空っぽの知識
 かたよりまくった読書くんの日記
『運命論 《読了者》の世界』
 自作小説アップ。今回の作品は、ラ研の冬祭り企画のときに書いたものです。

 もともとは別の話があって、それの外伝というつもりで書いたのですが、本編の方がまったく進まないという最悪な状態に。っていうかどうも僕は長編を書くだけのスキルを残念ながら身に着けていないようです。

 まあ、何はともあれ。『《読了者》の世界』。安曇梓紗シリーズの第一作目。二作目はいつになるかは分りませんが、とりあえずどうぞ。




 『運命論 《読了者》の世界』


 運命。宿命。因縁。巡り会わせに回り合わせ。もっと言うなら星回り。英語で言うとしたらデスティニーにフェイトとでも言えばいいだろうか?
 さっきまで私が対面していたあの男は、全てにおいてこれらの言葉に振り回され、そして囚われていた。自我もなく、自己もなく、自意識も持たず、意思すら持たず。ただ自分を運命の一つのパーツとして捕らえていた。
 定められた物語。
 決められた未来。
 彼に言わせれば、誰もがそれらに従って生きている。
 例えば、私の夢。
 あの夢でも、やはり運命の一つに割り当てられるのだろうか?
 ……いや。
 調子に乗ってはいけない。運命というのは、そこまで面倒見がいいものでもないだろう。確かに私の、荒唐無稽で笑止千万失笑物の片腹痛いあの馬鹿げた夢は、運命に干渉しかねない勢いを持ってはいたかもしれないが、それは結局夢の力であって、私の力ではない。私個人に限れば、運命に干渉するまでの力も勢いもなかった。
 そう、彼の言葉で勢いを失うほど、私個人は弱い。
 そして、私の希望を失わせるほど、彼は恐ろしい……。
 ――彼の名前は、廻谷柩。《神に見捨てられた子羊》。《輪廻の外》。《運命の例外》。《無言の棺》。そして、《読了者》。数々の肩書きを持つ、必ず当たる占い師の彼に、見えないものなどない。
 ただ、彼と対面した今でも、この私、安雲梓紗は、運命など信じない。



「安曇梓紗さん、ですね。はじめまして。余は廻谷柩といいます」
 私が名刺を渡すと廻谷柩はそう自己紹介してきた。
 ここは彼の店である。少しレトロな感じの漂う静かなバーだ。店の名前は、確かどこかの小説の題名と同じだったと思うがよく思い出せない。
 今の時間は、日付が変わって間もない午前一時。こんな時間に仕事をしなければならないなんて本当に憂鬱だったが、編集長の命令だし仕方がない。廻谷の希望らしいが、まったく何を考えているのだろう?
 それはいいとして、私は彼の目の前に腰掛ける。廻谷はというと、私の前に水の入ったガラスコップを出すと、カウンターに肩肘をついて私を見つめてくる。なんとなく癪に障り、私も負けじと見つめ返す。実年齢より少し老け顔。しわの寄った目は、やさしげに微笑んでいる。彼の何を見ているのか分からない瞳は私の姿をただ映し出す。
 透き通った、ビー玉のような目。
 ――思わず、固まってしまった。
 ……な、なんて、綺麗な目なのだろう。まるで、全てを見通すような――それでいて何も映さないかのようにその目は透き通っている……。私は、引き込まれるようにその目を見つめる。
「午前零時から、今日一日」
「え?」
「今日一日、鉄に注意です。鉄によって危険な目にあいますよ。安曇さん。――ま、それはいいとして、取材、とは一体なんでしょうか?」
 私は、当初の目的も忘れて彼を見つめていた中、突然そんなことを言われてビックリする。少し引っかかるものがあったが、当初の目的も忘れて彼に見惚れていたことを恥じつつ、仕事の話を始める。
「あなたは、巷で《必ず当たる占い師》と呼ばれているそうですね。それについて、取材しに来ました」
「《必ず当たる占い師》。――ふふ。言いえて妙、ですね。そうか、そんな風にも呼ばれていましたね。まあいい。では、一体何が聞きたいのです? 余に答えられる範囲でなら、何でも答えられますよ」
 そう、廻谷は楽しそうに言う。いや、どちらかというと面白そう? その笑みは人を馬鹿にしたような笑みに見える。『余』という一人称も、ここに限っては、酷く馬鹿にされているようにも感じてくるものだ。……でも、何がそんなに面白いのだろう?
「……では、まず具体的に、あなたはどんな占いをするんですか?」
「『どんな占い』とは、どういう意味でしょう?」
「どういう意味、って、……その、未来を必ず当てる占い、というのはどういう意味なのかという――」
「ふふ。占いとは何か。そんなの、占いに決まっているではないですか」
 彼は、わざとらしく言ってくる。顔には含み笑いが張り付いている。いやらしい、まったくもって小憎らしい笑み。……おそらく、分かって言っている。私がどういうことを聞きたいのか分かった上で、私の反応をうかがっている。
 ――意地の悪い男め。
 ふつふつと対抗心が沸いてくる。私はこれでも結構短気な性格なのだ。
 廻谷を睨むように見る。それに対して、彼は飄々とした笑みを浮かべている。それは、人をイライラさせるような笑み。神経を逆なでするとは、まさにこのことだろう。
本当は、編集長からの命令でもあるので、おとなしく聞くべきことを聞いたらさっさと帰ろうと思っていたのだが、気が変わった。そっちがその気なら私のほうも少し本音を出してみようか。
「……要するに、あなたはどんなペテンを使って多くの人から金を巻き上げているのかって聞いているんですよ。廻谷さん」
「はは、ペテン、ときましたか。なかなか、率直に言いますね」
 そう、廻谷は何でもないことのように言う。……言われ慣れているのか。まぁ、私みたいに占いなんて信じていない人も多いから、それもそうだろう。ただ、私は彼の反応があまりにも普通だったので、少し拍子抜けしてしまう。
 廻谷が続けてくる。
「確かに、余がやっていることはペテンに近いかもしれません。ある意味では、ズルして《答え》を知っているようなものですから。――ふふ。具体的に言え、って言いましたよね。では、種明かしをしましょうか」
 そして廻谷は、一呼吸置いた後、《答え》を口に載せる。

