空っぽの知識
 かたよりまくった読書くんの日記
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『オクテットレクイエム』 前編


 『ψの拷問吏』を消してしまってさびしくなったので、新たに小説アップします。


 こっちも、『ラスト・インフェルノ』と同じ一年半前に書いたものです。読み返すとさすがに描写が可哀そうなことになっていたので、全力で推敲したんですがまだちょっと危ういかな……


 話の構成的に、新人賞には出せないのでアップしっぱなしだと思います。


 こいつは、『火炎鳥の涙』と同時期……っていうか、火炎鳥の序盤でハワードが予知した話がこれです。
 ちなみに、冷静に時系列を見直してみると、佐薙渚と『ψの拷問吏』の話が同時期で、火炎鳥とこの話はその九年後でした。火炎鳥のときに言っていた、八年後ってのは九年後の間違いです。



 この話に出てくるジェニファー・クライエットは、僕の中ではハワードとカールスの次に古いキャラクターなので、かなり愛着があります。彼女と、あと四人別に絡み合う物語があるんですが、それを早く書きたいなぁ。


 では、前編どうぞ。
 後編は明日にでもアップします。








 オクテットレクイエム


 雨が降っていた。
 じめじめとした、気持ちの悪い雨。朝から降っているそれはなかなか止まむ様子を見せず、夜になった今でも降り続いている。
 まるでねっとりと絡みつくかのようなその雨の中、一つの人影が、真っ白な壁に背をかけた状態でうつむいて立っていた。
 背丈は、百六十前後くらい。黒いローブを羽織っている。頭からフードを被っているので顔は見えにくいが、ローブから見て取れる身体の輪郭を考えると、少女のようだ。
 ジェニファー・クライエット。それが、彼女の名前である。
 彼女は白い宮殿のようなものに背をまかせている。雨が降っているため、今は灰色にくすんで見えるが、もともとは目が痛くなるような白い建物。その傍らで彼女は、かれこれ半時ほど、傘も差さず、雨に濡れながら立っていた。
 その様子は、まるで何かにジッと耐えるようでもあった。
 やがて、前方から二つの人影が見えた。
 どちらも、ジェニファーと同じように紺色のローブを着ており、誰であるかは判別しにくい。しかし、近づいてくるのを感じ取ったのか、ジェニファーは顔を上げると、安心したような笑みを浮かべて、その二人に向けて軽く手を振る。
「大丈夫だった?」
 近づいてきた二人に、ジェニファーは心配そうに声かける。
「大丈夫です。問題ありません。……遅くなって申し訳ありません。ジェニファー様」
 右側の人物が返事をする。ジェニファーより半音高い、落ち着いた声。
「ちょっと出てくるときに立て込んでしまったから遅れた。悪ぃな」
 続ける形で、左側の人物も答える。こちらは成人男性と思われる低い声。その口調は、親しげで少し軽めに感じる。
 右側の女性は、アルミナ・コゼット。左側の男性は、カイン・アルファス。その二人が、ジェニファーの待ち人である。
「ん、別に大丈夫。時間的にも、まだ余裕があるから」
 そう返しつつ、ジェニファーは先ほどまで背中を預けていた壁の近くに寄る。そして、そこに立てかけてある一本の長い棒を手に取る。
 それは杖だった。しかし、ただの杖ではなく、彼女の身の丈ほどもある長さを誇っている頑丈そうな杖。また、装飾として、先の方がグニャグニャと変な形に曲がっている。
 樫の杖。魔術を使う上で、最もポピュラーな魔具。
 ジェニファーが愛用している、『メンタルフレンド』と名付けている杖である。
「じゃあ、とりあえず行きましょう。雨が止む前には出たいから」
 ジェニファーの声は固い。これからやることの重大さに自然とこわばってしまう。そんな彼女に向けて、カインとアルミナは安心させるようにうなづく。
「ああ」
「はい」
 そして、三人は走り出した。
 これから、彼女らは裏切りを行う。
 三人の影は、すぐに闇に溶けて見えなくなった。

◇◆◇

 この世界には、魔術という技術が存在する。
 神の力を借り受け、自身の支配下に置き使用するというその技術は、この世に存在するもう一つの技術である科学と同様に、様々な使用用途がある。科学の最後の到達点が奇跡を解明することであるように、魔術の最終的な到達点は奇蹟を再現することにある。
『魔道』『魔法』『神秘』『奇蹟』
 魔術は、便宜上この四段階に分かれている。『魔道』とは魔術の基本で、他人もしくは魔道書などの、すでにある魔術をそう呼ぶ。
 二段階目の『魔法』は、『魔道』の次の段階。自分の世界を表現するというのがその意義。自分の修得した魔術を下に、オリジナルの術を作り出したものがこう呼ばれる。
 三段階目、『神秘』とは、『魔法』をより自分にとって理想的なものにしたもの。『魔法』が自分の世界を表現するもので、『神秘』は自分の世界を作り出すものである。
 そして、『奇蹟』は、文字通り神の力を再現すること。通常では考えられない、絶対的な技術。これを魔術師として修得した人物は、歴史上でも数えるほどしかいない。
 この『奇蹟』のために、魔術師は魔術を習い、魔術を研究する。しかし、全てが全て、『奇蹟』を再現するために魔術を習っているわけではない。
 その最もたるものが、数多ある魔術組織の一つ、マラ・アリシュ。地球の中でも空間術によって特別に『創られた』世界にあるその組織は、魔術を主に戦闘技術として修得することを目的としている組織である。
 ジェニファーたちは、そこに所属する魔術師だった。



 ――事の発端は一週間前にさかのぼる。
 その日、部屋で休んでいたカインのもとに、突然ジェニファーが訪ねてきたのだ。
 どうしたのかといぶかしげに見ていると、扉の前でジェニファーは言いにくそうにもじもじとしている。一応カインの部屋は男子寮の一角にあるので、あんまり長いこと彼女を置いておくわけにもいかない。
「どうしたんだよ、ジェニファー。黙ってないで早く要件を言え」
「うん……カイン。大事な話があるの」
 それは、日本語であった。
 突然のことに戸惑いつつ、カインはとりあえず彼女を部屋の中に入れた。ジェニファーの様子から、ただ事ではないというのは察せたが、それ以上に彼女が日本語を使ってきたことの方が問題だった。
「本当にどうした。日本語は禁止のはずだろう」
 ジェニファーをソファーに座らせ、自分も反対側に座りながらカインが問う。
 彼女は困ったように目を伏せながらも、すぐに正面を向いて口を開く。
「出来るだけ、人には聞かれたくないことなの」
「……おい、何なんだよ。突然」
 現在、マラで日本語を喋れる人間は限られている。中には魔術を利用して話すことが出来る人間もいるが、それでもそう多くない。ナチュラルに喋れる人間はそれこそ、十数人といったところだろう。だからこそ日本語は、話せる人の間では秘密裏の話を行うときぐらいにしか使われない。
 その、しゃべれる人間の中の一人であるカインは、怪訝そうな表情のままジェニファーの次の言葉を待つ。
「話自体は、一ヶ月以上前から聞いてて、それから自分で調べたんだけど……」
 重い口を賢明に開くように、彼女は話し始めた。



 一ヶ月前、ジェニファーはマラの中でも最高聖域である『ミネルバの塔』に、勝手に借りてしまった術本を返すために、こっそりと忍び込んだ。
 ジェニファーの魔術の腕は、十六歳という年齢の割にとんでもなくレベルが高い。それは彼女が身を置いている地位からもわかることなのだが――だから、忍びこむ際に仕掛けた意識結界も、少しの間なら痕跡すら残さずにジェニファーを隠してくれた。
 そんな風だから、中にだれがいようが関係なく、彼女は忍び込んだのだった。
 返し終わって帰るときに、声が聞こえてくることに気がついた。
 始めは早めに帰ったほうがいいと思っていたジェニファーも、聞こえてくる声の一人が、マラのトップであるミュリエル・アカルデルトであったことから、興味を持ってしまった。
 物陰からそっと見る感じで、ジェニファーは広間を覗き見る。
 広間の中央。マラを守る守護石である『常盤の欠片』が設置されているポールの元。そこで、ミュリエルは上段に向かって静かに話していた。
「『常盤の欠片』は……そろそろ、限界が来るようです」
『そうすれば、このマラも支えを失うわけだな』
 その声は、反響するような不思議な聞こえ方をしていた。どこから聞こえてくる声かもわからないのに、ミュリエルは当たり前のように話しかけている。
「それもありますが、それ以上にあなたが」
『我のことは、この際いい。それより、マラのことだ。……まあ、『常盤の欠片』以外にも、賢者の石と久遠の石の二つで、支え自体はカバーされているが、なにぶん人工石だ。常盤ほどの力は持たんだろうな』
「では……」
『ふん、そのような顔をするな。だいたい、マラは一時の仮の宿りであると言っておったろうが。そもそも五百年もの間持ったことの方が驚きなのだ。それに、もう十分であろう?』
「確かに、戦力としては申し分ないと思います。今の十五魔鏡は、おそらくは歴代でもある程度のレベルではあると思われます。ただ」
『ただ、なんだ?』
「いえ、なんでもありません」
『ふん。まあ、現在不安要素がないといえば嘘になるが、しかしこの機を逃せば、マラ創設当初からの切望が果たせなくなる。分かっているな?』
「はい。私としましても、今まで積み重ねてきた技術を存分に利用したいという気持ちは、確かに持ち合わせております」
『ではいつから始める?』
「今、マラに賛同する組織が三つほどあります。そこからどれくらい増えるかが問題ですが、どうなったとしても、およそ半年後には始めたいと思っています。二ヶ月後にはマラの魔術師全員にこのことを知らせるつもりです。それから、まずは常盤のことを」
『よし。では、そうしよう』
 満足そうな声。
 続いて、声の主は驚愕の一言を告げた。

