーカスはこの妖怪の存在を知っていた。
 そして、この妖怪の伝承のおかげで、マグヌスはマーカスの最後の言葉を聴いていた――


「な、おい。動くな!」
 目を覚ましたとき、自分がどこにいるか分からずに困惑した。
 どうやら誰かの背中に負ぶわれているらしい。その事実は非常に気に食わないが、体がうまく動かないので仕方がない。
 それよりも、やるべきことはある。
 ギャーギャーと喚く、自分を背負っている人物の声は完全に無視し、マグヌスは乗り出すように思いっきり後ろを向いた。
 爆炎に彩られた空が、視界いっぱいに広がる。
 ――そこに、自分の師の全てがある。
 彼を、教えを請う対象として選んだのは、単純に偶然だった。近くにいた魔術師は彼だけだったから、選択の余地はなかった。
 師弟関係といっても、教えてもらったのは魔術の基本だけだ。ほかの事を学ぶことを積極的に拒んだのはマグヌスの方だ。マグヌスとしては単に戦う手段が欲しかっただけなので、魔術師としての生き方なんて知ろうとも思わなかった。
 今、自分はそのことに対してどう思っているのだろうか。
 一人の魔術師の人生を垣間見て、自分が抱いたこの感情は一体何なのだろうか。
 ――ただ一つ分かるのは、今どうしようもなく後悔しているということだけ。
 今目の前に広がっている現象は、自分が師と仰いだ男が辿り着いた、魔術の境地。
 全力ではないかもしれないが、そこには彼の全霊が込められているはずだ。
 そこに向けて、マグヌスは手に握ったままだった魔法剣を突き出す。
「『告げる――』」
 ――該当三柱中、適応を検索。
 ――火神の中での最上位を選出。
 ――俗名『輝く火の神』
 全てに決着をつけるため。
 全てを振り払って前に進む、ただそのためだけに、マグヌスはその名を叫ぶ。

「『火之迦具土神(ヒノカグチ)!』」

 魔法剣の切っ先から、炎の色をした光が噴出する。
 それは人の形を象り、大きく両手を広げるようにして迫り来る爆炎に向かい合う。
 決着はあっけなかった。
 空を覆う世界の終わりのごとき炎。
 その炎の全ては、間に割って入った巨人に吸収されていった。
 師の全てが、消えていく――
「…………」
 その様子を、ジッとマグヌスは見つめ続ける。
 いつの間にか、自分を背負っている人物は走るのを止めていた。そのおかげで、マグヌスは何も気にせずに空の様子を眺めることが出来る。
 自分の中に沸き上がってくるこの感情を、マグヌスは完全に理解することが出来ない。もやもやとした気持ちでいっぱいなのに、妙に静かな心。
 どこまでも透き通る青空が、なおさらその気持ちを増幅させた。
 感じたのは、終わりと始まり。
 一つが終わり、そして今、一つが始まった。
「――なってやるよ」
 ポツリと、気づいたときには呟いていた。
 それを言ってしまえばもう後戻りは出来ない。どれだけ後悔していようと、引き返すことは出来ない。
 しかしそれでも、それが彼の願いなら――
「俺は、魔法使いになってやる」
 ――あんたの跡は、継がない。
 その決意で、彼の人生は定まった。
 決定的な瞬間を感じながら、マグヌスは手の中の魔法剣をグッと握りこんだ。