「余には、運命が見えるのですよ。安曇さん」

「…………は?」
 思わず間抜けな声が漏れる。いきなり、何を言い出すんだ?
 廻谷に対する印象が一気に不信のそれに変わる。この人は、こんなことを言う人だったのだろうか?
「その様子だと、余のことを信じていませんね。いや、『信じていない』というよりは不信がっていますね。ふふ。悪くは無い。悪くは無いですよ。むしろ十全です。相手の言うことを全て信用するような人を、余は一番嫌っているものですからね。まぁ、いい金づるにはなりますが」
「…………今、さらりと出た本音は記事にしてもいいのですか?」
「おっと、失礼。その辺はカットでお願いします」
 記事にすることにしよう。
 私は密かにそう心に決めると、話を戻す。
「『運命を見る』というのは、どういう意味なんですか?」
「そのままの意味です。余には、古今東西、全ての人、そして、全てのことの運命が見えます」
「全ての人の?」
「全ての人の」
「ここに居ない人のも?」
「ここに居ない人のも」
「私の運命も?」
「あなたの運命も、です。安曇さん。ただ、自分で言っておいて難ですが、《運命》を《見る》というよりも、《運命》を《読む》といったほうがいいでしょう」
 廻谷は、優しげな笑みを浮かべる。
 対して、私の顔には笑みは笑みでも苦笑いが張り付く。
 ……だ、駄目だ、メタだこいつ。
 誰かが言った。信じることは自由だと。
 思想の自由。転じて信仰の自由。誰が何を信じようと関係ない。
 もちろん私が、その話に乗るかどうかも。
――つ、付き合ってられるか。
「で、ではこの辺で私は帰ります。ご協力ありがとうござい」
「待ってくださいよ。安曇さん」
 カウンターから廻谷の手が伸びてきて、私の襟をつかむ。
「待ってくださいよ」
「いえいえ! もう本当に十分です。ってか放してください! お話はこれ以上ないくらい十分ですから。いえ、それどころかあなたの並々ならぬお話は、十分な上に十二分で十全で充足で満足なほどみっちりたっぷり心行くまで思う存分聞きました! というよりも、お願いですからむしろこれ以上話さないでください。馬鹿がうつります」
「馬鹿はうつりませんよ。安曇さん」
「って、そこに反応するの!?」
 予想外のセリフに、思わず私の方が突っ込む。
 自分の信じるものを否定されたことに突っ込めよ。
「わけの分からないことばかり言うんですね。――ふふ。要は、余の《力》を信じていないのでしょう? 分かりました。では、証拠を見せましょう」
「って、何を――」
 廻谷が私の手をつかんでくる。振り払おうとするが、ずいぶんと力が強い。こんな、ひ弱そうな男のどこにこんな力が……。結局振り払えず、しばしの間。
「へぇ、明日、……というよりも、今日。午後一時からは彼氏とデートですか。ふぅん。いいですね。青春していますねぇ、まああなたは二十六歳ですけど。ま、結構なことですよ。……店は、駅前のファーストフード店。彼氏は、……へぇ、結構律儀な男ですね。全額払っていますよ。えっと、名前は、鬼塚俊彦。というのですね」
「…………な、何故知っている」
 なにか、背筋に冷たいものが流れる。寒気が、私を襲ってくる。なんだ? この寒気は。一瞬にして回りの温度が下がったような気がした。
 なんで、彼の名前まで……。
 言いようの無い畏怖感が、私を包む。
「ふふ。だから言ったでしょう。《運命》が読めるって。ちなみに、本当は過去も見ることが出来ますよ? 例えば、昨日、……む、一昨日、…………むぅ。なんか、ずっとデスクワークしていますね。ふむ。まったくもって面白みのない。……お、一週間前にどこかに取材に行ってますね。どれどれ。多重人格の取材ですか。ふむ。って、え? 水方姫月? ――へぇ。真夜のところに行ったんですか。と、いうことは、もしかして余のことも、真夜から多少なりとも聞いているのではありませんか?」
「………………」
 一週間前の取材のことまで全て知られてる……。
 まあ、ここに来たのは、確かに水方真夜の紹介があってのことだから、多少というくらいのことは聞いてはいる。
 ――柩は、恐ろしいよ。
 ――彼は、全てのことを知っている。
 ――誰もが苦労して手に入れるものを、一瞬にして手に入れる。
 取材先の、多重人格少女、姫月ちゃんの父親、水方真夜が廻谷柩について言ったことだ。
 恐ろしい、恐ろしいと、ただそれだけ言う。
 正直、私は彼がそういうことを言う人だとは思わなかった。水方は、なんというかいつもふてぶてしく笑っていて、どんなときでも弱気にならないような人だと思っていた。実際、水方の恐ろしさは身を持って体験したからこそ言えることだ。そんな彼が、唯一怖いという相手。
 水方真夜は、廻谷のことをしきりに《例外》と呼んだ。
「――《運命の例外》」
「はい?」
「《輪廻の外》。《神に見捨てられた子羊》。《必ず当たる占い師》」
「………………」
「あなたが呼ばれている名前です。廻谷さん」
 私が言うと、廻谷は少し驚いたように私を見てくる。意外だったのだろうか? まあ、この程度のことで驚いてもらっては困る。私が調べたことはこの程度ではないのだから。
廻谷のことを知っている人間は誰もが同じ事を言う。取材の過程で、それがよく分かった。……あの多重人格少女の中で一番ふてぶてしい子ですら、同じ事を言ったくらいだ。
 あいつは、恐ろしい、と。
「ふふ。よくもまぁ、四つもの通り名を調べ上げられたものです。まぁ、《運命の例外》については水方に聞いたのでしょうが」
「……あなたと出会った人間は、例外なくあなたの《力》を信じている。あの、水方真夜でさえも。そこが、とても不思議だ。――ねぇ、廻谷さん。さっきのもそうですが、あなたは一体何をやっているんですか?」
「何をやっている? 余は特別なことはしてませんよ。ただ、やるべきことをやっているだけです」
「……ここからは、とぼけないでいただけませんか? これは真剣な話なのです。ごまかす気はありません」
 キッと廻谷を睨みつける。
 対して廻谷は、私の真剣さを感じ取ったのか、その含み笑いを引っ込めて無表情へと変わる。
 その表情は、無表情というよりも能面のよう。
 生命感の無い、人形のような顔。