「科学と異能への全面戦争の開始だ」

 それを聞くや否や、ジェニファーはすぐに逃げ出した。――もちろん、ばれないように慎重にではあるが――気持ちの上では、今にでも走り出したい思いでいっぱいであった。
 あの声……結局、ミュリエルが誰と話していたのかは分からなかったが、あの声は、ジェニファーに衝撃的な恐怖を与えた。何におびえているのかは分からない。ただ、『あれ』は危険だと彼女の精神が言っていた。
 その日はその後自分の部屋にもどり、一人静かに震えていた。
 調査を開始したのは、次の日からである。



「……調べた結果、ミュリエルとあの『声』が話していた計画は、かなり進められていたみたい。武器庫には魔術用品のほかに銃器や刃物、爆薬の量とかが増えてたし。そして極めつけは食料庫。遠征のときにくらいしか使わない非常食と携帯食料が異様に増えていた」
「おいおい、そんなのどうやって……いや、愚問だな」
 ジェニファーの魔術を考えると、意味のない質問である。
 十歳に満たない年齢で『魔法』を修得し、十一歳のときにはマラのトップ十五位に入る、十五魔鏡の一員となった希代の魔術師、ジェニファー・クライエット。その天才的な才能を持った彼女の魔術は、属性が『精神』。系統が『暗示』であった。
 精神系魔術を使わせて彼女の右に出るものは、ここ数百年いないと言われるほどである。そんな彼女ならば、倉庫の前にいる門番に、自分を中に入れさせるような暗示くらい簡単にかけられるだろう。
「信じて、もらえた?」
「もらえるも何も、うそついているようには見えねぇし。ったく、そっか。こりゃあ、魔鏡の五位以上はたぶん知ってやがるな」
 カインはここ数日の様子を思い出す。十五魔鏡の五位以上の魔術師が、異様にぴりぴりしている姿を。九位であるカインや、十二位であるジェニファーにはまだ知らされていないのは、まだ機が熟していないから、か。
「んで、それを俺に話してどうするつもりなんだ、お前は。確かに戦争の準備は進められているかもしれない。だが、それが分かったところで俺たちに出来ることなんて」
「今の世の中、魔術が科学と戦うのは禁止されてるの」
 確かに、その通りである。
 その理由は、魔術の性質上の問題である。魔術師は己の魔術が全てであるがゆえに、どうしても軍隊などの物量作戦に弱い。特に、二度の大戦が行われてからは、世界中の科学技術が急速的に発達したため、単騎では勝っても物量では負けてしまうのだ。
「だが、今のマラの戦力は、その『声』の言う通り相当のものだ。おそらく歴代でかなりいいレベルにあると思う。みすみすはやられないと思うが」
「だけど、マラだけじゃなくて他の組織も同じよ。全部、これまでにないレベルだと思う」
「……そうだな。確かに、『科学』が異常に発達するにしたがって、世界中の技術という技術が底上げされた感じはする。だが、それでも勝算があるって踏んだから、マラは戦争に踏み切ったんじゃないか?」
 そうカインが軽く言うと、ジェニファーは表情を強張らせる。少しわかりにくいが、長い付き合いであるカインには、それが怒っているのだとよく分かった。
 彼女のその気迫に、思わずカインはたじろぐ。
「どうしたんだよ、いったい」
「……カインは、戦争に賛成なの?」
 確認を取るように、彼女は声を低くして問いかけてくる。その様子に、カインはどう答えていいか分からなくなり、黙ってしまう。
「……戦争は、怖いよ」
 ポツリと、ジェニファーは独り言でも呟くように話す。
「世界大戦。実際に体験したわけじゃないけど、私はその恐ろしさを『知ってる』。あの戦いで、いろんな人から被害が出た。異能者も、魔術師も、直接参加はしていないけど、たくさん被害にあった。――だけど、それでもあれはまだ、『科学』同士の戦いだったからよかったの。でも、それが『魔術』と『科学』の戦いとなると、絶対に熾烈を極めると思うの」
「ああ、そうだな」
 とりあえず肯定をするカイン。その間も、ジェニファーの様子を逐一観察する。
 まだあどけなさが残る少女特有の顔だが、表情は硬い。というよりも、厳しい。想像なんてものじゃなく、ジェニファーは戦争の脅威を真剣に感じ取っている。
「私は、戦争なんて起こしたくない」
「だとしても、一体どうするって――」
「だいたい、マラの存在自体がおかしいの」
 切り捨てるように、ジェニファーは言い捨てる。
 その乱暴な言い方に驚きつつ、カインは困ったように聞き返す。
「おい、それはどういう意味だ?」
「そもそも、魔術は戦うためだけの技術じゃないの。『魔術師は目的を求める』。確かに、『戦う』ことも目的の一つかもしれない。でも、本当はそんなものじゃない。魔術師が求めるものってのは、そういうものとは違うはず。――それは、カインだって分かるでしょう?」
 魔術は、もともと『奇蹟』を再現することが目的だ。
 ――ただ、マラの目的が違うだけ。マラの目的は、戦闘に特化することだ。
「そりゃ俺だって知ってるよ。だが、それは今の世の中じゃ詭弁だぞ」
「詭弁でも何でもいいの。ただ、私は本質が失われていると思っている。……本質が失われてしまった組織なんて、それだけで悪だよ。そんな組織だったらいっその事――」

 ――壊れてしまえばいい。

 ジェニファーの声の温度が一瞬下がったような気がした。
 ぞくり、と、カインの背筋に寒気が走った。
 ジェニファーを見る。相変わらずの厳しい表情。しかし、先ほどの言葉は、強い意志と一途な気持ちがこもっていた。
 恐ろしさを感じるほどに、純粋な想い。
 それを、突き刺すような鋭い瞳で、ジェニファーは言い放つ。
「ねえ、カインは、どう思う?」
 しかし、恐ろしさを感じたのは一瞬だけだった。今のジェニファーからは、真剣ながらも先ほど一瞬だけ感じたような恐ろしさはない。ただ可愛らしい顔を、厳しく張り詰めているだけだ。
 そんな姿に、カインは調子を取り戻すようにため息をつく。
「……ジェニファー。それはさすがに言い過ぎだ」
「でも」
「でも、じゃねえ」
 くしゃっと、ジェニファーの頭を無理やり押さえつけるように撫でる。
 そして、まるで自分の中の戸惑いを消すように、彼は言葉を続ける。
「いいか。ジェニファー。まだ動くな。俺のほうでも調べる。それからだ。解ったな?」
「……うん」
 納得いかない様子をしながらも、ジェニファーはしぶしぶうなずいた。
 それから一週間。カインも独自に調査を開始した。その結果が、今の状態だ。
 戦争は、このままだったら確実に起きる。それを、カインは直接確かめた。
 だからこそ、カインは今、ここにいる。