 間章


 ホセ・ドローレス。
 彼の目的は、ただ単にローアン・クルセイドの研究の一端を共有させてもらうことだけだった。
 だから、彼にとってはローアンが一体何をやりたいかなどというのは問題ではない。対価は事前に受け取っている。後は、自分がその対価に見合うだけの仕事をすればいいだけだ。
 フランスの北部。歴史的にも有名な、とある森の中で、彼は人気のない広場のベンチに座り込んでいた。
 ローアンからの連絡待ちである。もし連絡が来たら、すぐにでも砲撃ができるよう、出来るだけ見通しのいいところを探していた。
 フランスに立ち寄ったのはただの偶然であり、おかげで砲撃するにも条件が増えてしまった。先進国になればなるほど、魔術の使用は規制が掛かることが多い。また、それ以前に人の目に付きやすいために難しくなる。そこそこ人気がなく、また空の見通しがいいというこの場所で、ドローレスは黙って待っていた。
 手に持った携帯電話はただの市販のものではなく、彼が独自に改良したものだ。どちらかといえばトランシーバーに近い。本来魔術は科学よりも費用がかさむものだが、反対に科学の産物でも魔術的な要素を加えることで費用が浮くこともあったりする。
 そんなわけで、彼らは長距離国際電話を何度もかけていたのだが、前の連絡からそろそろ四時間は経とうとしていた。
 ローアンが言うには、後一度は砲撃を依頼するらしいから、待つほかにない。
 待つのには慣れている。彼は何をするでもなく、ただ平静のままその場で待機し続ける。
 それが起きたのは、日が沈み始め、辺りが薄暗くなった頃だった。
 違和感は、微かなもの。
 しかし、はっきりとしたズレをドローレスは感じた。
 ――人払い。
 無意識下に、その場所へ入ってはいけないという認識を刷り込ませる、意識結界の一つ。
 魔術的な難易度は簡単なものから高度なものまで多岐にわたる。ただ、一番レベルの低い『魔道』レベルのものならば、大抵の魔術師は習得しているものである。
 現在ドローレスが張っているものは、最低レベルのものなのだが――
 それが、何かに破られた?
「…………」
 結界は自分の専門分野ではないので、術が破られることがあってもおかしくはない。
 しかし当たり前だが、破られた以上破った存在があるはずだ。
 ベンチから立ち上がり、慎重に辺りを見渡す。
 すると、違和感がまた襲ってくる。
 今度感じたのは、また別のもの――それは、この空間が外界から隔離されたかのような、奇妙な感覚。
 人払いをかけなおされたのだ。
 しかも、自分がしたものよりも、より高度な術式で――
 その事実が、ドローレスの警戒心を一気に高めた。
 コツ、と。
 土の地面が広がるこの場所で、何故か靴音が聞こえた。
 コツ、コツ、コツ、コツ。
 アスファルトをローファーで叩くような靴音。その異様で異質で場違いな音に、一瞬反応し損ねるが、すぐに我に返り音のする方向を振り返る。
 コツン。
 足音は止まる。距離は二十五メートルほど離れた地点。
 そこに、一人の男が立っていた。
 年齢は三十代のように見える。が、飄々としたその雰囲気から、もっと若いのではないかと穿ってしまう。黒色のジャケットに素朴なジーンズという一見冴えない服装をしているが、それが妙にミスマッチしていた。
 その男は、少しばかり長い髪の毛をかきあげ、にやりとその相貌をゆがめる。
 一気に、緊張感がピークに達した。
 異様な雰囲気をかもし出している男を前に、ドローレスはただ反応を待つのみ。
 そんな中、男は誘い込むように両手を広げる。
 続けて、大きな声でこう言った。