ゾワリ。

 また、だ。
 また、寒気が私を襲う。
「余のほうも、真剣ではありますよ。なんでもない。ただ余は、定められた運命を読んで、伝えている、ただそれだけなのです。そしてそれは、定められているがゆえに必ず起こる。だから、余は《必ず当たる占い師》と呼ばれているのでしょう」
「いや、だから、『運命を読む』というのが私には納得いかないのです」私は寒気を振り払うように彼に言う。「運命、未来、過去。いろいろ言いますけど結局は存在しているようで存在しないものではないですか。見ることなんて出来るわけがない。そんなもの、私は信じるわけにも、認めるわけにもいかない」
「ふふ。『存在しているようで存在しないもの』。まったく、言いえて妙です。というよりも、ど真ん中ストレートってところでしょうかね。必要なことを全て絞り出したような感じだ。本当に的確。安曇さん。あなたは頭もいいほうのようですね」
「それはそれはありがとうございます。私、人生二十六年生きてきた中でそんなこと言われたのは初めてです。で、話を戻しますが、私の主張は、《運命》なんて信じない、です。もちろん、それに加えてあなたの《力》も。それで、あなたはどう反応しますか?」
「『あなたはどう反応しますか?』ね。ふふ。自分の手札を一度全てさらしてから、相手の反応を見る。うまい方法です。姫月のときもその方法でしたのですかね? でも、一番感情の強い有月ならどうにかなるかもしれませんが、一番聡い愛月あたりだと難しいんじゃないですか?」
「……はぐらかすな、ってさっき言いましたよね」軽口をたたく廻谷に、嫌気がさしてくる。ああ、ほんとに捨て札を切ってやる。「――いい加減にしてもらえませんか? 私は本気なんですよ。だからあなたも本気になってください。……それとも、ここまで言わないと本気になりませんか? ねぇ、――廻谷、嗣火(つぐか)さん」
「――――っ」
 一瞬、私がその名を口に出したまさにその一瞬、廻谷の表情が驚愕のそれに変わる。
 彼に張り付いた仮面が、わずかにずれる。
 読み通り。やはり、ここが彼の弱み。
 だったら、ここは畳み掛けて私のペースに引き込むほうが得策。
「廻谷嗣火。19XY年、島根県松江市で、廻谷嗣都と廻谷夢子の間に生まれる。現在四十一才。家は裕福で、何不自由ない生活を送っていた。二十五年前、あなたが十六歳のときまでは」
「………………」
「廻谷嗣都、享年四十四歳。廻谷夢子、享年四十七歳。死因は鈍器による撲殺」
 ここで、廻谷の表情を確認。……変化は、なし。反応が薄い。まだ付け入り足りないようだ。でも、まだ大丈夫。ここまで、言ってしまえ。
「――廻谷嗣火、享年十六歳。死因は両親同様撲殺」
「……ふぅ」
 廻谷がそこで力を抜くように息を吐く。そして、今までとはまた違った、冷ややかな視線を私に向けてくる。その瞳はまるで、観察するような、研究者のそれ。
「どうしました? 続けてください」
「あ、ああ、はい」私は一瞬あっけにとられつつも、話を続ける。「彼らのほかにも同時間に三人の人間が亡くなっています。全員の共通点は、隣近所に住んでいたということと、死因が鈍器による撲殺であったということ。そのほかにはほとんど共通点はなかった。まぁ、近所付き合いぐらいはあったと思いますけど」
「……まだ、続けることが出来ますか?」
「お望みならば」廻谷の質問に、私はすぐに答える。「例えば、あなたの家族以外に亡くなった、三人の名前。浅月柚葉。真白和馬。弓川要。この三人のプロフィールも言えますが、長くなるのでとりあえず省略します。これに、廻谷一家を加えてこの事件の被害者六名。彼らは、完全に死んでいた。これは、事件の調査に当たった警察の方に直接聞いたので確かです。しかし、おかしなことに、一人だけ。一人だけ、生きていた」
「………………」
「それがあなた。廻谷嗣火。その名を持った者は、今現在、廻谷柩と名乗っている」
「……さすが、ですね。安曇さん」
 そう、廻谷は少し低いトーンで私に話しかけてくる。脱力したようにも見えるし、何かを抑えつけているようにも見える。正直、ダメージがあるかないかは、まだよく分からない。
 彼はスッと目を細めると、優しげな声で私に話しかける。
「まったく、廻谷嗣火のことをそこまで調べることが出来たのは、あなたが三人目です」
 一人目では、ない? ……他に、調べ上げた人間がいるって事か。
 まあいい。過去に誰が調べていようが関係ない。大切なのは『今』だ。今は、話を続けよう。
「あなたは、あまりにも不審すぎたのですよ。だいたい、名前が『柩』ってところからおかしい。『柩』っていう漢字の持つ意味は、『棺を乗せる車』すなわち、霊柩車のこと。どこの親が子供にそんな変な名前をつけますか」
「まぁ、そうかもしれませんね。でも、少なくとも余は気に入ってますよ」
「気に入っていようが無かろうが関係ありません。……しかし、「嗣火」を「つぐか」ではなく「つぎひ」と読んでのアナグラム。「ひつぎ」。まったく、言葉遊びというかなんと言うか。しかも、名前はそんなに変えているのに、苗字だけは変えていない。そんなところが、あなたらしいと言えばあなたらしいようにも思えます」
「ふふ、まぁ、戸籍上は実際どうなっているか分かりませんけどね。あの事件のとき、新聞では一応、死亡ってことになっていましたから、案外もう死んだことになっているかもしれないですけど」
「ええ。調べたところ死亡になっていましたよ。しかし、結構そういうところ甘いんですね。日本って。あんなに軽々しく死亡を掲載するんですから。現に、今ここでその死んだはずの人間が生きているのに」
「へぇ。あなたは何でも知っているんですね。驚きですよ」
「どっかの小説のキャラじゃありませんが、全部なんて知りませんよ。私が知っていることなんて、ほんとにごくわずかです。ただ、知らないことがあれば調べるだけですけど」
 私は彼を見ながら言う。
廻谷柩、いや、目の前の男、廻谷嗣火は生きている。それは現実だ。
 一体何があったのかは、時間が少なかったから結局全てを調べ上げることができなかった。でも、事件の詳細などの概要だけは知ることができた。事件に当たった担当の刑事は、確かに死体を確認したという。そりゃあ、頭が潰れていれば確認できないことがあるかもしれないが、嗣火が殴られたのは肩の部分だったという。どんな鈍器を使って、どれだけの力がかけられたか分からないが、右肩の方から半身が、ぐしゃりとでもいったように潰されていたらしい。それなら間違えは無いだろう。
「で、こんな話をして、一体余に何が言いたいのですか? 安曇さん」
 静かな、それでいて含みのある声が聞こえる。いつのまにか、廻谷の表情には余裕が戻っている。まったく、ぬけぬけとこの男は……。
「私に、ごまかしは利かないって事を言いたいだけです。私は、その気になれば何でも調べ上げて見せます。例え、殺されたはずの人間が生きていたという事のからくりでも。または、必ず当たるという占いの種でも」
「ふふ。ずいぶんと、情報調査に自信があるようですね。確かにあなたになら、余が生きているわけも調べ上げることができるかもしれません。……しかし、あなたがどれだけ優秀だろうと、余の《力》の事は分かりはしませんよ。運命を信じるか信じないかはその人の勝手ですが、運命を信じていない者に、余の《力》は理解できない」
 きっぱりと言い切る廻谷。そこに、見栄や誇張があるようにはうかがえない。彼はただ、本当のことを言っているに過ぎない。そのことが、彼の言葉から痛いほど分かる。
「……そもそも、そんなに、あなたの言う《運命》というのはすごいものなんですか?」私はイライラする気持ちを抑えながら問いかける。「《運命》。そんな言葉、使用頻度が特別少ないというわけではないですし、はっきり言って確実性も何もない、ただの人間の創作物ではないですか。さっきも言いましたが、私はそんなもの認められない」
「へぇ。安曇さんは現実主義者なんですね。夢も希望もない。悪いとは言えませんが、そんな感じで毎日楽しいですか?」
「なんとでも言ってください。所詮、私は夢が無意味だと知ってしまった人間。そんな人間に、夢を信じろというほうがおかしいじゃないですか?」
「はは、まさか開き直るとは。『夢が無意味だと知ってしまった』。でも、そんな風に言うってことは、まだ捨てきれていないんでしょう? ――ふふ。つまり、あなたは『蘿蔔むつみ』というわけですね」
「って、いきなりそんなネタ出されても……」
「ついでに言うと、余は『椎塚鳥籠』ですね」
「や、それだけは認めないっ」
 あんたほどよくしゃべる奴が『鳥籠』なわけないだろ。絶対『逆島あやめ』だ。
 ってか、分かる奴しか分からないようなネタ使うな。
「ん、失礼な。余はこれでも一部では《無言の棺》と呼ばれてるんですよ」
「なんかさらりと肩書きが増えましたね。……しかもなんかリアルに嫌だ!」
 《無言の棺》。要は死んでんじゃねぇかよ。
「ああ、気づいたらなんかいつの間にか話しがずれてるしっ。早く戻してくださいっ」
「そんなこと言わないでくださいよ。これから余に付けられた通り名を、ざっと十ほど話そうと思っていたのに」
「十も通り名付けられるなんてどれだけ奇人なんですかあなたは!?」
「奇人? 真夜なら奇人じゃなくて変人ですよ?」
「って、え? あ? ああっ、もうっ! どっから突っ込めばいいのかもう分かんない!」
 なんなんだこのノリは?
 この馬鹿占い師っ。
 暗殺者にでも殺されて死んじまえっ。
「もう、安曇さん。そんなに壊れちゃって。それだから変人って言われるんですよ」
「言ってるのはあなただけです!」
「はいはい。分かりましたよ。話を戻しますから、落ち着いてください」
 なんか子供をなだめるかのような言い方された。
 しかも、ついでで話を戻された。本当にどうでもいいかのようだ。
……はぁ。なんだかこの人と話しているとかなり疲れる。
 でも、これでやっと話を戻してもらえる――
「そんなに余の過去を調べるなんて。要は安曇さん、ドSなんですね」
「………………」
 そういうわけではないのだが。
「でも、余のほうもSなんですよ」
「………………」
 知らねぇよ。
 ってか、あなたはどこまで話を戻したんだ?
「そこで、余のほうも、安曇さんにお返しをしましょう」
「……何の、ですか?」
 私は合いの手として、とりあえず尋ねる。それに対して、廻谷はというと、にっこり優しげな(怪しげだが)笑みを浮かべると、淡々と話し出す。
「安曇梓紗。19XX年、6月10日、大分県に誕生。一歳三ヶ月のとき、初めて歩き出す。二歳一ヶ月で、初めてしゃべりだす。三歳になってから、保育園に通いだす」
「――――」
 だからなんで知っている。
 調べる時間は、――どう考えてもないよな。
「五歳のときに、初めて取っ組み合いの喧嘩をして勝利。おとなしいイメージがあったのだが、隠れた才能判明」
「……私も覚えていないことを」
 私はそんな事を本当にやってたのか?
「そして、記念すべき八歳二ヶ月。二年生のときのことです」
「何が、あったんです?」
 ちょっと聞くのが怖いが、とりあえず相槌を返す。
 対して廻谷は、なぜかとってもいい笑顔になる。
 ぞっとするようないい笑顔。それはまるで、極上の蜜でも舐めたかのような、いやらしい笑み。
 その笑みのまま。彼の口がゆっくり開く。
「あなたの人生最後のおねしょです」
「…………にっこり」
 神速とも言える速度で、私の右手が彼の頬に当たる。