◇◆◇

「じゃあ、予定通りいくね」
 マラの端、国境とも呼べる、外に出るための門に近づいたところで、ジェニファーは二人にそう言うと、一人で門のところまで歩いていった。
 門のところには、門番が三人――それぞれ、ある程度の実力を有した者たちであることは、見ただけでも十分に分かる。
 ジェにファーがその三人に近づいていくのを見ながら、カインは不安げに呟く。
「あいつ、大丈夫か? 結構緊張してるみたいだが」
「カイン様。心配はご無用です。ジェニファー様も、一応あなたと同じなのですから――仮にも十五魔鏡の一人が、同列の人間を信頼しないのですか?」
「まあ、そりゃそうだが……。しかし、あいつは裏切りとかいうのはあんまり慣れてなさそうだからな。どうにも硬い気がする」
 と、目を細めてジェニファーの方を見ながら言う。
 裏切り。
 そう、今彼らは、マラという強大な組織を裏切ろうとしているのだ。
 その大胆さに、今更ながらカインはあきれる。確かにジェニファーの言いたいこともわかる。しかし、彼女はその重圧をまっすぐに自分の身に受けているはずだ。
 緊張しない、わけがない。
「これは、完全なマラへの裏切り行為だ。緊張しないわけがない。だから、ジェニファーが妙に緊張してなんかやらかすんじゃないかって心配なんだよ」
 ジェニファーから視線を話さずにカインは言う。先ほどの彼女の強張った様子を考えると、心配はぬぐえない。
 もしここでばれてしまったら、すべてが無駄になるのだから。
 カインはジェニファーの意志を思い出す。あの、恐怖すら感じるほどのひたむきな意志。その思いの元は、ただマラが戦争をするのを止めたいというだけではないのだろう。怒りさえも内包したあの気迫は、もっと根源的なものだ。
「カイン様」
「なんだ」
「あなたは、ジェニファー様に信頼されております」
「……いきなりなんだよ」
 突然のアルミナの言葉に、カインはできるだけ動揺を隠しながら聞き返す。
 そんな彼の様子に気づいた様子もなく、アルミナは静かに続ける。
「今のジェニファー様は、あなたが言うように不安定です。ですので、できればあなただけは毅然とした態度でいてください。そうするだけで、ジェニファー様にとっては気が楽になるでしょうから」
「そんなもんか?」
「はい。これは私ではできないことです。カイン様だからこそ、ジェニファー様は安心する」
「……わかったよ」
 カインはうなずいた。
 そんな彼に、アルミナは調子を変えないまま続ける。
「それに、長い付き合いです。私も、あなたのことは頼りにしています。あなたがいなければ、そもそもこんな大胆な行為は行わなかったでしょう。あなたがいるから、ジェニファー様は頑張れる。――あなたの心配も、どうやら杞憂のようですよ。カイン様」
「そのようで嬉しいよ」
 後ろ手に合図を送ってくるジェニファー。どうやら成功したらしい。
 その合図を見るや否や、カインとアルミナの二人は、伏せていた茂みから立ち上がると、門番の方へ進み、そのまま門を突破して先に待っているジェニファーと合流した。
 追いついても、一言も声を発さない。出来るだけ静かにしておいたほうが何かといい。目で軽く合図すると、三人はすぐにまた走り出した。
 そうして、彼らはマラの城門を突破した。
 うまくいっていることに、カインは安心しつつも、これからやらなければいけないことに言いようのない憂鬱感を抱え続けていた。
 彼の気持ちを代弁するように、雨は降る。ねっとりと絡みつくように、しみこむような雨は降り続ける――

◇◆◇

 アルミナ・コゼットは、ジェニファーの付き人だった。
 ジェニファーがマラに連れてこられたときはまだ八歳と幼く、そのころからアルミナはジェニファーの世話をしていた。おそらく、マラの中でジェニファーに一番近い存在であろう。
 そんな彼女がジェニファーからこの話を聞いたのは、一週間前のことだった。
 極秘の話をするときに使う日本語で、彼女はアルミナにすべてを告げた。ちなみに、日本語は、マラにいる日本人の乙池件という老練の魔術師から習ったものだ。始めはジェニファーだけが興味を持って習い始めたのだが、それならばと半ば無理やりアルミナも一緒に習ったのだ。そのため、今では二人の間で秘密裏の話を行うときは、日本語で話すようになった。
 といっても、日本語を使わなければいけないような守秘性の高い話がいつもあるわけではない。なので、日本語を使うというのは本当に極秘の内容なのだ。
 戦争。
 まだ、マラの人間もほとんど知らない。知らない間に進められている、戦争の準備。そんな事実を、下手にばらすわけにはいかない。
 だからこその日本語。その状態で、ジェニファーは驚くべきことを言った。
「私は、マラの戦争を止めようと思うの」
 真剣な瞳。冗談を言っているようには見えない。
 だが、彼女の言葉が意味するものは生半可なことではない。
「しかしジェニファー様。あなたの言っていることは」
「うん。解っている。裏切りだよ」
 さらりと彼女は言ってのけた。つまり、そのことの持つ意味はちゃんと理解しているのだろう。マラを裏切るという事実を。――マラという名の、強大な組織にたてつくことを。
 だけれど、いつかは言い出すことであったと思う。それというのも、ジェニファーはマラをずっと憎んでいたのだから。
 ジェニファーがマラに連れてこられたのは、その魔術の才能を見初められた所為だ。そのために、彼女はすべてを失った。――否、すべてを奪われた。親兄弟は殺され、家は壊され、日常という名の生活は捨てさせられた。
 マラという、戦闘組織によって。
 それも、すべてはジェニファーの魔術の才能が強大だったからだ。
 属性『精神』。系統『暗示』。精神暗示の魔術。
 発見された当初。まだ魔術の扱い方どころか存在すら知らない状態であっても、彼女の才能は飛びぬけていた。それこそ、マラの歴代魔術師の中でも、彼女ほど精神術に特化した魔術師はいないであろうと言われるほど。そんな風に言わしめるほど、彼女の力は飛びぬけていた。――だからこそ、マラはジェニファーを連れてくるために強行に出たのだ。
 だけれど、それは特に珍しいことでもない。マラにとって、人材はとても貴重なのだ。マラという一個の軍隊を強くするために、手段はほとんど選ばない。
 ジェニファーは、自分の境遇もあってか、マラのそんな性質を長い間毛嫌いし、憎しみ恨んでいた。
 こうして裏切る日は、いつかは来ることだった。それが少し早まっただけだ。アルミナはそう自分自身に言い聞かせていた。
「それで、アルミナの方だけど。あなたは、どうする?」
 自分の決意を言った後、ジェニファーは改めてアルミナのことを聞いてきた。
 自分はマラを裏切るが、アルミナは自分がいなくなった後、どうするつもりか、と聞いているのだ。
 ……何を、当たり前のことを。
 アルミナは、苦笑しつつ口を開く。
「私は、あなたの付き人ですよ」
 ジェニファーと出会ったときからの世話役なのだ。七年もの間、アルミナはジェニファーと共に居たのだ。
「今更、私を仲間はずれにするつもりですか? ジェニファー様」
「でも、これはさすがに私の独断なの。そこまでは付き合ってもらわなくても」
「たとえあなたがどんな選択をしようとも、私はジェニファー様についていきます」
 確固たる意思を持って、アルミナは言う。
「それは、私自身の意志です。私は、あなたと共にあります。それこそ、この身が尽きるまで。それが私の幸せですし、それが私の本望です」
 そして、にっこりと笑いかけた。
 うまく笑えたかは分からない。でも、気持ちは伝わったと思う。
 その証拠に、ジェニファーは目じりを涙で濡らしながら、「ごめんね……」と謝った後、「ありがとう」と続けた。
 アルミナにとっての幸せは、ジェニファーがすべてだった。というのも、彼女はそれ以外の『大切なもの』をすべて失くしてしまっていたからだ。
 アルミナがマラに来たときの境遇はジェニファーと似ているが、少しだけ違った。ジェニファーはマラに家族を殺されたが、アルミナはマラとは関係ない魔術師に家族を全員殺されていたのだ。そして彼女は、マラという戦闘集団に身を置き戦闘技術を磨くことで、その魔術師に復讐することを誓った。
 実際、その復讐自体は七年前に成功した。しかし、大抵の復讐の終わりがそうであるように、その後アルミナにやってきたのは、果てのない虚無感だった。
 生きる気力を失った。それまで復讐のためだけに魔術の腕を磨いていた彼女にとって、それが果たされたあとは、何一つ手元には残らなかったのだ。
 そんな時に、ジェニファーと出会った。
 初めて出会ったとき、ジェニファーはまだ本当に子供だった。八歳。対して、その頃アルミナは二十一歳。実に十三もの年齢差があった。
 始めアルミナは、ジェニファーの世話役という役割を与えられて憂鬱だった。まったく気力が沸かないというのに、なんでこんな面倒ごとをしなければならないのか。そんな風に煩わしく思ったのは当然の流れだと思う。
 しかし、実際にジェニファーと対面し、彼女の魔術の才に触れたとき、アルミナの中で何かがはじけた。
 ジェニファーの秘めた力に驚愕し、自分の小ささに愕然とした。そして、しばらく経った後に、彼女の口から放たれた言葉を聞いてさらに凍りついた。
「私に、あなたの魔術を教えて」
 無感動の、それでいて、強い意志を秘めた瞳。
 その目を、アルミナは知っていた。ちょっと前まで、自分がしていた目。復讐に燃える、暗い瞳。
 その瞳に、アルミナは惚れてしまった。
 それ以来、彼女はジェニファーに従っている。主従の契約もなにもないが、ただ己の意志でジェニファーに従うと決めたのだ。
「――ジェニファー様。一つ、言っておきたいことがあります」
 出発する寸前に、アルミナはジェニファーに話しかけていた。
「これから先、私たちはマラと敵対することになります。危機に立たされることもあるでしょう。なので、もし私が傷ついた場合、構わずに捨て置いてください」
「……そんなこと」
「ジェニファー様。これは『覚悟』です。マラを裏切るからは、必ずこの戦争のことを外に教えなければなりません。幸い、そういったことに対応する組織には心当たりがあります。だから、必ずその組織に話すまでは、どんなことがあっても止まってはいけません」
「たとえ、アルミナやカインが殺されることになっても?」
「はい。もちろん、それは私やカイン様についても同じです。三人の中で、最低一人でもその組織にたどり着けるように。そうしなければ、私たちがマラを裏切る意味はありません」
 復讐するのでしょう?
 だったら、可能性を最大限に伸ばしてください。
 そう、アルミナは言った。
 アルミナが復讐をしていたときに誓っていたのは、ただ相手を殺すということだけだった。それ以外のことは、まったく気にしない。自分のすべてを、憎き魔術師を殺すためだけに使い、それ以外のものはすべて捨ててきた。
 復讐するためには、それくらいの覚悟が必要だ。ということを解って欲しかった。
 ジェニファーにそのことが伝わったかどうかは解らない。だけれど、それでアルミナの気は済んだ。
 今、三人はマラの城門を抜け、森の中を走っている。目的の組織との合流地点まではあと五キロほど。その道のりは雨の中では長いが、三人は無言で走る。
 静かに、荒れている息をなだめながら、アルミナは黙ってジェニファーの半歩後ろを続いて走り続けた。