「グーテンモールゲンっ!」

 男は、何故か満面の笑みでもって、そんな挨拶をのたまった。
 …………
 ちなみに、補足しておくと、この場所はフランスの北部。とある有名な森である。
 そしてついでに言うと、今は空が暗くなった時刻であり、決して朝ではない。
「…………」
「ん、んん? あれれ? どうしたのかな?」
 どう反応していいか分からず黙り込んでいたドローレスに対し、男は妙に馴れ馴れしげに疑問の声を発する。
 しばらく一人で唸っていた彼は、やがて「ああ、」と何かを納得したように手を打つ。
「そうかそうか。そういえばここはフランスだったな。あはは、僕としたことがうっかり忘れていつも通りの挨拶をしてしまっていたよ。いやあ、失敬失敬。こんなに恥ずかしいところを見せてしまって、僕は羞恥心で茹で上がりそうだよ。それでは改めましてフランス流の挨拶で。では――オ・ルヴォワール!」
「…………」
 男が叫んだと同時に、奇妙な沈黙があたりに満ちた。
 それは別れの挨拶だ! と突っ込んでくれる奇特な人間は、あいにくこの場にはいなかった。
 しかも、その間の独り言は全部英語ときている。
 もういろいろと突っ込みどころが満載な男だった。
(何なんだこの男は……)
 あまりにも得体が知れなすぎる男を前に、ドローレスは緊張したまま困り果てる。
 馬鹿である。明らかな変人である。しかしそれと同時に、目の前の存在がどうしようもないほど圧倒的なものであることは、無意識のうちに察していた。
 ドローレスは男の体を張ったギャグ(と思いたい)を無視し、注意深く問いかけた。
「お前は一体誰だ?」
 慎重に、しかし質問は直接的に。
 あまりにも掴み所のない男に対して、ドローレスは真正面から向き合う。
 だが、向き合う覚悟を決めたのはドローレスの方だけのようだった。
「ふむふむ。まあ友好的な挨拶を交わそうだなんて甘いことはいっぱい考えていたけどさ。反応してくれないのならそれはそれでいいよ。僕がやらなければいけないのはただの事後処理で舞台裏で事務職なんだからさ。君にしたところで始終物語の裏方仕事だったんだから、今回の物語がどういうものだったかなんて分からないだろう?」
「……一体、何を」
「ふふ――ま、今回の事件を簡単にまとめると、一人の少女が一人の青年に救われるという単純な話さ」
 ドローレスの問いには答えず、彼は勝手に話を進める。
「本当はね。ハワードが一番初めに山賊を襲撃する時に、その場でカールスを救って終わりだったんだ。軍隊がカールスに放った銃撃をハワードが庇う。その姿に胸を打たれたカールスは自分を守ってくれる人間がいることを知る。そんな、簡単な三文小説に近い陳腐な話だった――」
 だけど、と面白そうに彼は続ける。
「物事は何一つまともに進まなかった。――まあ、計画というのは往々にして予想外の出来事によって変更されるものだし、一から十まで全てが全て完全に貫徹するような物語というのが存在するわけがないのだけれども、それでもたった一つだけ言うとするのならば、今回の事件に関してはあまりにも不確定要素が多すぎたしあまりにも外からの介入が多すぎた」
「……だから何を言いたいんだ、お前は」
「何って? 物語の話だよ」
 やっとまともに会話が成立しても、内容はまったくの意味不明。
 それでも男の中ではちゃんと話が繋がっているのか、まるでドローレスの反応には構わず話を先に進める。