 パンッという乾いた音が店内に響き渡った。後に残るのは虚しい残響。
「い、痛いですね。安曇さん」
「だ、黙れ馬鹿! 何でそんな事知ってんだ!?」
「だから、運命を読んでいる、と」
「だからと言って、わざわざそんな事を言わなくてもいいじゃないですか!?」
「ははは。まぁ、そこはご愛嬌で」
「愛嬌でそんな事しないでくださいっ」
 ああ、せっかく忘れていた恥ずかしい記憶を思い出しちゃったじゃないか。
 なんてことしてくれるんだ。
「さて、話を続けましょうか」
「なんの?」
 ぬけぬけという廻谷に、自然、乱雑な口調になる。
 そんな私など、これっぽっちも気にせず、廻谷は話を続けやがる。
「十四歳のとき、初めてのキス。相手は一切年上の先輩、戸野裕也」
「………………」
 そうか。その話を続けるんだな。
 心の中で小さく嘆息する。まったく。しつこいというか何というか。レベルが小学生だ。でも、この小学生の嫌がらせというのは、意外とダメージが大きかったりする。例えそれが廻谷しか知らないとしても、そんなことがあったという記憶を思い出しただけでも本気で恥ずかしくて、首をくくりたくなる。まあ、そこまで廻谷が意図しているかは分からないけど。
 ん? ……って言うか、このまま続けていったら――
「十五歳のとき」
「とき?」
 嫌な予感がする。何だろう? 何を私は忘れている? もうすぐそこまで出掛かっているのだが、後一歩思い出せない。いや、思い出せないんじゃなくて、頭が思い出すことを拒否しているような感じがする。まさか、いや、そんな……。
 廻谷の口が動く。
 嫌な予感――
「初めてのセックス」
 ――的中。
 バコッ。
廻谷の言葉が終わるや否や、鈍い音が店内に響く。
 今度は拳を固めての攻撃。
 横薙ぎに、首を刈るようなフック。
 そのパンチで廻谷は後ろのワインボックスに激突した。――幸い、ワインのビンは一つも割れなかったようだが――激突しただけでは衝撃が収まらず、反動で跳ね返る。
廻谷が倒れる前に、彼の襟首をつかんで無理やり立たせると、首を絞めるように襟を締め上げる。
「し、死んでください! 即刻即座に即決に、数秒の間もおかずに責任とって死んでくださいこの馬鹿! なんて事を言いやがるんだ!」
 いっそのこと自殺しろ。
 それとも、刺殺してやろうか?
「ははは。ちなみに相手は淀川志都でよかったですよね?」
 いやぁ、しかし十五歳で初体験とは以外と度胸がありますねぇ、と、廻谷は私の剣幕にまったく動じず飄々と言う。
 プツン。
 何か、自分に課した枷が取れたような、自分に課した鎖がちぎれたような、そんな、自由且つすがすがしい気分がした。
 自分で言うのもなんだが、行動は早かった。枷が外れるや否や、私はテーブルの上に先ほど自分でおいたペンを手に取ると、瞬時に彼の目の前に――眼球に突きつける。
「………………っ!?」
 声にならない驚きの叫びを上げる廻谷。反射的に逃げようとしたようだが、それは彼の後頭部に添えられた私の右手によって不可能になった。彼の眼球と、ペンの間にある距離は僅か数センチ。少しでも左手に力を入れれば、彼の目は潰れるだろう。
 暫しの膠着状態。まるで凪でも舞い降りたかのように、店内が静まり返る。
「……廻谷、さん?」
 その沈黙は、私の押し殺した声で破られる。
「あなたがドSだということはよぉく身にしみて分かりました。もう疑いようもありませんね! つきましては、これから公開処刑をしたいと思いますが何か反論は!?」
「ま、まぁ安心してください。十六歳のときの事は言いませんから」
「ああっ、もう! やっぱそこまで知ってるんですか!? 一体なんなんですあなたはっ!? ……もしその事を言ったら、……ほんとにこのペン刺しますよ」
 できるだけ、声を落として威嚇するように言う。自然、左手のペンに力が入る。危ない。このままじゃあの悲惨な記憶まで言われかねない。いや、それどころか、この様子だとあの馬鹿馬鹿しい夢だってばれているだろう。それまで言われたら、私は終わりだ。
 私の本気が伝わったのか、廻谷は引きつった表情でコクコクと小刻みに首を縦に振る。……正直言うとまだ言い足りないが、とりあえず放すことにしよう。
 廻谷の拘束を解くと、彼は襟を正しつつ仕方がないとでも言うように言う。
「ふぅ。まったく。安曇さんは本当に乱暴ですね」
「……なにか、言いましたか?」
「安曇さんは獰猛なんですね」
「って、言い直してさらに酷くなってる」
 意味が分からない。
 まだ喧嘩売ってるんだろうか?
「まぁ、それはいいとして」
「一体何がいいと言うんです?」
「余の気が済みました」
「って、やっぱただの仕返しかよっ。そんなに私いじめて楽しかったですか!?」
 そう、全力で叫んでからふと我に返り気づく。
あれ? 相手のペースに引き込まれてる。
 気づいてから愕然とする。一度自分のペースに引き込んだはずなのに、こんなに簡単に主導権を奪われるとは……。
 ヤバイ、自分のペースに戻さないと。
 そう思うのだが、今の状態だとまともな事を言えないような気が……。
「さて、いい加減無駄話はやめて、余の《力》についてでも説明しましょうか」
 ……この男、何事もなかったかのように話を戻しやがった。
「そもそも《運命》というのは、一言で言ってしまえば《物語》なんです」
「……ほんとに何事もなかったように続けるんですね」
 まぁ、《力》については編集長のほうからも聞いて来いと言われているから、都合はいい。とりあえず素直に聞いておくことにしよう。
「物語は、世界の存在理由。世界にとって一番大切なもの。余の《力》の中で《未来を読む》というのは、要するに小説のあらすじを読むようなもの」
「はあ。そうですか」
 要は、アカシックレコードでも読むものなのか。そう、私は小さく呟く。
「いえ、違いますよ」廻谷が、私の呟きに反応する。「アカシックレコードは、完全な、人類の過去から未来までの、意識上にのぼる《歴史》が刻まれているという考えです。ですが、余は完全なものなど見ることができない。《あらすじ》しか読めないんですよ。それに、余はアカシックレコードなんて信じてません」
 きっぱりと断言する。そこに、迷いがあるようには思えない。
 いや、……っていうか、それだと自分の理論もあやふやになるんじゃ……。
「アカシックレコードは、預言者の代名詞みたいなものじゃないですか?」
「余は別に預言者じゃありませんよ。そんな高等な存在じゃない。ただ、ちょっと一般という枠を踏み外してしまった、ただの人間でしかありません。そんな、広大な宇宙の果てにあるとか言うデータバンクにアクセスするほどの干渉力はありませんよ。っというより、まずその存在自体うそ臭いじゃないですか。アカシックレコードって」
「…………」
 少なくとも、あんたにだけは言われたくないと思う。
 まあいいです、と廻谷は呟くように言うと、話を無理やり元に戻す。
「――そして、もう終わってしまったもの。もう読んでしまったもの、つまり、《過去》に関して、余は完全な本編を《読む》ことができる」
「えっと」私は相槌として、質問して確かめてみる。「つまり、《未来》は完全に定まってはいない。大筋は出来ているけど、細部までは決定されていない。そう考えていいんですか?」
「へぇ。よく、これだけ端折った説明で理解しましたね」廻谷はというと、驚いたような表情で言ってくる。「理解が早い。やっぱりあなたは頭がいいようですね。話が早くて助かる」
「お褒めていただきありがとうございます」
 嫌味っぽく言ってみる。反応は、――ほとんどなし。いや、今のは私が馬鹿だっただけか。
「安曇さんの言う通り、《未来》というのは厳密な意味では定まっていません。しかし、それでも《あらすじ》だけは作られている。それを余は読むわけです。これが、何を指すか。あなたなら分かりますよね?」
「……つまり、未来は、多少の誤差はあれども基本的には変わらない。そう言いたいんですか?」
「その通り。まったく、話が早い」廻谷はとても満足そうだ。「そう、『未来は可変だ』とよく言われますが、そんなことはない。未来は、結局のところ変わらないんですよ」
「でも、それだったら」私は逡巡しつつも無駄に反論してみる。「それだったら、人の全ての行動は、自分の意思ではなく《運命》に従っているだけ、という事になりますよね?」
「まぁ、概ねよし、です。でも、正解ではない」
「何が違うと言うんです?」
 そう私が尋ねると、廻谷は「ちょっと待ってください」と言ってカウンターの下にもぐりこむ。そして、何かを探し始めた。
「あったあった。これです」
 廻谷が差し出したのは、一組のトランプ。
「確かめるのであればどうぞ。ついでにシャッフルもしてください」
「…………《手品》、ですか?」
「いや、違います。《占う》んですよ。安曇さん」
 廻谷はにっこりと笑う。
「………………」
 不振がりつつも、何か意味があることなのだろうと思い、とりあえずトランプを確認してシャッフルする。
 その間に、廻谷は何か書いているようだ。
「廻谷さん。どうぞ」
「ありがとうございます。さて――では、話の続きですが、安曇さんの推論で間違えているところ。それは、『全ての人の行動が、全て操られている』。そう考えているところです」
「え? 違うんですか?」
 だって、あの文脈じゃあそう言っているようにしか聞こえないが。
「違いますよ。だって、それでは《偶然》と言う言葉がなくなってしまうではないですか」
「……いや、それはあなたが否定したも同然じゃ……」
 未来が変わらない、ということは、某漫画の『偶然はない、あるのは必然だけ』、というあの名ゼリフ通りの意味になるのでは?
「さっき、『未来は厳密な意味では定まっていない』と言ったはずですが? ……理解力はあっても記憶力は悪いんですかね。まぁ、いいですけど。つまり、『厳密な意味で定まっていない』と言う事は、『どこかで綻びが生まれる事もある』または、『定められていない部分もある』と言う事なんですよ」
「えっと、あれ? だって、未来は変わらないんじゃないですか?」
 軽く混乱する。廻谷の言っていることが整理できない。人に説明されて理解できないことなんて本当に久しぶりのことだ。
「大筋は、ね」
 私の間抜けな筆問に対して、廻谷はそう言って、やっとトランプを取り出す。
「やはり《運命》も、全てを規定する事は出来ない。なぜなら、何度も、何度も同じ事を続ければ、必ずどこかで狂いが生じるから」
 廻谷はトランプの上から五枚、カードを取り出す。
「ねぇ、安曇さん。『サルのタイプライター』という話を聞いた事はないですか?」
『サルのタイプライター』。確か、かすかにだが聞いた記憶がある。
「えっと、よく覚えてないんですけど。――サルにタイプライターを渡してでたらめに叩かせていれば、何万分の一、何億分の一、何兆分の一という途方もない確率ではあるが、偶然そのアルファベットの羅列が意味のある単語になる事がある。または、意味のある文章になる事がある。そして、もしその偶然が重なれば、サルがシェイクスピアの詩を打つ事も可能なのでは? というあの理論の事ですよね?」
「ええ。トマス・ハックスレーが提唱したといわれるあの説です。まぁ、余も詳しく知っているわけではないので詳細は省きますが、要するに、何万分の一、何億分の一という確率にはなりますが、偶然という事態が起こることは避けられない。そういうことをあの説は言っているわけです。つまり、余が言いたいことはそういうこと。偶然という狂いは、そういう中から生まれてくる」