◇◆◇

 ジェニファーにとって、カインは兄のような存在だった。
 マラに連れてこられて以来、ずっと世話をしてもらっているアルミナとはすぐに打ち解けたが、それ以外の人間にはなかなか気を許すことが出来なかった。
 そんな中でジェニファーが彼と話を始めたのは、ジェニファーが十五魔鏡入りを果たしたときのことだった。
 当時十二歳。マラの歴史上でも最年少の彼女に、マラ全体が驚愕した。
 十五魔鏡になるときの条件は、最低『魔法』を修得していること。ある程度の戦闘能力を有していること。十五魔鏡に空きがあること。の三つがある。
 特に大きいのは一つ目。『魔法』を修得していることだが、跳びぬけた実力がない限り、どんな『魔法』を有しているかで決まることが多い。
 しかし、その『魔法』を修得するには、まず基礎である『魔道』を極めなければならない。といっても、その基礎にしたところで、普通の魔術師なら、五年程度の時間をかけて修得するもの。さらにオリジナルの術式である『魔法』は、下手をすれば十年近い時間がかかるのである。それなのに、それを高々十二歳の少女が修得していた。その事実が、皆を驚かせた。
 その魔法の名は、『オクテットレクイエム』と呼ばれている。
 その『魔法』に興味を持ち、カインが独自にジェニファーに話しかけてきたのが、そもそもの始まりである。
 がさつながらも根はよいカインに、始めは身構えていたジェニファーも、すぐに気を許した。年齢が他の魔術師に比べて若いのもあっただろう。彼女ほどではないといえ、カインは二十二歳、彼女が十五魔鏡に入るまでは一番年下だったのだ。年上の男性に憧れる気持ちのようなものとともに、ジェニファーはカインに惹かれていった。
 今では、アルミナの次に信頼している人間である。
「カイン。状況は?」
 小さく、呟くように聞く。
「今のところ、追っ手はなさそうだ。ばれてはいないようだな」
 後ろを振り向きながら答えるカイン。城門を抜け出して三十分は経とうとしていた。もし不手際があれば、そろそろ追っ手が来る頃である。
「アルミナ。このまま、まっすぐ進んでいいんだよね」
「はい。あと四十分も進めばつきます」
 後ろから返答が来る。しっかりと、半歩後ろをアルミナはついてきている。
 これから三人が会うのは、『ギリシャ文字』という組織である。
 ギリシャ文字。それは、二十四人の実力者を筆頭とした、世界中を管理する軍人ようなものである。何らかの荒事があった場合、ギリシャ文字が一番に対処に向かってくる。
 垂れ込むのに絶好の相手である。
 事前に連絡を入れたのはアルミナである。なんでも、以前ちょっとしたきっかけで、ギリシャ文字の一人とつながりが出来たのだという。
「しかしアルミナ。本当にギリシャ文字がこんな馬鹿げた話に動いてくれるのか?」
 カインが疑問を投げかけると、すぐにアルミナは答える。
「マラからの垂れ込みとあれば必ず向こうは警戒します。それくらいマラは危険視されてきたのです。魔術の戦闘集団というものの危険性は、思った以上に大きいようですので」
「そりゃあ、なんか素直に喜んでいいのか分からんな……」
「でも、今の私たちには朗報なの」
 少なくとも、戦争というぶっ飛んだ話を持ち出して、馬鹿にされることはないようだ。
「ちなみに、そのギリシャ文字は安心できる? 話したらすぐ戦闘とか、そういうことにならないの?」
「それについてはおそらく大丈夫だと思います。私が連絡をした『彼女』は、遊撃部隊ではありますが、戦闘自体はあまり好んでいないようなので。こちらが戦意を見せない限り、向こうから攻撃してくることはないと思います」
 アルミナのその言葉に、ジェニファーは安心する。もし相手が好戦的な人間だったら、マラのことを話し終えた段階で用済みとして始末されるかもしれないという危惧をずっと持っていたのだ。それが杞憂に終わりそうでほっとする。
 ジェニファーとしては、できる限り戦いは避けたい。もちろん、戦うすべを持っていないわけではないが、あまり前面に出していたいとは思わないのだ。
 右手に持っている杖、『メンタルフレンド』を見る。この杖を使い、ジェニファーは魔術を使える。しかし、その魔術は出来れば誰かのためになるものであって欲しい。ただ自分の命を守るためだけに使うというのは、あまりにも悲しすぎるのだ。
 もちろん、自分の身が危険になったら、全力で対処することは確実であるが。
「ねえ、カイン」
「なんだ?」
「ごめんね。こんなことに付き合わせちゃって」
「何を今更」
 苦笑交じりの返答に、ジェニファーは言う。
「私、あんなことを聞いてしまって、正直一人じゃ抱えきれなかったの」
「…………」
「誰かに話そうにも、正直信頼できる人はほとんどいなかった。アルミナに先に話そうかとも思ったけれど、あんまり危険なことはさせたくなかった。たぶんアルミナは、私が話したらすぐに事実確認に行くはず。もしその段階で本当だったら、下手な動きを見せた彼女はすぐに始末されたかもしれない。――そうでしょ? アルミナ」
「……否定はしません。ジェニファーさま」
 少し言いづらそうにしながらも、アルミナは答える。その辺は、ジェニファーにはお見通しなので隠しても仕方がないのだ。
「だから、先に俺に話したのか」
「うん。カインなら、うまく立ち回ってくれると思ったから。十五魔鏡っていう看板があるから、怪しまれることも少ないし」
「まあ、な。そのおかげでいろいろ知ったし」
 声のトーンを低くしながら、カインは答えた。
 もちろん、ジェニファーが期待したのはカインの調べだけではない。むしろ、ジェニファーはカインに支えてもらえることを期待していた。
 一人でこんな大きな秘密を抱えていることが嫌だった。誰かと、秘密を共有したかった。
 そんなとき、同じ立場のカインは、一番いい相手だった。
「私は、あなたを利用しただけなの。だからごめん。私のわがままで、あなたを巻き込んでしまった」
「……いや、まあ、そんなこと言わなくていいから」
 ジェニファーの謝罪に、困ったように言うカイン。その姿は何か引っかかるものがあるような様子だったが、すぐに顔を引き締め黙り込んだ。
 しかし、カインは口ではいろいろ言いつつも、結局はジェニファーの頼みを聞いてくれるのだ。それがカインにとってどう影響を及ぼすかは関係なく、手伝ってくれる。根は優しい。だからジェニファーはさらに頼ってしまう。
 カインが敵に回すというのは、考えられなかった。本当は、自分とアルミナの二人だけでマラを裏切ってもよかったのだ。しかし、それだとカインを敵にまわすことになる。それだけは避けたかった。そういう意味もあって、ジェニファーは彼に頼ったのだ。
 カインなら必ず、私と一緒に来てくれる。そう思ったから。
 思惑は成功し、今カインはここにいる。カインと、アルミナ。そして自分。この三人なら、きっとうまく行く。十五魔鏡が二人もいるのだ。カインの強さは十分知っている。それに、アルミナにしたところで、純粋な戦闘ならば十五魔鏡に匹敵するくらいの技術を持っているのだ。
 だから、申し訳ない感情を持ちつつも、ジェニファーはこの状況に安心していた。
 ……そう、安心しきっていたのだった。