「本当に全てが全てイレギュラーだった。大体、イレギュラーというのは起きても運命に干渉するほどのものは滅多にないはずなのに、今回はどうしてこんなに多かったんだろうね。ハワードがフィーネからペンダントを貰ったのもそうだし、ハワードが現地に着いた途端速攻で現場に向かってしまったのもそう。軍隊が攻め入る前に一暴れしちゃって山賊の警戒心を高めちゃって、挙句にリープスまで連れ出してもう少しで全滅させるところだったし。――でもまあ、そんな問題よりも問題らしい異分子は、きみたちだよね」
 ローアン・クルセイドに、ホセ・ドローレス。
 男はまるで味わうようにその二つの名を唇にのせる。
「まったく、必死になって探したぜ? まさか相方の方はこんな離れた位置にいるなんてね。とても僕一人じゃ探しきれなかったよ。シャルロットには後でボーナス出してやらないと。――ま、それはいいとして。今回一番の異分子さん。本当は、ハワードの独断暴走だけだったらここまでややこしくなってないんだ。本来なら、山賊の解体は避けられなくても、住人は全員無事に他国へ亡命を果たしたはずだったし、軍隊の方も無傷とは言わずとも、誰一人死ぬことがなかった。それがなんだい。君の相方が余計な介入をしてくれちゃった所為で、自体はこじれにこじれてねじ切れちゃったじゃないか。何とかカールスとハワードの関係は取り持てそうだけど、その他に関しては野となれ山となれ状態だよ。どうしてくれるんだい本当に」
「…………」
 なんというか、その言い分は明らかに愚痴にしか聞こえなかった。
 それに、ドローレスにとってはまったくどうでもいい話でしかない。
「――っと、危ない危ない。つい本音が出ちゃった。時間を浪費するのは、無限の時間がある僕からすれば別にどうということはないんだけど、でも無駄な時間は極力減らすべきだとは思わないかい? 大体、僕は別に愚痴を言いにきたわけじゃないんだよ」
「…………」
 愚痴を言いに来たわけじゃないのか。
 酷く説得力のない言葉であった。
「じゃあ、本当の目的というのは何なんだ?」
 そう尋ねたのは気まぐれだった。
 おそらくこの男は人の話を聞かないタイプだ。そういう相手には、とりあえず相手のペースに合わせながら話を進めた方が得策だ。
 そう思っての返しだったが、予想は少しばかり甘かったようだ。
「うん? 目的かい?」
 そうすっとぼけるように言った後、彼は何気ない動作で歩いてきた。
 コツ、コツ、コツ、コツ。
 芝生の上なのに、なぜか聞こえてくる靴音。
 それが彼の靴から発せられているのか、はたまた幻聴なのかすら定かではない。ただ、その不自然さは、一種異様な雰囲気とともにドローレスへとプレッシャーをかけてくる。
「それ以上、近づかないほうがいいぞ」
 静止の言葉をかけたのは、いつも自分の周りに敵が近づくときにかける言葉と同じではあったが、今回に限ってはそのプレッシャーに耐えきれないことにも大きく起因していた。
 無意識の本能が告げている。その男を安易に近づけては駄目だ、と。
 しかし彼の言葉も虚しく、男はどこ吹く風で「んん? どうしてだい?」などと言いながら、コツ、コツ、とゆっくり近づいてくる。
 ――そして、両者の間合いが十メートルほどの距離になった瞬間。
 男が何気なく足を地面に下ろした刹那のことである。