「……って、それはただの確率論じゃないですか。確かに、起こるかもしれないけれど、逆に言うと、ほとんど起こらないといっていい。そんな非科学的なこと信用できません」
「非科学的って、運命語ってる時点で科学なんて存在しませんよ」
 廻谷が呆れたような顔で言う。……うん。確かに、いわれてみればその通りか。まあ、彼が言っていいのかどうかは分からないけれど。
「まぁ、これで納得がいかないんだったら、他の例をあげましょう。……例えば、宝くじは、普通買っても当たりませんよね? でも、当選者は必ずいる。例え、どんな順番で買われようとも、どんな人に買われようとも、当たりくじは当たりくじ。基本的に、当たりがでるということに、変わりはない」
「………………」
「自分のくじが当たったことは偶然かもしれませんが、そのくじが当たることは必然」
 そう言うと廻谷は、テーブルに並べたトランプのうち右端の一枚をめくる。そのカードは、ハートの8。
「例えば、今、このカードがでてきた事は、《偶然》」
 そして、次に隣のカードをめくる。今度は、クローバーの4。
「次に、このカードがクローバーの4であったのも、《偶然》」
 そんな調子で、廻谷はカードをめくっていく。
「――ダイヤの6であったのも、《偶然》――スペードの5がでたのも、《偶然》――最後に、ハートの7がでた。それもまた、《偶然》」
 全てのカードがめくられた。
 そこで廻谷は、意味ありげに私を見つめてくる。
「これが、一体どうしたというんです?」
 私は沈黙に堪えきれず尋ねる。
 対して廻谷は、私を見つめたまま何も言わずにさっき書いていたのであろう紙を見せる。
「そして、これらのカードがそろうのは、《必然》」
 廻谷の言葉が静かな店内に響く。
 渡された紙。
『ダイヤ、クローバー、スペード×1。ハート×2。数=4,5,6,7,8.』
 紙には、几帳面そうな字で、ただそう書かれていた。
「ふふ。《占い》は成功みたいですね」
「…………」
「つまりは、そういうこと」
 廻谷は、ゆっくりと言葉をつむぐ。
「誤差はあれど、結果は変わらない。並びや順番は違えど、そろうカードは変わらない。くじを引く人間が違えど、くじそのものが当たることには変わらない。通る過程は違えど、最終的に行き着く未来は――変わらない」
「………………」
「だから、たとえサルがタイプライターでシェイクスピアを書いてしまうような《偶然》が起こったとしても、それは起こるべくして起こったこと。そこで起こらずとも、別の場所で、または別の形で、必ず起こる。例えば、頭文字だけを読んでいけば、とか、一文字飛ばしで読んでいけば、とか。そういった条件を加えれば、形は違えどシェイクスピアになってるかもしれない」
「…………それ、は」
「まぁ、要はこじつければなんとでも言えるってことでもあるんですけどね」
 廻谷は肩をすくめるように言う。
「結局、起こることは起こるべくして起こるってことですよ。安曇さん」
 あらすじを読む、と彼は言った。
 つまりは、詳細は知らない、という事。
 本編は、読んでいないという事。
 まぁ、そこがアカシックレコードと違うところといえば違うところだ。アカシックレコードを読む預言者たちは、全てを知っていると言われている。でも、廻谷はあらすじしか知らない。
 でも――それでも、結末だけは分かる。
 過程は分からずとも、結論やオチは分かる。
 そういう事、なのか?
「話は、少しだけ変わりますが、いいですか?」
 廻谷が尋ねてくる。別に、拒む理由はない。私は先を促す。
「よく、世の中の人間は二種類に分けられると言いますね。その余なりの分け方は、世界を動かす人とそうでない人、というものです」
「……どういう意味なんですか?」
「言葉通りの意味です」廻谷は無造作に散らばったトランプをまとめながら続ける。「世界を動かす存在。それは、簡単に言ってしまえば歴史に名を残すような人達のこと。彼らによって、歴史は作られているといっても過言ではない。だから、世界を動かす存在。運命に、関わる事の出来る存在。この人たちのことを、余たちは単純に《介入者》と呼んでいます」
「《介入者》。運命に介入するもの……つまり、その《介入者》が未来を作っていく役割を負っているということですか?」
「ええ。そういうことです。……手近な人間で言うと、真夜なんかが、それに当たりますね」
「へぇ」
 ま、確かにあの男はいろいろ介入してるだろう。四ヶ月前の夏なんか、それに当たるんだろうなぁ。あの地獄を考えたら納得できる。
 それに、自称『悪い人』だし。
「そしてもう一つ、世界を動かさない人たち。要は一般市民のことです。影響を与えないわけではありませんが、根本的な部分で世界に影響を与えるわけではない。彼らを余たちは《間接者》と呼んでいます」
 《間接者》、私は呟いてみる。まったく、そのまんまだな。
「ちなみに、あなたの周りでは、あなたの彼氏、鬼塚俊彦なんかがそれです」
「まぁ、そう、ですね」
 何気なく相槌を打つ。……ん? 彼のことをあげるのは分からないでもないが、でもどうして一番近くにいるこの私を例に挙げないんだ?
「厳密に言えば――」廻谷は私の疑問など気づかず話を続ける。「他にも《輪廻》から外された、どんな手を尽くしても、自らの力では《運命》に関わる事が出来ないという人々。通称、《輪廻の外》という人や、ずれた物語を修正するための《矯正者》という人もいるのですが、それは本筋には関係ないので詳しくは言いません」
「はあ」
 ん? あれ? 《輪廻の外》?
 それは、確か廻谷に付けられた通り名のうちの一つでは? ……それとも、もしかして今の口ぶりからして、《運命》に関われない人の全般を《輪廻の外》と呼ぶのだろうか? ――そして廻谷もその、《運命に関われない人》のうちの一人ということなのか?
「では、あなたは、その中の、《輪廻の外》に当たるということですね?」
「ええ。その通りです。余は、運命の全てを知った存在。そんな人間が、世界を動かしたら、必ず狂いが生じます。だから余は関われない」
「……でも、あなたの《力》は、未来を伝えるためにあるんじゃないのですか?」
「『未来を伝える』? 何を言っているんですか? そんなことをしたら、世界はパニックですよ」廻谷はおかしそうに言う。「未来は分からないからこそ意味があるんです。分かってしまったら、それはただの現象。変えられない未来なんて、知ったところでどうしようもない。――ふふ。大方、余のことをどこかの預言者か何かと勘違いしているのでしょう?」
「違うんですか?」
「全然違います。預言者というのは、神の言葉を聞き、それを人々、主に《介入者》に伝え広める人のこと。余はそんな事できません。せいぜい、《間接者》に対して、運命に干渉しない程度に未来を教えることくらいしかできない。それこそ、安曇さんに悪戯するくらいしか能がないんですよ」
「あー、まぁ、確かに、それだけの《力》持っていて、あれは酷いですよね」
 もっと有効活用の仕方があるだろうに。
「まぁ、それはさておき」と廻谷は話を戻す。「さっき言った、『定められていない部分』というのは、ここでは《間接者》の事です。彼らは、全体で見て圧倒的に量が多い。《介入者》が全体の1,5割に対して、《間接者》は八割。結局、《運命》は物語の核を作るだけで精一杯であるという事です」
「……まぁ、一つ一つの事を定めていったら埒が明かないかもしれませんけど」
 でも、――逆に言えば、《介入者》はやるべき事を、始めの段階で完全に決められているという事だ。それこそ、がちがちに固められているという感じか。
「《介入者》に定められているのは、その存在が果たすべき事象。ほら、ドラマとかでよく言うじゃないですか。『人が生きているのは、何か役目があるからだ』って。そういうことなんですよ。逆に言えば、それさえ果たせば《介入者》は《介入者》でなくなる。それと同時に、その『果たすべき何か』がありさえすれば、《間接者》でも、場合によって《介入者》足りうる」
「はあ、……て、え? 《間接者》は《介入者》になる事がある?」
「場合によって、です」廻谷はゆっくりと言う。「《介入者》は、言わば小説の主要登場人物。それは、話や舞台によって変わるでしょう? それと同じです。だいたい、生まれてからずっと《介入者》であり続ける人間なんて、全体の0,1割にも満ちません」
 ――と、言うことは、さっきの私の考えは間違え、か。
「一番始めから《介入者》であった人間は、生まれてから死ぬまで、そのほとんどの行動が世の中に直結しているといっても過言ではないんですよ。それを考えたら、どれだけ希少な存在なのかわかるでしょう?」
「というより、化物みたいな存在ですね……」
「世界に一番必要な存在ですから、当たり前ですけどね。――むしろ、そういった存在が何人もいれば、他の人間なんて別段必要ではないんですから」
「はぁ。そうですね」
 完全無欠の人間なんだろうな。
 ん? ちょっと待て。完全無欠、はいいとして、今までの廻谷の話を聞いていると、《間接者》だけじゃなくて、《介入者》にしたところで……。
「でも、……ということは、《世界》にとって必要なのは、その2割にも満たない《介入者》だけって事ですか?」
 疑問。それを口に出した後に、僅かな引っ掛かりを覚える。なにか、消化不良だ。
 廻谷は、私の疑問に答える。
「ま、実際は多少《間接者》がいないと物事がうまく運ばないことがあるといえばあるのですが、それでも実質的には安曇さんの言うことで概ね正解です」
 簡単に、迷いなく惑いなくよどみなく、始めから決められたことのようにセリフを口に出す。
 なんて、こと。
 僅かな引っ掛かりが、現実のものになり始める。
 もし、私たちが生きている理由が、廻谷が言うように、《世界》のためだとしたら……。
「で、……では、《世界》に関わらないものたちは、本質的に、意味はない、と?」
「ええ。まぁ、そういうことになりますかね」
「だ、だったら……」
 そして、引っ掛かりは、完全な現実に。
 くらくら、くらくら。
 頭が、痛い。意識が、途切れかける。
 口の中が乾いているのが分かる。からからに、かさかさに。少しの水分もないかのように。
 ――だったら、
 《介入者》にしたところで、
 《間接者》にしたところで、
 結局のところ、
 つまるところ、
 すなわちは――
「人が何をしようと、それが世界に関わらない限りは、その行動に意味なんてないって事じゃないのですか?」
 私は、意識を無理やり引き止めて、その一言を問いかける。
 世界に関わることが無いのなら、意味はない。
 存在理由。
 それは、ほとんどの場合生きている意味になる。
 生きている意味。
 それが、全て世界のためだとしたら、世界に関わらない人間に、生きている意味なんて無いって事になるではないか。
「行動に意味が無い?」
 廻谷は、私の問いに、まるで、大したことではないかのように、静かに答える。
「なにを、当たり前のことを言っているんですか?」
「…………っ!」
 本当に、大したことではないかのように、
 平坦に、そう言いやがった。
 がくりっ、と。
 私は体の力が抜けそうになる。
 ショック、である。
 心を、壊されたような感じ。
 心を、折られたような感じ。
 そんな、それじゃあ――。
 