◇◆◇

 カイン・アルファスにとって、ジェニファーは妹のような存在だった。
 一人前と言っていいくらいの雰囲気を持ちながらも、どこか危なっかしいところがある少女。そんな彼女の手助けをするのが、彼にとっては当たり前になっていた。
 そう、だから今回も、そのつもりであった。
 ちらりと、横目でジェニファーの様子を確認する。フード越しなのでよくわからないが、確実に疲れてきている。ここまでの足場の悪い道のりに加えて、この雨だ。あまり鍛えていないジェニファーにとっては、厳しいだろう。
 休もうか、と言うかどうか迷ったが、今そんなことを言ったところで、何も変わらないだろうと寸前で止める。それに、今の自分にそれを言う資格があるとは思えなかった。
「…………」
 ジェニファーやアルミナと違い、カインがマラに来たのは、マラに助けられたからだった。
 カインは、両親に捨てられた孤児だった。わざわざ中東の戦地にまで連れてこられ、そこで捨てられたため、カインは孤児院のようなところに引き取られることも出来ず、毎日流れ弾の恐怖を感じながら地を這うようにして生きていた。
 その生活が終わりを告げたのは、二十年前。六歳のころに、ある白い魔術師に行き倒れたところを介抱してもらったときのことだ。
「よく生きてたな、小僧」
 爆撃によって蹂躙されつくされた廃墟の中で、彼はそう言ってきた。
 白い男だった。純白のコートに、真っ白な杖。全身を白に固めた彼は、むしろ禍々しいほどの邪悪さを感じさせた。
 カインはすでに満身創痍だった。すぐそばで爆発した地雷のおかげで体中は焼け爛れ、骨はいくつも折れている。血反吐を吐きながら地面に伏せたカインに、その魔術師は高みから問いかけてくる。
「死にたくないか?」
 当たり前だった。
 こんな苦しみを抱えて死ぬのなんて、嫌だった。
 返答を出来るほど余裕はなかったが、カインは首だけを動かして肯定を示した。
 そして、カインは助けられた。
 もちろん、その時その魔術師がカインを助けたのはただの善意ではなく、彼の中にある魔術の才を知ったからだが、そんなことはカインにとって問題ではなかった。ただカインは、自分が生き延びることが出来たことを喜んだ。
 それからその魔術師に連れられるようにしてマラに行き、カインは魔術を習った。その魔術師の目は間違いでなく、カインはめきめきとその頭角を表していった。そして今では、トップである十五魔鏡の一人である。
 だからカインにとってマラは、ジェニファーとは違い、命の恩人のようなものなのだ。
 そう、ジェニファーのように、マラを裏切るということは、カインにとってはもってのほかだった。
 しかし、戦争の恐ろしさに実感を持って知っているのも、また事実である。
 マラに来るまでに体験した数々は、今も覚えている。戦争の体験をジェニファーは知っていると言ったが、カインはそれに輪をかけて実感をしていた。硝煙に塗れた焦げ臭いにおいや、むせ返るような血のにおい。すぐそばで知り合いの肉片が飛んだり、体の一部がもがれて上げられている苦しみの声。
 ――きみはきみが思うように動けばいい。
 一人の女性の言葉を思い出しながら、カインは目を瞑る。
 これからやることの重大さを考える。裏切ることの重要性をはっきりと意識し、責任を認識する。これから自分は、運命を左右するといっても過言ではない。
 ……だから、とカインは自分に言い聞かせる。今から自分が行うことは、正しいのだ、と。何度も、何度も言い聞かせる。
 やがて、雨も小粒になってくる。
 泣き止みかけている空を軽く仰ぎ、カインは自分の中の憂鬱感を無理やりぬぐう。

◇◆◇

 アルミナ・コゼットは、一年前のことを思い出していた。
 一年半前、それは、『ギリシャ文字』の一人との出会いでもある。
 異能の極端、『ギリシャ文字・σ』のフィーネ・ロサンゼルス。科学の極端、『B2』に所属する都築宿利と研究祖隊の『花鳥風月・花』緑花朝顔。
 その出来事は、アルミナが行った『復讐』の後始末のような事件であり、また魔術師として極端すぎた彼女の生き方を肯定するようなものだった。そのとき出会った異能としての極端と科学としての極端、迷いが交差した物語の果てに、全員が答えを得た。
 別れ際、フィーネは言った。
「アルミナ。宿利。二人とも、もう迷わないで」
 戦いの後だ。ボロボロになり、満身創痍になり、それでも全員が生きようとした。その果てに出た言葉だった。
「私も、もう迷わない。私は私のやることをがんばる。だからあなたたちも、迷わないで」
 その言葉に、都築宿利はだまってうなずいた。そして、アルミナも、確固たる意志でもって首を縦に振った。
 アルミナには、守るべきものがある。それに従う限り、彼女が迷うことはない。
 そして彼女たちは、軽く手をあげて別れた。それぞれの道に。
 こうしてフィーネを頼ることができて、アルミナは安心していた。魔術師というのは、往々にして外とのつながりが希薄になりがちだ。そんな中で、フィーネ・ロサンゼルスのような人物に頼ることができて心底よかったと思っている。
 これから戦争になるのは確実だが、それがどういう形になるかはわからない。
 一つの魔術組織が全世界を敵に回すなんて、聞いたこともない話だ。もちろんマラは今外とのつながりを強くしようと奔走している。その過程で、世界は二極化していくだろう。
 マラとともに戦うか、その敵に回るか。
 本来ならば戦いにもならない勢力図である。しかし、近年の情勢を見ればあながち馬鹿にも出来ない。今の世界は、危うい均衡のもとでなりたっている砂上の楼閣のようなものだ。各所で不満がたまり、それを開放する機会をうかがっている。それがもたらされたとき、世界は戦争へともつれ込むだろう。
 そのきっかけに、マラはなるかもしれなかった。
 止めなければならない、というジェニファーの意見は、いたって正しい。
 もし今世界大戦が起これば、被害は尋常なものになるのだから。



 始めにそれに気づいたのは、アルミナだった。
 ぞわりと、背中に寒気が走った。
 今まで進んできた方向から、少し斜めにずれた方角。そこから、僅かな、それでいて鋭い殺気を感じた。今の今まで全く感じなかったものが突然現れ、アルミナを驚愕させる。
 続けて、カインの「敵だっ!」という声。
「ジェニファー様!」
 反射的に叫びながら、すぐに内ポケットから魔術具である小杖を取り出し、身構える。
 と、その瞬間。
 アルミナの胸部を、鋭い激痛が貫いた。
「かっ、は」
 その痛みはやがて身を裂き、背後へと突き抜ける。
 何かに、貫かれた。
 そう気づいたときには、燃え上がるような熱さと、擦り切られるような激痛が続けざまに襲ってくる。そんな感触とともに、アルミナは衝撃によって体ごと吹っ飛ばされた。
 空を舞いながら、アルミナは必死で目を凝らす。せめて、どこから攻撃がきたのかを確かめるために。
 そこで彼女は、信じられない光景を目にする。
 ありえない。しかし、そのありえないが現実に起こっている。そのことに、アルミナは驚愕を隠せない。
 その人物は、アルミナがよく知っている人物。
 表情は無表情。しかし、『彼』のその表情は、なんだかとても悲しそうだった。