 男に向かって、両脇から何かが衝突して破裂した。

 それは、光の弾だった。
 ホセ・ドローレスが仕掛けていた、トラップ魔術。
 自身を中心にした、半径十メートル以内に入った者に対して、二発の光の弾を左右両側から同時に叩きつけるという、『魔法』。
 属性・『光』 系統・『付加』『投影』
 それが、ドローレスの魔術。
 放った光の弾は、魔力の塊であり、それに『光』の概念を投影させたに過ぎない。文字通り光速で動く魔力の弾は、攻撃対象が攻撃を認識する前に放たれ命中している。
 必ず殺す。
 そのためだけの、必殺の術式。
 これを受けて生きていられる人間はほぼ皆無だ。少なくとも相手が人類という種類の生き物である以上、肉体の強度には限界がある。この攻撃に耐えられる生物といったら上級妖魔や竜族のような霊獣・神獣の類くらいだろう。人間程度が生きていられるはずがない。
 そう、そのはずだった。
 なのに――
「まったく、いきなりご挨拶だね」
 コツ、と。
 砂埃の間から、足音が、聞こえた。
 コツ、コツ、コツ、――と。
 足音は、不気味に響く。
「な――」
 どうして。
 ドローレスは、思わず自分の目を疑った。
 光弾の攻撃によって舞った砂埃が晴れ、そこには本当ならば原形の留めない肉塊があるはずだった。――それなのに、
「ど、どうして……」
 コツン、と。
 足音を踏み鳴らす男は、完全に無傷でその場所に立っていた。
 服すらも――目立った傷があるようには見えない。ただ煤に汚れた程度のもの。視認不可能であり対応不能の必殺の攻撃は、直撃したにも関わらず少しのダメージも与えられなかった。
 その事実は、ドローレスの全てを否定するようなもの。
「な、なな」
 柄にもなく、狼狽してしまう。
 というよりも、狼狽することしか出来ない。
 絶対の自信を持っていた攻撃を攻略されて、狼狽しないでいられるわけがない。
 コツン、と男が一歩近づいてくる。
 それと共に、一歩後ずさりをする。
 また一歩、男は近づいてくる。
 さらに一歩、後ろへと下がる。
 その繰り返し。
 しかしやがて、その抵抗すらも不可能になる。
 木が。
 大木が、ドローレスの後ろに存在した。
 背にその感触を感じ、初めてドローレスは自分がどれだけ後退したかを知る。始めにいた位置からはすでに二十メートル近く離れてしまっている。その間の距離すらも把握できないほど、彼はうろたえていた。
 目の前には、得体の知れない男がいる。
 その男の瞳が、まっすぐにドローレスの目を覗き込んでくる。男の瞳に、魅入られる。
 ――赤い。
 それは、深く、深く、不快なほど深い、血のように真っ赤な瞳だった。
「ふむ。時間的にまだ万全じゃないかもしれないと思ったけど、意外といけるものだね。夕刻でこのくらいの力だったら及第点か。これで君が女性だったら『魅了』も出来たけど、男性だと『束縛』が精一杯だな。何にせよ、向こうのハワードたちがやっていることに干渉できなくするくらいの影響は与えられて何よりだよ。ホセ・ドローレス」
 男の話はまったく分からない。
 自己の中で完結している。その中に、ドローレスの存在はない。男はただ、ドローレスを路傍の石程度にしか見ていない。
「なん、なんだ」
 金縛りにあったように動けない状態で、ドローレスは搾り出すように聞く。
「お前は、一体何なんだ」
 目の前の人の形をした得体の知れない存在は、一体何だ?
 んん? と男はわざとらしく首を傾げる。
「はは、突然『何』と来たか。ふふ、まあそう取られても仕方ないだろうけどね。――さっきの攻撃は君の最高だったのかい? それだったら自信をなくさせてしまって悪いことをしたね。でも、大丈夫だよ。さっきの攻撃は、確かに僕を殺している」
 赤い瞳が覗き込む。
 よく喋る唇は、恐ろしいほど真っ赤。
「僕が『何』か、という話だけど。まあ、そうだね。今の立場的には、ギリシャ文字の『ω』。メタカロス・メイシェンと答えるのが正解なんだろうけど、とりあえずここでは、君の『疑問』の方に答えるという意味でも、こう言っておこう」
 にやり、と男の唇が開く。
 真っ白な歯が見え――そして、その犬歯が鋭く尖っているのが見えた。
「『ラスト』――」
 男は。
 静かに、その名を告げた。
「吸血鬼『ラスト』。純潔の吸血鬼としての、最後の名前さ」
 安心しろ。
 詰め寄りながら、彼はそう囁いた。
「はは。別に殺しはしないよ。ただ、事が終わるまで寝ていてもらえれば幸いさ。なぁに、ちょっと血をもらうだけだ。本当なら僕も、昼間に活動しすぎて疲れきっているから、新鮮な女性の血が飲みたいんだけど、この際贅沢は言ってられない。それに、別に男の僕から血を吸われても君は吸血鬼にはならないから、それも安心していいよ」
 けらけらと嗤うように饒舌に述べながら、ラストは恐怖に縮こまったドローレスの首筋に、その鋭い犬歯を突きたてた。
 そこで、ドローレスの意識は一日跳ぶ。

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西織

Author:西織
この欄を編集するのを完全に忘れていた男。今年の四月に新社会人という名の社畜人生に一歩を踏み出した。



性別:男
年齢:22歳
血液型:A型
趣味:読書&執筆
将来の夢:作家(前途多難)

本の感想などを見たい人は、こちらをどうぞ
『空っぽの知識(読書日記)』
http://emptyreader.blog81.fc2.com/

自作小説専門のブログ作りました。
『空っぽの知識(自作小説)』
http://emptynovel.blog83.fc2.com/

同じFC2ブログを三つも作ったことにより、他のブローカーに訪問者履歴的な意味で迷惑が……あの、本当に申し訳ございません。


何か連絡があれば、こちらにお願いします。
alred_marchen☆hotmail.co.jp
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