 ――それじゃあ、私の夢は……。

「――廻谷、さん」
 私は、声のトーンを落として廻谷に問う。
「なんですか?」
「……例えば、ある女性を好きになった男性が、あらゆる努力をしてその女性を手に入れるといことがあるとします。そういったことも、無意味だというんですか?」
「それが、世界に関わらないのなら、無意味でしょう」
 廻谷は、一見脈絡がない問いかけに、きょとんとしながらも、すぐに答えてくれる。
「では」私は廻谷の答えを聞くや否や、間髪いれずに問う。「家族や、自分の大切な人を亡くした人が、その人のために涙するのも、無意味だというのですか?」
「それが、世界に関わらないのなら」
「人が、自分や家族の仇を憎み、その仇を討つのも?」
「それが、世界に関わらないのなら」
「人が努力して、自分の目標を達成させるというのも?」
「それが、世界に関わらないのなら」
「で、……では」
 私は、逡巡する。
 これを、言ってもいいのだろうか?
 言ってしまったら、戻れないような気がする。
 でも……。
 聞かないではいられない。
 聞かないことには、納得がいかないだろう。
 だから私は、半ば叫ぶように聞く。
「自分の夢を追い求めることも、無意味だというんですかっ!?」
 心の中の思いを、ぶつけるように、
 自身の気持ちを、つきつけるように。
 私の問に対し、廻谷は驚いた顔をすると、少し目を伏せる。
 迷うように。
 惑うように。
 しかし、それでも廻谷は、口を開く。
 顔には、何も映っていない。ただの無表情。
 そんな中、私に、その残酷な一言を浴びせる――