◇◆◇

 カインの叫び声によって、ジェニファーは事態を察知した。
 続けて発せられたアルミナの声。しかし、その声はジェニファーにとって何にも意味を成さなかった。
 弾かれるようにして後ろを振り返った瞬間、まったく無警戒だった真横から、何か強い力を叩きつけられたからだ。
 痛みよりも、混乱の方が意識を支配していた。
 倒れながらジェニファーが見たのは、小さな黒い塊に貫かれているアルミナの姿だった。
「アルミナっ!」
 地面に受身も取れずに叩きつけられながらも、必死にジェニファーは叫ぶ。が、その叫びも虚しく、アルミナは地に倒れて動かない。
 ジェニファーはすぐに起き上がる。しかし、立ち上がったところを、すぐに足が払われる。何が起きたかわからないまま、それと同時に、腹部を強く殴られる。
 体をくの字に曲げて、再度地面に膝をついた。
 飛ばされながら、そこでやっと彼女は、襲撃者の姿を視認した。
「――え?」
 信じられなかった。
 わけが解らず、ジェニファーの頭の中はさらに混乱する。その人物が攻撃を仕掛けてきたというのが、本当のことだと思えなかった。
「どう、して……」
 地を這ったまま、ジェニファーは顔だけを上げてその人物に視線を合わせる。
 そして、その人物の名前を、疑問符とともに呼ぶ。
「なんでなの、カイン?」
「…………」
 対してカインは、何も答えない。
 ただ無表情で、ジェニファーの方を見下ろしている。
「『塵にまみれた黒き弾丸』――」
 そして、手をジェニファーの方に突きつけ、ぼそぼそと、まるで独り言でも呟くように詠唱を行う。
 言葉とともに、彼の周りの土が、小さな丸い塊となって浮遊する。
「――『放て』」
 続けて放たれたその一言で、数個の弾丸が一斉にジェニファーの方に向かってきた。
 しかし、攻撃をされても彼女はまったく動けない。ただ、目の前の現実を信じられず、呆然としているだけ。
 いまだに、何が起きているのか把握し切れていないのだ。
 だから、放たれた弾丸も避けようとせず、ただむざむざ攻撃されるだけの状態。
 もしジェニファーの間に人影が割り込まなかったら、確実にその一撃で彼女の命は終わっていただろう。
 数発の打撃音。
 拳銃に似た、それでいて鈍い破裂音。
 しかし、ジェニファーには一発も当たっていない。
「……え?」
 ジェニファーとカインの間に割り込んだ人物は、カインが放った攻撃をすべて受けきった。
 顔を上げながら、ジェニファーは恐る恐る、『彼女』の名前を呼ぶ。
「アル、ミナ?」
「――大丈夫、ですか? ジェニファー、様」
 ごほっ、と口から血を吐きながら、アルミナはジェニファーの方を振り返る。カインが呪文の詠唱をしている間に、起き上がってきたようだ。
「……カイン、さま。いったい、どういうつもり、ですか?」
 そして、前方を睨め付けながら、アルミナは切れ切れに言う。
 その姿に、カインは温度を感じさせない冷たい言葉で言い放す。
「邪魔だ、アルミナ」
「どういう、つもりだと、聞いているんです」
「……『纏わりつく土くれ。ぬかるみを歩く――』」
 アルミナの疑問に答えることなく、カインは呪文の詠唱を開始する。
 彼から放たれる殺気が一気に爆発した。
「ここは私が食い止めます。だから逃げてください!」
「で、でも!」
「『覚悟』です、ジェニファーさま!」
「っ!」
 一瞬だけ、ためらいが心を支配する。
 しかし結局、アルミナのその言葉に弾かれるように、ジェニファーは立ち上がり駆けた。
 覚悟。
 仲間を見捨てる、覚悟。
 どんなことをしても、目的を達成するための、覚悟。
 アルミナは、その非情なる覚悟をジェニファーに求めた。
「――それでいいのです。ジェニファー様」
 去り際、アルミナの優しげな声が耳にこびりついた。
 後ろを振り返らないように、思いを振り切るように、ジェニファーはただ賢明に逃げることだけを考えて走った。

◇◆◇

「これで、いいのです。……そう、これで」
 呟きながら、キッと目の前をアルミナは睨む。
 対してカインは、すでに詠唱を終えて、その両側に『魔法』を従えている。
 マラのトップである十五魔鏡。その内の一人の魔術。
 ――彼の両側には、人の腕をかたどった巨大な泥が二本そびえたっていた。
 噂では聞いたことがある。ゴーレムの変形。腕の身を構成することで全体のバランスを調整し、力強い一撃をお見舞いする。
 カインは冷たい声で、吐き捨てるように言う。
「アルミナ。お前じゃ、無理だ」
「……やってみないと、分かりませんよ」
 そう、含みのある口調で言いながら、アルミナは手の中の小杖を前方に向けて構える。
「お互い、長い付き合いですが、相手の切り札までは知らないのですからね。やってみないと結果がどうなるかは分かりません。それに、例えここで私が敗れたとしても、ジェニファー様が伝えてくれる。目的だけは、達成できる」
「今、お前たちを追っているのは俺だけじゃない。お前も感じ取っただろう? 俺を止めているだけでは、意味はないぞ」
「――やっぱり、そんなところ、ですか」
 マラの命令で、カインはマラを裏切った振りをして、ジェニファーとアルミナを始末するチャンスを探っていたのだろう。だったら、追っ手がしっかりとついてきていても不思議ではない。
 アルミナが感じた殺気は一つではなかった。最低、三つから四つはあった。
「さすがに、あの人数はジェニファー様一人では大変でしょうね」
 だったら、とアルミナは続ける。
「――あなたを倒して、早くジェニファー様の助けに行かないと」
 体中に穴を空けられた瀕死の状態で、彼女は薄く笑みを浮かべた。
「……あんまり、俺を舐めるな」
 冷たい言葉とともに、カインは右腕を動かす。
 それとともに、カインの両側の『腕』が、彼の腕の動きに従って動き出す。――両側から、両手でアルミナを握りつぶすように巨大な手が迫ってくる。
 それを見ながら、アルミナはすばやく自分の状態を確認する。
 カインから受けた傷は取り返しがつかないくらい深い。おそらく、もう助かりはしないだろう。血が流れ続けて体の力がどんどん抜けていくし、意識すらも薄れていっている。これでは、魔術の全力行使も危うい。
 カイン・アルファスは、仮にも十五魔鏡の一人だ。手加減をして何とかなる相手ではない。よくても、同士討ち覚悟で行かなければいけない。
 だったら、今アルミナにできる限りの足止めを行うに限る。
「『風の音は、心に響く――』」
 アルミナは呪文の詠唱を開始した。
 風の流れを感じる。すでに彼女の体には無数の穴が開いているというのに、痛みは感じない。ただ、その心地よさだけが、今の彼女の触感を刺激していた。
「『――風の流れが、肌を撫でる――』」
 両側から、ハエを叩くように、カインの泥の手がアルミナを押し潰す。
 しかし、アルミナはギリギリで回避動作をとっていた。そのため、全身を潰されることにならず、胸から下のみが泥の手の間に挟まれた。
「『――風の声に、冴え渡る――』」
 体を潰された衝撃にひるむことなく、アルミナは詠唱を続ける。
 言葉とともに、静寂が場に訪れた。
 まったく風が流れていない、『凪』。今現在の状況にふさわしくない雰囲気が、この場を支配する。
 ピンッと張り詰めた空気の中、アルミナはもうほとんど機能を停止している肺を酷使させ、かすれた声で呪文を唱えた。
「『――風の祈りで、場は裂ける』」
 四小節中、唯一毛色が違う言葉。
 それとともに、今まで凪いでいた場に、突然突風が起きた。
 冷ややかで、鋭い。そんな一迅の風の刃が、一気にカインの方へ向かう。
 それを見送りながら、アルミナは最後に一言、締めの言葉を呟くように言う。
「『衝き穿つ、風の刃。――我が名はアミナ・コランルイア』」
 それは、魔術名。
 魔術師としてすべてを投げうって戦うという、覚悟を込めた名前。
 走馬灯が、アルミナの中に駆け巡る。
 これまで歩んできた二十八年の人生。その三分の一は復讐に燃え、また後年はジェニファーと共に過ごした。
 自分の人生は間違っていただろうか。少なくともそうは思いたくないが、結果的には何も残せていない。アルミナ・コゼットという魔術師は、自分の生涯をかけて完成させた魔術すら、後に伝えられなかった。果たしたのは復讐という名の、生産のないものだけ。
 その思いは、一年半前のあの戦いを経験した後でも、ずっと付いてきていた。迷いはなくなった。しかし、だからと言ってアルミナのすべてが報われるわけではない。
 魔術師にとって、自分の生きた証を残せないのは何にも勝る苦痛だ。弟子をとり、自分の生きざまを伝える。それこそが魔術師の最後の望み。仮にも魔術師のはしくれであるアルミナも、それを果たせなかったことが唯一の心残りだった。
 でも、と思う。一つだけ――ジェニファーだけは自分のことを覚えていてくれるだろう。生きていたという証拠が一つも残せないのは悲しいが、それだけでもいいとしよう。
 ――ここで、私は終わりですね。
 カインに向かう風の刃を見送りながら、アルミナの意識はゆっくりと閉じていった。

◇◆◇

 ジェニファーは森の中を単独で走り続ける。
 段々と、混乱していた頭は落ち着いてきた。
 そうやって落ち着いてくると、今度は混乱の次に「なぜ?」という疑問がやってきた。
 走りながら考える。どうして、カインは自分たちを裏切ったのだろう。
 おそらく、カインの裏切りはかなり周到な準備に基づいている。彼の魔術は、土地に左右されるものなので、あらかじめその土地を制御するための準備が必須なのだ。土壇場で魔術具をばら撒いたという可能性もあるが、そのようなそぶりは見えなかったので、たぶん前もって準備したのだろう。
 では、いったいいつごろから裏切ることを決めたのだろうか。そのようなそぶりはまったく見せていなかったのに……。
 だが、そんなことを考えたところでまともな答えなど出てこない。考えるだけ無駄なこと。それなのに、どうしても「どうして?」と考えないではいられなかった。どうして? どうして? どうして?
 そんな風だから、後ろから向かってくる気配に気づくのにギリギリまで遅れた。
「っ!?」
 殺気を感じ取り、本能的に体を伏せる。
 それとほぼ同時に、真上を横薙ぎの刃が一閃した。
 紙一重で避けられたことに冷や汗を覚える。
 後ろを振り向き立ち上がる。その瞬間、相手は手に持った刃物を返す刀でもう一閃。白刃の刃がジェニファーに迫ってくる。
 避けることは叶わない。だったら、とジェニファーはそれを杖で受ける。ギンッという音が響き、相手の攻撃を寸前で止める。
 相手は舌打ちしつつすぐに身を引き、いったんジェニファーと距離をとった。
 その瞬間、隙が出来た。
 その隙を見逃さず、ジェニファーは自分の呪文を詠唱する。
「――『逃げるな、怯むな、怖気づくな。自分を信じろ自信を持て』」
 呪文は彼女の母国語である英語ではなく、日本語だった。
 相手を直視しつつ、最後の一言を唱える。
「『――私は、強い』」
 唱え終わると同時に、杖をしっかりと握って地を蹴った。
 杖を思いっきり振りかぶる。そして、一気に相手の目の前まで距離を縮める。
 相手は、まさかこちらから向かってくるとは思わなかったのか、咄嗟のことに反応できずに驚いている。――チャンスだ。
 気合とともに、杖を相手の頭めがけて振り下ろした。
 まるで岩でも叩いたかのような手ごたえと共に、相手は地面に叩きつけられる。
 自己暗示による、肉体強化。
 それが、ジェニファーの基本的な戦い方だった。
 暗示の力は、人の本来の力を引き出すきっかけである。人は生きているだけで、ある程度のことをやってのけるだけの筋力は持っている。普段は体に負担をかけないためにストッパーをかけているだけなのだ。だから、自分にはできるという強い暗示をかけ、ジェニファーはそのストッパーを一時的に外しているのだ。
 戦術そのものが肉弾戦なので、杖も魔術具としてだけでなく、相手を殴りつけるために作った特別のものである。だからこそ、先ほど振るわれた刃もやすやすと防いで見せた。――マラで魔術を習い始めてからこれまで、ずっと一緒にいた杖。それは、精神的な友達ともいえる関係。だからこそ、この杖は『メンタルフレンド』と呼んでいる。
 ジェニファーは、殴りつけた相手が完全にのびているのを確認する。強く殴りすぎたために頭から血を流しているが、この際仕方がない。
 そして、次にすばやく辺りを確認する。追っ手はこの人だけではないはずだ。
「……出てきなさい」
 低く、唸るように怒気をこめて言葉を発した。
 すぐに、反応が見られる。案の定、四方から人影が襲い掛かってきた。――三人。それぞれ、手に武器を持っている。
 まず、ジェニファーは正面から襲い掛かってきた相手に対応する。槍を持った相手。体つきから、おそらく成人男性。
 ぼそぼそと、その人物が何かを呟いている。と、それとともに槍の先が青白く燃え始めた。青い炎。その淡く幽暗な様子が、小雨の中、不気味さを放っている。
 上段から、切り落とすようにして槍の先がせまる。それに対しジェニファーはさらに間合いを詰める。懐に入るようにしながら燃えている刃先を回避し、槍を杖で受け流す。
 続けて、槍に触れている部分を軸にして、杖を回して相手の腹を殴りつけた。
 鈍い打撃音とともに、相手は悶絶する。
 そうして隙の出来た相手の耳元で、すれ違い様にジェニファーは小さく英語で囁きかけた。
「『あなたは弱い』」
 そしてその人物の体を踏み台にするようにして飛び退き、すぐに間合いを取る。
 と、そこから地に足をつける間もなく、あとの二人が迫ってくる。
 空中なので、身動きが取れない。
 右上方から大剣の斬撃。体全体を使って振り下ろされたその重たい剣戟は、無理やり首を捻ってどうにか皮膚だけを切られるにとどめる。大剣を持った相手は、空振りしてしまったような状況になりバランスを崩してしまう。
 攻撃を回避したことに安心する間もなく、次の攻撃が来る。今度は下の方から、宙に浮いているジェニファーに向かって銃を構えている。
「く、――『見ろ。瞳に映る何もかも。私は出来る、私は見える!』」
 とっさに、暗示をかける。
 銃の引き金が引かれる。撃つ瞬間、相手も呪文の詠唱を行ったようだ。散弾銃でないただのリボルバーなのに、鉛の玉が幾数にも分裂して、しかも散乱せずにその全てが収束するように襲い掛かる。
 その小さな鉛の玉を、ジェニファーは動きを見てまとめて叩き落す。――が、全てを落とすことは叶わない。二、三発、その身に食らってしまった。
 焼けるような熱さと突き刺されるような痛みに顔をゆがめる。痛みに気を取られてしまった所為で、うまく受身を取ることができない。思いきり地面に激突してしまった。
「っが。こ、んの……ぉおお!」
 雄叫びを上げつつ立ち上がる。寝ている暇はない。相手が無事な限り、すぐにでも次の攻撃は来るのだ。
 幸い、先ほどの銃撃はさほど重症ではないようだ。痛み自体は酷いが、魔術の使用により威力が落ちていたのか、動けないほどの傷ではない。
 ジェニファーはすばやく敵の位置を確認する。三人が、ジェニファーを囲うようにしてそれぞれ武器を向けてきていた。
「……『それは弱く、そして脆い。それは遅く、そして軽い』」
 杖を振り回しやすいように構えながら、ジェニファーは唱える。
「『あなたは弱い。あなたたちは弱い。私よりも、弱く脆い』」
 そして、威嚇するように、怒気を込めながら、呪文を結ぶ。
「『私は、あなたたちよりも――』」
 ――強い。
 再度、ジェニファーは地を蹴った。

◇◆◇

 予想外だった。
 カインはアルミナの死体を見下ろしながら、苦々しく顔をしかめた。
 泥の手によって、胸から下が潰されひしゃげた死体。見ているだけで痛々しさを感じ、あまり気持ちのいいものではない。
 しかし、そんな悲惨な死に方に相反して、アルミナの死に顔は思ったよりも安らかなものであった。
「……最後の悪あがき――にしては、あまりにも強力すぎる、よな」
 言いながら、カインは自分の胸に手を当てる。
 ぱらぱら、と彼の手が触れた部分から乾いた泥がこぼれ落ちる。そこには、何かに切り裂かれたようなまがまがしい一本の傷が入っていた。
 重症とまではいかないが、決して軽い傷ではない。
 アルミナの最後の攻撃でつけられたものだ。
 その攻撃は、カインの防御を貫き、カイン本人にまで通っていた。
「まさか、『鎧』を通すとはな……」
 こんなことは、九年前に敵対した竜人のとき以来である。あの時は、普通ならバラバラになるような攻撃をくらいながら、大怪我を負いつつも生き残ることが出来たのだ。
 それくらい、防御としては最高の鎧。『土塊の献身』
 それが破られて、僅かながらも自分に攻撃が通っている。
 本当に、アルミナの最後の攻撃は強力だった。
「いったい、何なんだこいつ」
 今まで、カインのアルミナに対する見識は、ジェニファーの付き人というだけだった。実力はそこそこあるというのは、印象で感じていたが、まさかこれほどの魔術を扱うとは思ってもいなかった。
 おそらく、魔術の力だけなら十五魔鏡の候補に入ってもおかしくないだろう。カインは、アルミナを見下ろしながら、口惜しそうに顔をしかめる。
 ――カインは知らなかったが、実際アルミナは一度、十五魔鏡の時期候補になっていたことがあった。しかし、その時彼女は丁度復讐が終わったばかりで、そういうことに構う気がまったくなかったのだ。
 アルミナの『魔法』は復讐のためだけに作られた術だった。収束し、一点を集中して突くための術。並大抵の防御ならば障子紙のように突き破ることを目的に作られたため、カインが驚くのも仕方なかった。
 ちなみに、そもそもアルミナがジェニファーの世話役として指名されたのには、彼女の『風』の魔術が他に類を見ないほど強力だったからなのだが、そのことはアルミナ本人ですら知らなかったことである。
「……だが、それでも魔術だけ、だ」
 厳しい表情で、カインは呟く。
 それだけの実力を持っていたアルミナだったが、所詮は魔術の力のみ。戦闘技術そのものはカインには遠く及ばない。そうでなければ、例えあらかじめ重傷を負っていたとしても、始めから相打ちを狙おうなどとはしなかったはずだ。
 カインはアルミナの顔に手を触れる。役目を終えた魔術師。それに対して、最後の言葉を送る。
「――『散り行くものへ。久遠の墓標を』」
 地が窪む。
 アルミナの体を中心に、穴が出来る。両側に盛り上がった土が、どんどん上からアルミナを覆っていく。
「せめて、安らかに眠れ」
 そう言い捨てて、カインはきびすを返し、ジェニファーの向かったほうへ走り出す。
 急がなくては。