「それが、世界にとって意味が無いのなら、そんなものに、存在する意味はありません」

 ――何も考えなかった。
 ただ、だん、っと、机を強く叩く。
 勢いをつけて、廻谷に手を出す。
 先ほどと同じ、いや、それ以上の強い力で、彼の襟首をつかみあげる。
 そこまでの動作に、何の思考も無かった。
「……………」
「……ど、どうしたんですか? 安曇さん」
 廻谷は、表情は苦しそうだが、依然飄々とした声で聞いてくる。
 私は答えずにつかんだ手の力をさらに強くする。
「あの、安曇さん? 痛いんですけど?」
「…………」
「ぐ、……いったい、何なんですか?」
「――――私、には」
 声のトーンを最大限に落として、低く、小さく、できるだけ恨めしそうに聞こえるよう、私は言葉を発する。
「私には、夢が、あります」
「そう、ですか」
「ほんと、ばかばかしい夢、です。はは。まったく、こんないい大人がそんな夢を持っているなんて、恥ずかしい限りです。本当に、考えるだけで笑えてきて、片腹痛い。……でも、私はこの夢を、いや、どちらかというと、この思いをどうしても諦めきれない」
「………………」
 沈黙。
 なんと答えていいのか分からないといった調子で、廻谷は黙り込む。先ほどまでの、おちゃらけた感じはなく、真面目な表情をしている。軽口すら出ない。
 そんな中、私は、肩の力を抜いてその『夢』を口に出した。
「私は、どうしても世界が滅びる瞬間が見たい」
「――――」
 廻谷は、さすがに何も言ってこない。
 分かっている。この夢が、どれほど馬鹿馬鹿しいことであるかなんて、どれほど子供みたいな夢であるかなんて、嫌というほど分かっている。
 でも、それでも。
 私は、捨てきれない。
「昔、小学生の頃に、思ったんです」
「……何を、ですか?」
「どうして、世界の中心は自分でないのだろう? って」
 小学生のときに、何がきっかけかは覚えていないが、担任の先生から言われたのだ。
 世界は、あなたを中心に回っているわけじゃないのだよ、と。
 どうして、なのだろう?
 なんで、自分が中心じゃないのだろう?
 自分が中心でもいいではないか。実際、私の行動によって変わった出来事はたくさんある。私の動きによって、周りのみんなが変わったと、自信を持って言える。それくらい、私は率先して動いていたし、それくらい、他の人のためになることをすることが好きだった。
 ずっと、私はそう思っていた。
 だけど、それを真っ向から否定された。
 ――世界は、あなたを中心に回ってるわけじゃないんだよ。
 どうして? 私が中心ではいけない。
 私がいなければ、クラスのいじめがなくなることはなかった。私が動かなければ、登校拒否の友だちがまた学校に登校するようになることはなかった。私がきっかけを与えなければ、成績が芳しくなくて就職を考えていた子が、勉強にはまり込むことはなかった。他にも、たくさん上げればきりがない。そして、最終的にはみんな、私のおかげで変った。
 だから私は、驕っていたのだ。私には、それほどの影響力があると。
 そして、いろいろときっかけになりそうなものはあったけど、完全なきっかけは十六歳のとき。――母が亡くなったとき。
 あまりにも、悲惨な記憶。
 とても、覚えていたいとは思わない。苦く辛く、耐え難い思い出。
 崩壊しきった家庭。
 そんな中、全てを怨んで死んでいった母。
 半狂乱になりながら泣き叫んだ私。
 しかし、母が死んでからひと段落着くと、あまりにも、世の中が変わらな過ぎていることに気づいた。
 変わったことといえば、母が亡くなったということだけ。
 そのときに、私は分かったのだ。
 もし自分が死んでも、世界は終わらないんだ、と。
「私は、自分が死んでも、世界は何も変わらないというのが、許せない。私の世界は終わるのに、なんでみんなの世界は終わらないんだ? ずっと思っていた。私が体験できないことを、なんで生き残った人間は体験できるんだ? と」
 ただのわがままである。
 でも、私にとっては切実な思いだ。
 だから、私は世界の滅びる瞬間を見たい。
「廻谷さん。あなたの言う通りに考えると、この夢さえも、無意味と言うんですか!?」
 締め付けられるような思いで、私は聞く。
 答えなんて、分かっているくせに。
 それでも、足掻きたがる。
 私は、廻谷は睨みつける。少しの誤魔化しも通じないとでも言うように。必死に、足掻く。
「そんなこと――」
彼は、すぐに答える。
 冷え切るような、平坦な声で、残酷な答えを突きつける。
「――あなたが《介入者》でない限り、まったく持って無意味です」
 体の力が抜ける感覚がする。
 廻谷の襟を離す。
 もう気力が萎えた。
「――ほんと、あなたという人はほんとに分かりにくい人ですね」
 そんな私に、廻谷は感慨深そうな声で言う。
「どういう、意味ですか?」
「まさか、そんなことを思ってるなんて思いもしなかったんですよ」
 あ、茶化しているわけじゃないですよ、と廻谷は言いつつ続ける。
「安曇さんは結構現実主義みたいなところがあったので、余はビックリしたのです」
「私だって、夢くらい見ます」
「いえ、そういう意味ではありません。夢を見ることくらい誰だってあります。余が言いたいのはそういうことではなく、安曇さんがその夢のために、かなりの努力をしているという事実のほうです」
「………………」
 やはり、《過去》でも読んだのだろうか?
「例えば、一番最近の、水方姫月へのインタビュー。多重人格のインタビューでしたが、彼女は、普通の多重人格とは少し異なります」
 やっぱり、知っている、か。
「ええ、その通りですよ」もう私はやけくそになって言う。「彼女は、死んだ人の人格を持っている。自分の中で、死んだはずの人の人格を生かしている。――だから、私はあの子の取材に行ったんです」
 もし、私が死んでも人格だけ残るのなら。
 まったく、鬼畜な考えだけど。
「まぁ、姫月ちゃんは《輪廻の外》の塊ともいえますしね。でも、結局のところそれは成し遂げられなかったようですけど」
「…………」
 まぁ、悔しいが、結果的にはそうなった。
「自分でも馬鹿馬鹿しいといっているような夢に、本気で努力する。ホント、意外です」
「割り切れて無いだけです」
 無駄だ、無意味だ、無益だ、そう思えば思うほど、その欲求は酷くなっていく。
 世界の終わりが見たい。
 世界が、滅びるのを見たい。
 でも、それを見るには異常なまでの時間が必要だ。
 自分で滅ぼすことなんて、出来ない。
 だったら、その時が来るまで待つしかない。
 でも、寿命の問題から、待つことなんて出来ない。
「……廻谷さん」
 私は彼に呼びかける。
 彼は、《運命》が読める。
 例え、あらすじだけとはいえ、全ての結末が見えているはずだ。
 だったら、
「なんですか?」
 廻谷は、すっと目を細める。
 彼に、聞きたい。
「あなたは、自分が死んだ後の未来も、読むことが出来るのですか?」
「ええ、できますよ」
 廻谷は、間髪入れずに答える。
 そう、か。
 だったら、私の予想通りだったら――
「では、あなたは、世界が終わる瞬間を知っているということですよね?」
「はい。嫌というほど知っています」
「だったら」私は彼をしっかりと見つめる。「最後の質問です。ここまで、たくさん質問してきましたが、これで最後です。イエスかノーだけでいいんです。だから、一つだけ、一つだけなので、本当のことを教えてください」
 私は、懇願するように言う。この一つだけを答えてくれたら、他には何も聞かない。だから、答えてほしい。
 それに対して、廻谷は、そのビー玉のように透き通った目で、しっかりと私を見つめて、うなずく。
「余に答えることが出来る範囲なら、いくらでも、お答えします」
 それは、始めにも言われたこと。
 だったら、遠慮はする必要ない。そう思って、私は覚悟を決める。
 とくん。とくん。
 高鳴る胸をおさえた。これから、自分が質問することを考えると、正直怖い。だけど、聞かなくてはいけない。――一歩、前に進むために。
 だから私は、その一言を言葉にする――
「世界が滅びるその瞬間、私は生きていますか?」
 質問を聞き終えると、廻谷は、何かを考えるようにしながら視線を私から一瞬逸らし、そしてまた私を見つめる。
 その目には、何も映っていない。
 ただ、透き通った透明な色だけ。
 彼の首が動く。
「――答えは、ノー。です」
 ――その首は、縦に振られはしなかった。
 残酷な、答え。
 でも、知っておかなければいけない答え。
 私は、その答えを無理やり手に入れた。
「ふぅ」
 気づけば、私は嘆息していた。何か、胸の中がすっきりしているような……それでいて、何か引っ掛かりがあるような、そんな気持ちが、私の中を支配する。
 あまりにも、あっけない終わり。
 それに私は動揺しているのだろうか?
「あ、もう、こんな時間なんですね」
「え?」
 廻谷が、壁に立てかけてある時計を見て言った。時刻は、……一時四十七分。かれこれ、四十分くらい話していることになる。
「この店、一応二時から営業再開するんですよ。だから、話もひと段落ついたことですし、できればそろそろ終わりにしてもらえませんか?」
 何事もなかったかのように言う廻谷。
 まぁ、確かにそろそろ終わりにしなければ……。
「ん? どうしたんですか? 安曇さん」
「あと、一つ聞いてもいいですか?」
「……さっき、最後の質問っていいましたよね」廻谷は呆れたように言う。「まぁ、いいでしょう。なんですか?」
「あなたは、――廻谷柩は、この世の中を面白いと思いますか?」
 聞きたい。
 ぜひ、聞いてみたい。
 全てを見、全てを知った彼は、この世の中を面白いと思うのだろうか?
 ――一度読んだ本を、面白いと感じるのだろうか?
 何度目になるか分からない静寂。
 私は、半分立ち上がった状態で彼を見つめる。
「…………はは」
 廻谷は、そんな中。
 静かに、笑った。
「最後の最後で、なかなか面白い質問をしますね。……ふふ。まったく。油断ならない。少しでも気を抜いたら、あなたという人はこういう質問をする」
 やれやれ、と廻谷は肩をすくめて言う。
「まぁ、その質問に本気で答えたら、どうにも運命に触れそうなので、間接的に、一言だけで答えますよ」
 いいですね? と廻谷は念を押してくる。
 私は少し怪訝に思う。こんな質問が、運命に触れるのだろうか?
 しかし、それでも答えのヒントが聞けるのなら別にいい。そう思い、私は廻谷が口を開くのを待つ。
 そして、数秒の間のあと、ただ一言、言葉を言う。
 顔に、妖艶な笑みを浮かべ、
 眼は、全てを見通すように透き通っていて、
 口元は、それでいて少しも笑っておらず、
 何を見ているかも分からない、
 そんな様子で、彼は、一言言う――
「――『私』は、嘘がつける人間なんですよ?」
「え?」
 思わず、間抜けな声が口から漏れる。気を張っていたところを、いきなり軽く押されたような感じだ。
 そ、それは……。
 聞き覚えのある台詞。
 いや、聞き覚えがあるもなにも、この台詞はつい一週間前に聞いた……。

 それは、水方真夜の台詞だ。

 すっと、半分座った状態から、完全に立ち上がる。
 もういい。答えは、確かに聞いた。
 そして、私は廻谷を背に、店を出るため扉に向かう。
 それに対して、廻谷は何も言わない。
 あいさつも、なし。
 ……インタビュアーとして最低の行為ではあるけど、でも今は彼にお礼の言葉を言う余裕がない。まぁ、この男がその程度のことで目くじら立てないだろうという安心もあるが、それよりも私は一刻も早くここから出たかった。
 いや、正直に告白しよう。

 私は、彼が恐ろしかったのだ。

 恐ろしいと、全身で感じた。
 ――柩は、恐ろしいよ。
 水方の言葉が蘇る。
 ええ。水方さん。確かに、その通りです。
 この人は、ヤバイ。
 この身を持って、分かりました。
 あなたも大概分に恐ろしい人でしたが、この、廻谷柩という人間は、規格外だ。
 だから、逃げます。
 負け犬は、しっぽを巻いてトンズラします。
 私は扉に手をかける。そして、店を出ようとしたところで、
「安曇さん」
 最後の最後で、廻谷に呼び止められる。
「なん、ですか?」
 少しだけ迷って、扉の前で、警戒しながら振り返る。
「余はですね。できる限り、運命に干渉しないように心がけています」
「……はぁ」
 まぁ、そりゃそうだろう。
 先ほど彼が言ったように、運命を知っている人間がそれに進んで関わろうとすれば、自然に世界はゆがんでしまう。
「でも、余は今、その戒めをほんの少しだけ解きました」
「…………さっきの、答えですか?」
「ええ」廻谷はうなずく。「あの回答。ホント、回答ともいえないような回答ですが、それでもあなたは答えにたどり着いた。あなたの反応を見れば分かります。まったく、本当に驚かされますよ。あなたには。――まぁ、だから、どうせ戒めを解いたのなら、もう一つだけ、あなたにとっていいことをいっておきます」
 そう、廻谷はいうと、晴れ晴れとしたような笑みを浮かべる。
 まるで、長い拘束から解かれたように。
「七十六歩」
「……え?」
「この店を出てから、七十六歩目に、立ち止まってみてください。七十五歩でも七十七歩でもない。七十六歩目。そうしたら、いいものが、見れますよ。――あ、でも、それを見たらできるだけ早く立ち去ることをお勧めします」
「…………ありがとうございます」
 不審に思いながらも、とりあえず、お礼を言う。
「ねぇ。安曇さん」
 ほとんど間をおかず、廻谷は尋ねてくる。
「あなたは、本当にこれで夢を諦めますか?」
「……無理、ですね」
 私は、正直なところを言う。
「例え、不可能だと指摘されても、この欲求は、このわがままな気持ちは、どうにも抑えられません」
 自分が死んでも、誰かが生きているのが許せない。
 自分が死んでも、なにも変わらないのが赦せない。
 どうしようもなくわがままで、どうしようもなく利己的な思考。だけど、分かっていても譲れない思い。
「だから、これからも夢を叶える方法を探し続けますよ。例え、無意味だと分かっていても」
「…………」
「それに、今回の話でも、一応収穫はありましたし」
 《輪廻の外》
 それは、おそらく何かのヒントにはなる。
「ふふ。まったく、余念のない人ですね。でも、その道は大変な道ですよ? 四方八方知らないことだらけ。そこではあなたは無知で無力で無才です。今までのようには、絶対に行かない。そんな中で、あなたは一体どうするつもりですか?」
「どうするつもりって」まったく、どうしてそんな分かりきったことを聞くのだろう? そう思いつつ、私は笑いながら「そりゃあ」と続ける。