◇◆◇

 戦況は劣勢だった。
 そもそもジェニファーは、術系統的に後方支援の役割が強いのである。一対一や多数対多数の戦いならまだしも、一対多数の戦いは不利以外の何物でもないのだ。
 木の間を縫うようにして、相手の銃撃を避ける。一番手間取っているのはやはり拳銃を手にしている敵だ。槍使いと大剣使いは、二人同時に来ない限りは対応に困ることは無い。体術においては、一対一なら互角。それをこの短い間にどうにか把握した。
「……でも、互角じゃダメ」
 一対多数で真っ向から敵を倒すには、跳びぬけた強さが必要だ。それが無い以上、真正面からぶつかるのは無謀以外の何物でもない。
 だとしたら何らかの戦略を立てなければならないが、彼女に戦術の幅がそれほどあるわけではない。一対一の体術ならば、昔日本語を習うのと同時に乙池件から教わったりしたが、戦術という意味で何かを教わったことは無い。この森という地形を利用しようにも、なんらアイデアが思いつかないのだ。
 ……としたら、残る手段は一つ。
 ジェニファーは後ろに意識を傾ける。依然、敵はジェニファーをしとめるために近づいてきている。あの三人をいっぺんに相手にするには、『魔法』を使うしかない。
 しかし、あれは……
「っ!」
 ほとんど反射になってきた回避動作で弾丸を避けたところで、避けた弾が木に当たり爆発し、ジェニファーの行く手をさえぎった。
 強力な爆風。それに飛ばされるようにして反対側の木に叩きつけられる。
 痛みに顔をしかめる。木にぶつかった衝撃以上に、すでに食らっている傷に響く痛みの方が酷かった。
 しかし、痛みに動きを止めている暇は無い。すぐに、大剣を持った人物が背後から木ごとジェニファーを叩き切ろうと大剣を振ってきた。
 とっさに杖で防御しようとする。が、大剣の横薙ぎの攻撃に、防御ごとたたき飛ばされてしまう。体の軸が揺さぶられるような衝撃とともに、再度体が宙を舞う。
 ――もう、無理だ。
 だんだん攻撃を食らう階数が多くなってきた。このままいけば、詰まれるのは時間の問題である。逃げ切ろうにも、体力がいい加減限界に近い。
 幸い、今の攻撃で丁度いいくらい距離が開いている。呪文の詠唱をするくらいの距離は取れているはずだ。
 ――魔法を使おう。
「『弱き臆病な子供たち。怯えて震えよ子羊たち』」
 立ち上がりながら、ジェニファーは正面を向いて唱える。
「『力の差に絶望せよ。才能の差に恐怖せよ。地を這い天を見上げよ』」
 もう逃げたりしない。しっかりと相手の目を見て、自身の術を実行する。
 銃撃が聞こえる。散弾した弾がそれぞれジェニファーの方へ収束するように迫ってくる。が、照準が狂ったのか、それらはジェニファーの脇ギリギリのところを逸れていく。
 それを見送りながら、ジェニファーは詠唱を続ける。
「『強きものに怯えよ。脅威を抱き、物陰で震えよ』」
 槍と大剣をもった二人が、両側から迫ってくる。
 その様子を悠然と眺めながら、その二人に言い放つようにジェニファーは最後の言葉を唱える。

「『私は強いぞ。それを知りつつ歯向かうか?』」

 ジェニファーが唱え終わるとほぼ同時に、両側から二つの刃物が振り下ろされる。
 戦況としては、敵の方が圧倒的に優勢なのだ。このまま責めれば、ジェニファーは簡単に倒されてしまう。
 だというのに、何故か手に得物を握っている二人は、その手を止めてしまった。
 攻撃を、止めてしまった。
 その時の二人の様子はというと、顔は青ざめ、額には玉のような生汗を浮かべていた。まるで、ジェニファーに少しでも攻撃をしたら、一瞬で殺されてしまうのではないかという恐怖を持っているように、苦しそうな形相。
 そんな二人の様子を、ジェニファーは冷静に観察する。まるで、実験動物を見る研究者のように。そして、次に手に持った杖を振り回し、二人を弾き飛ばした。
「――――っ!」
 叫ぶような声を聞き、拳銃を持つ方へ視線を移す。
 ほぼ同時に、パン、という、もう聞きなれた銃声。
 回避動作などは、まったく取らなかった。
 ただ、相手の目をしっかりと見つめていただけだ。
 それなのに、銃弾は当たらない。
 ジェニファーの体を少しだけ逸れ、銃弾は通過する。
「無駄よ」
 どうせ理解できないだろうが、ジェニファーはわざと日本語で言う。
 愕然とした相手を、冷めた目で見つめながら。
 ジェニファーの魔術は、精神を基にした術である。暗示を基本としているために、その利用可能範囲は多岐にわたる。
 その上で彼女が自分で作り上げた『魔法』は、相手に無意識の束縛をかける術だ。
 呪文が聞こえた。
 槍を持った男が、長い詠唱を行っている。
 そして、それを完成させるための囮として、大剣を持った男がジェニファーの前へとおどりでる。その剣の重量を存分に利用した大振り――しかし、それは何度も見て分かっている。この剣は、その大きさゆえに、攻撃の動作が酷く限られるのだ。
 それゆえ、避けるのはたやすい。
 が、それは相手もわかっていること。それでもわざとらしく大振りをしてきたのは、おそらく攻撃を次につなげるため。
 大剣を振り下ろす勢いのまま、体を伏せる男。彼が伏せると同時に、開けた視界に映ったのは、引き金を引く残り一人の姿。
 その動作の一つ一つを、ジェニファーはまるで観察するように冷たい瞳で凝視する。
 そんなジェニファーの様子に動揺したのか、銃撃の照準が狂い、弾丸が目の前に伏せている男に当たってしまう。
 被弾により苦しそうにうめく男に、ジェニファーは容赦なく杖を振り落とす。「ぐぇ」という耳障りの悪い声とともに、彼は意識を失った。
 間を置かず、すぐに正面を向く。
 槍を持った男の術がそれと同時に完成する。男は術を叫びながら、手に持った槍を思いっきり地面に突き刺した。
 青白い光とともに、魔術が発動する。
 はずだった。
 おそらく、槍使いにとってその術は切り札に近いものだったのだろう。だからこそ、あとの二人がその術を完成させるための十数秒の時間をすぐさま稼ごうとしたのだ。その行動に見合うだけの威力があったに違いない。
 しかし、例えどんなに強力な術であっても、発動しなければ意味は無い。
 引きつった表情を浮かべ固まる槍使い。
 槍は、青白い光を一瞬放ったきり、まるで何もなかったかのようにそ知らぬ顔でそこにある。魔術具でもなんでもない、地面に刺されたのはただの槍。ある意味滑稽なその様子に、槍使いは驚愕を隠せない。
「『無自覚な服従(アンコンシャス・スレイヴ)』」
 ジェニファーは小さく自分の魔法の名前を呟く。
 そして、悠然とその場に立ち続ける。
「これで終わり? 随分とあっけないのね」
 今度は、相手も分かるように英語だ。わざと自分の方が有利であるかのように振舞う。
 これは暗示なのだ。
 相手に、自分には勝てないと思い込ませるための動作のほんの一部。今まで積み重ねてきた数多くの暗示のうちの一つ。
 この魔法は、簡単に言えば強力な暗示を相手にかけ、その行動を制限するというものだ。今まで敵の攻撃をことごとく回避したのは、すべてその『魔法』効果である。
 人は言いようの無い恐怖というものに弱い。底の知れ無い相手や、正体不明のもの。そういったものを前にしたとき、人の心は僅かながら揺れる。
 その性質を利用したのがジェニファーの魔法。敵は自分より強いのではないかという疑心を相手の無意識下に刷り込ませ、不用意に攻撃したら自分の方がやられてしまうという暗示をかける。そのために、ジェニファーに攻撃を仕掛ける瞬間、無意識のうちに逡巡してしまうのだ。しかもこのときに攻撃を止めてしまうのは、反射で行ってしまう停止動作のため、自分の意思でどうにかなるものではない。
 が、これも万能ではない。まず、ジェニファーは相手の行動を逐一チェックしなければならない。そうして、自分に害が及ぶ動作のみを停止させる。あくまで精神操作ではなく暗示なので、相手の動作はジェニファー自身が把握していなければならないのだ。
 そのため、この魔法を使うときジェニファーは精神的にかなり消耗する。その代わり、術式的に魔力自体はあまり消費しないのだが。
「だったら、今度は私のほうから行くよ」
 ――だから、できることなら早めに終わらせたい。
 相手が呆気に取られているうちに、ジェニファーは一気に敵の目の前まで攻め込む。
 しかし、杖を振るおうとしたところで、横から強い衝撃とともに杖が弾かれた。それに驚き、思わず立ち止まる。
「そこまでだ。ジェニファー」
 続けて、平坦な静止の言葉。
「…………」
 声の方を見る。
 木の上に、カインが立って腕をこちらに向けているのが分かった。彼の周りには、すでに泥の弾丸が準備されて浮遊している。
 その姿を、ジェニファーはただ静かに睨みつける。――睨みつけることしか、今の彼女には出来なかった。
 つけ込むように、カインは続ける。
「お前は俺が止める」
「…………」
 鋭い視線が、何度も何度も交差した。


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西織

Author:西織
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