「知らないことがあれば、調べるだけです」

 私は彼に背を向け、扉を開ける。
「《読了者》」
「……え?」
「余の、一番初めから持っていた、唯一無二の肩書きです」廻谷は楽しそうに言う。「よかったら、覚えて置いてください。安曇さん」
 《読了者》
 読み終えた者。
 ……ホント、うまく言ったものだ。
「ま、意識の片隅には置いておきますよ。廻谷柩さん」
 そして、私はやっと扉を閉めた。



 外は、星が綺麗な、透き通るような冬空で、シンと静まり返っていた。
 私は、心地よい寒さを感じながら歩く。
 廻谷の店が立っているのは、廃ビルがいくつも立ち並ぶ裏路地。明らかに無計画に立てられたビルが、建設途中で放り出されている。
 その中を、私は一歩ずつ歩いていく。

 十一歩…………十二歩…………十三歩…………

 廻谷の言葉を真に受けるつもりはないが、それでも一応気にはなる。
 まぁ、ただ私が付和雷同なだけかもしれないけれど。

 二十六歩…………二十七歩…………二十八歩…………

 廻谷が、言った答え。
 ――『私』は嘘がつける人間なんですよ?
 あの台詞は、水方の台詞だ。
 自分を悪と言い切る男。
 悪を偽り態とする男。
 《偽態悪》水方真夜。
 ……まぁ、あの夏の事件は、また別の物語ではあるけれど。

 四十歩…………四十一歩…………四十二歩…………

 廻谷は、あの一言で、全てを覆した。
 それまで述べた、全ての、運命に対する価値観を、捨て去りやがった。
 ――恐ろしい。
 全てを知ってるということが恐ろしいのではない。
 知っていることを、嘘と言い切ることが、恐ろしい。
 現実を、嘘と言い切ることが、恐ろしいのだ。

 五十二歩…………五十三歩…………五十四歩…………

 できれば、もう二度と関わりたくない。
 あんな、答えの固まりはうんざりだ。
 人生、楽しめない。

 六十一歩…………六十二歩…………六十三歩…………

 ……楽しめ、ない、だって?
 何を、馬鹿なことを言っているのだろう?
 こんな、馬鹿馬鹿しい世界の、何を楽しむというんだ?

 七十一歩…………

 ほんと、馬鹿らしい。
 これが、世界に失望した人間の言う台詞だろうか?

 七十二歩…………

 廻谷は、どういう気持ちだっただろうか?
 ふと、そんな疑問が頭をよぎる。

 七十三歩…………

 全てを知っている、ということに対してではない。
 若くして、死んでしまったことになってしまった気持ちは、どういう気持ちだろうか?

 七十四歩…………

 廻谷嗣火。
 彼は、死んだ。
 そして、廻谷柩が生まれた。
 運命の塊が、生まれた。

 七十五歩…………

 そう成って、彼はどういう気持ちだろうか?
 親が死んだことと、どっちが苦しいだろうか?

 七十六歩…………

「っと」
 七十六歩目。
 私はあわてて止まる。
 さて、廻谷さん。私は言われたとおりに止まりましたよ。では一体何が起こるんでしょうか? いいこと、って一体なんでしょうね? ふふ。これでしょうもない事だったら承知しませんよ――
 そう、考えていたところ。

 がしゃんっっ!

 私の目の前を、何かが掠める。それと同時に、鉄をコンクリートに叩きつけたような激しい音がシンと静まり返った夜に響く。
「…………な、な」
 違う。『ような』ではない。
 これは、正真正銘本物の…………
「なん、で……」
 目の前には鉄柱。
 この周りには、建設途中のビルがたくさんある。
 もちろん、つるされたまま放置された鉄骨なんかも。
「嘘、でしょう?」
 冗談きつい。
 もし、
 もし、私がこのまま歩いていたら――
「……あまりにも、できすぎてる」
 立ち止まったら、助かるだなんて。
 どこの三文小説だ。
 私は地面にへたり込む。
 腰が抜けた、とは、こういうときに使うのだろう。
「あぁ。もう。一体なんなのよ……」
 そう呟いた瞬間思い出す。
 これは、廻谷に仕組まれたことだということを。
「…………」
 もし、の話である。
 もし、廻谷が、私に七十六歩目で止まれと、言わなかったら?
 言わなかったら、どうなっていただろうか?
 ――起こることは起こるべくして起こるのですよ。
 私は、死んでいた、だろうか?
 ――何度も続ければ必ずどこかで狂いが生じるから。
 それとも、これはその、運命の狂い、なのだろうか?
 だとしたら、とんだお笑い種だ。
「あは」
 気づけば、笑っていた。
「あはは。あははははははっ」
 私は、狂った様に笑う。
 可笑しかった。本当に、可笑しかった。
 だって、今、廻谷は自分で運命を捻じ曲げたのだ!
 これが、可笑しくないはずがない。
 そして、気づく。
 やっと見つけた。
 ああ、これが、

これこそが、私が求めていたものなんだ。

 廻谷は、一番初めに言った。
 鉄によって危険な目に合う、と。
 伏線は、張られていた。
 いや、その伏線すらも、運命が張ったのだろうか?
 分からない。
 ……分からないで、結構。
「――はは、ははは。あはははは!」
 私は、全てを馬鹿にするように笑い続ける。
 そういえば、廻谷は、なんて言った?
 ――これをみたら、早めに立ち去れといわなかったか?
 私は、頭上を見る。そこには、先ほど落ちた鉄骨をつるしていたであろう、切れたロープが見える。そして、その隣。丁度、私の真上に当たる位置には、もう一本つるされた鉄骨が、ゆらゆらと揺れている。諸そうな、今にも千切れそうなロープに支えられて。
 未来は変らない。
 何らかの形で、必ず事象は果たされる。
 では、先ほどのあれはどうなるのだろう?
 廻谷が助言したから、私は助かったのか。それとも、私は、はじめから死ぬ予定はなかったから、廻谷はあんな助言をしたのか。
 私は、黙って鉄骨が怪しく揺れるのを眺める。
 もし、もし、これが落ちてきたら――
「ふふ、うふふ」
 廻谷さん。いつの間にか、私はあなたの力を認めていた。
 始めは、まったく信じていなかったというのに。
 始めは、ちっとも信じていなかったというのに。
 それでも、いつの間にか、それがあるのが当たり前になっていた。
「でも、ですね」
 私は、それを信じるわけにはいかないんです。
 だって、それを信じたら、何もできなくなるから。
 鉄骨は、どんどん揺れていく。
 今にも、落ちてきそうなくらいに。
「はは。ほんと、馬鹿みたい」
《運命論》。まことに結構。
 だけど、私は信じない。
 絶対に、逆らってやる。
「あーあ」
 それを見て、私は呟く。
 突然、今まで揺れているだけだった鉄骨がバランスを崩し、鉄骨を支えるロープが、不自然にぶつんと切れた。
 同時に、暗い、真っ暗な闇の中から、さび付いた鉄の棒がまっすぐ落ちてくる。
 ゆっくりと、ゆっくりと、まるで、スロー再生をしているかのように。
「では、機会がもう一度訪れるまで――」

 ――さようなら

 私は全てを受け入れる。
 前に、一歩前進するために。
 そして、激しく何かがぶつかる音とともに、私の意識は途切れた――

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コメント
にょろろん
安曇野っていう場所を調べてたら「梓川」なんてのが出てきて・・・・・・、
「 安曇 梓 」 なんて芸名があったら、格好良いいよな~なんて思ったりして・・・・・、
検索しててここを見つけました。
まだ小説は読んでないんですが、一応、足跡だけ付けておきますね。

小説はこれから読みます ^^ 。
[2008/01/24 17:09] URL | ウウォーターマン #- [ 編集 ]


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西織

Author:西織
この欄を編集するのを完全に忘れていた男。今年の四月に新社会人という名の社畜人生に一歩を踏み出した。



性別:男
年齢:22歳
血液型:A型
趣味:読書&執筆
将来の夢:作家(前途多難)

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